5 / 32

第5話

「あれ、ここ……は?」  神足は目が覚めると、辺りを見渡した。テーブルの上のアイスコーヒーはないが、部屋の四方を本棚で囲んでいるような部屋の感じ。神足はどこかで似たような部屋に来たことがあるように思ったが、すぐには思い出せなかった。 「確か、田口さんと班目先生とバーで飲んでいて……あっ!」  神足はやや気だるさの残る身体を起こすと、この部屋が班目の仕事場の応接室とよく似ていることを思い出す。そして、班目と初めて会った時と同じように班目が部屋のドアを開けた。 「あ、神足さん。起きたんですね。気分は悪くないですか?」 「ま、班目先生っ!」  アイスコーヒーではなく、ミネラルウォーターとグラスを持って、落ち着いた班目とは違い、神足は慌てて、ソファベッドから飛び降りる。どうやら、あの後、神足は酒で潰れてしまったらしく、班目が引き取ったようだった。そう言えば、遠い意識の向こうで田口がタクシーを手配して、班目が「気持ちが悪いとかないですか?」と神足を気遣ってくれていたような気がした。 「す、すみません。先生にご迷惑をっ!」  土下座する勢いで、神足は頭を下げると、班目は良いのだと笑う。 「いえ、先日は仕事で少し無理をさせてしまったので、酔いが速く回ってしまったのでしょう。誰でもそうなります。気にしなくても良いんですよ」  班目は狂乱気味になっている神足に飲めそうなら、とグラスにミネラルウォーターを注いだ。その上、今日は遅いので、疲れが取れるまで休んで帰るように促す。 「で、でも……」  神足は暫くこんな風に優しく接されたことがなく、申し訳なさと戸惑いで泣いてしまいそうな、叫び出したい気分になる。 だが、そんなことをすれば班目は困るだろうと思い直すと、何でもない振りをしてグラスを受け取った。 「すみません、ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきますね」  繕ったような神足の言葉に、班目はまだ何か言いたげに額に皺を寄せたが、「では」と出て行った。 「ふぅ……すん、すんっ」  神足は冷たいミネラルウォーターを笑顔で、咽喉の奥へと流す。気丈に振舞っているのに耐え切れなくなった鼻が詰まり始め、右目から左目から涙が零れた。  班目に知られなくて良かった。  彼に知られてしまえば、どうしても、冨手のことを話さざるをおえなくなってしまう。  班目には関係がないことなのだ。  そして、自分自身にももう関係のないことにしなければならないのだ、と神足はできるだけ声を押し殺して泣いた。

ともだちにシェアしよう!