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第7話

椅子に座って暫く待っていると、珈琲の香りと共に先生が戻ってきた。 「……どうぞ」 コト、 目の前に置かれたのは、普通のコーヒーカップ。 わざわざ用意したのだろうか。白を基調とたそれに、桃色の花びらが風に舞い散るように描かれている。 「驚いた?」 僕の顔を覗き込み、その反応に柔らかく微笑む。 「また、ビーカーで出す訳にはいかないからね。君用にカップを揃えておいたんだよ。……だけど今度は、肝心の君が来なくなってしまったから、中々この子の出番がなくてね」 「……」 「以前にも、ここに入り浸ってた子達がいたから。幾つかカップを用意した事があるんだよ。……何処にいったかな?」 そう言った後、僕の傍らに立っていた先生が、持っていたカップに口を付ける。 「それから、これ……」 白衣のポケット弄り、取り出した何かをスッと差し出される。条件反射的に手を伸ばせば、手のひらに乗せられたのは──小さな箱。 「工藤くん──君のお兄さんから、預かっていたものだよ」 「……え」 アゲハが……? 『後で……返してね』──ふと脳裏に蘇ったのは、若葉に脅されながら僕を抱くアゲハ。 その首を掻っ切る、バタフライ・ナイフ。 ……これ、あの時の…… そっと開ければ、竜一の耳に付いているものと同じ……十字架のピアス。 「……」 あの時の約束を……覚えていたんだ…… そっとピアスを抓み上げると、先生がふんわりと微笑む。 「……先生、アゲハは在学中、よくここに来てたの?」 「ん。よくファンの子に追い掛けられてて……匿ってるうちにね」 僕の質問に答えながら、相向かいの席に座る。 「会ったことあるかな? 工藤くんの友人の、山本くんと辻田くんも、よく一緒に来ていたんだよ」 ……竜一、が……? そっか…… アゲハと竜一は、友達……だったんだよね。 ……なんか、変な感じ…… 一体ここで、どんな事をしたり……どんな会話を交わしていたんだろう…… 「……」 そんな事を想像しながら、アゲハが友達を引き連れて帰宅した時の事を思い出す。 ……あの時の僕は、まだ小学生で。母から酷い仕打ちを受けていて。 アゲハに庇って貰いながらも、優等生で誰からも愛されるアゲハを……妬ましく思っていた。 もし、このピアスがなかったら。僕が母に殺されていたら。……いや、この世に僕という存在が、最初から無かったとしたら── アゲハは普通の人生を送っていて、今でも竜一と友達のままだったかもしれない。 「……さて、と」 黒板横にある時計を仰いだ先生が、残りの珈琲を飲み干すと、溜め息混じりに言葉を紡ぐ。 「もうすぐ、授業が終わる時間だ」 「……」 「この後は、どうする?」 まだ口をつけていないコーヒー。 それを一切咎める事無く、柔らかな口調で僕に尋ねる。 「……教室に、行ってみる」 そう答えながら、十字架のピアスを箱に戻す。

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