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第十五話

 野瀬として神足に初めて会う日、斑目は東京にあるインペリアルホテルにいた。神足と会う為に用意したスィートルームは並のホテルのそれとはケタ違いに豪華で、洗練されていた。  田口も同席する筈だったのも、斑目の実の父親である能勢が手を回し、急遽、社へ戻した。  暫くすると、神足は野瀬の部屋に入ってきて、1人、ソファにかけた。 「初めまして、ですね。野瀬、と申します」  一呼吸、置いて、斑目はバスルームの方から現れた。  斑目としては会いたくて、待ちに待っていた。  斑目としては手に入れたいと望みながらも、手に入らない男がそこにいた。 「花崎と野瀬は『ノーズ』で、班目名義で出しにくい作品とか息抜きに描く時に使っているんですよ、ほら、『Nose』って日本語だと『鼻』でしょ」  種明かしをするように、班目は口にするが、神足の耳には入っていないようだった。  そして、神足は野瀬を待つ為に腰をかけていたソファから勢い良く立ち上がる。強い立ち眩みがするのか、とても立っていることができなくて、座っていたソファに突っ伏してしまう。 「そんな、どうして、どうして、先生が……」 「あの日……田口君と神足さんと私の3人で飲んだ日。貴方は覚えていないかも知れないですけど、専属のアシスタントになってくれませんか、と頼んだんです」  班目はソファにかけることなく、神足の傍へ行き、膝を折る。神足の髪を触れると、斑目は込み上げる愛しさを抑えつつ、話を続ける。 「貴方の答えは『ごめんなさい』で、私……俺はどうしても、諦めることができなかった」  ソファへ伏せ、神足の目は前髪で隠れている。  だが、班目は神足の身体を起こすと、ソファへかけさせる。前髪を整えて、目を暴くように曝した。 「最初は貴方の画力が素晴らしくて、俺だけのものにしたい。そう思っていたのだと思います。でも、あの日、酔いから覚めた貴方が力なく笑って、水を受け取った。それを見て、貴方が気になりました。いや、気になってなんてものじゃない。愛せる人を見つけることができた、と思いました」  班目のする告白は優しい声に違わず、優しく、滑らかなものだった。  ただ、神足にしてみれば、優しさも微塵もない告白だったのだろう。じくりじくりとナイフを心臓へと突き立てられて、切り刻まれるような……。  神足は何も言えずにいた。原稿の上を滑らかに滑る指はその1つでさえ動かすことはできずにいた。 「嫌ならアシスタントの仕事の時のように拒んでくれても良い。でも、もし、もしも、嫌じゃなかったら……」  班目は唇を神足の唇に重ねる。  漫画家にしておくには惜しい程、整った眉に鼻、薄めの唇。  画力、構成、オリジナリティ。才能の塊だと言わんばかりの、希代の漫画家。かつての恋人に痛めつけられて、捨てられたような人間には勿体ない程の人物から乞われる神足。  神足はあの日、班目の前で抑えた涙を流した。

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