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第9話
×××
アパートに帰ると、ドアポストに白い紙が挟まれていた。その端が時折吹く風に揺れる。
取り出して見れば、それは──ガス点検の通知書。
「……」
文書を作成した日付。不動産会社名。お知らせの文字。丁寧かつ堅い文がつらつらと連なった最後に、工程日時と請負会社が記されている。
特に気にする事もなく部屋に上がり、その紙を冷蔵庫のドアに貼り付ける。ついでにドアを開け、冷蔵庫の中身も確認する。
昨日の今日で竜一が来る確率は低い。けど、昨日の様な失態はしたくない……
ふと、視線を外した先にあったのは、冷蔵庫横の籠に収まったじゃがいもと玉ねぎ。
「……」
じゃがいもを取り出して洗うと、水を張った手鍋に皮付きのまま入れて火にかける。
……竜一は、どんなものが好きなんだろう……
考えてみれば、僕は竜一の事をよく知らない。
竜一の想いを知って、オンナになったけど。恋人同士がする様なデートなんてした事がないし、それ以前に、それらしい会話を交わした事もない……
このアパートに住んでから竜一に振る舞った食事といえば、肉じゃがとか金平牛蒡とか魚の煮付けとか……おばあちゃんが教えてくれた、純和風の食事。それを竜一は、ただ黙って口にしているだけだった。
凌の様に、嘘でもいいから喜んでくれたらいいのに……なんて、内心思ったのを覚えている。
水で洗ったきゅうり。皮を剥いた玉ねぎ。其れ等を薄切りにして塩揉みをする。
ポテトサラダ……竜一は好きかな。
もっと、料亭みたいな豪勢なものが作れたらいいのに。
トゥルルル……
そんな事を思っていると、心を見透かしたかのように突然携帯が鳴った。
*
「……今日は、もう少し長く居られる」
玄関先で僕を抱き寄せた竜一が、耳元で囁く。
「美味そうな匂いだな」
料理の匂いがしたのだろうか。竜一の厚い胸板に顔を埋めながら、こくんと頷く。
「今、ご飯作ってたから……」
「……お前が、だ」
そう言って、竜一が僕の首筋に顔を埋める。
軽く唇を当てた後、貪るように食み、恥ずかしくなるようなリップ音を立てる。
「……ゃ……」
ゾクッ……
全身が甘く痺れ、恥ずかしさが込み上げ、それから逃れようと竜一の胸を軽く押す。
「優しくしてやるからよ」
その手首を取って制した竜一が、もう片方の大きな手で僕の頬を包む。するりと滑り落ちる指先。それが僕の顎に掛かるとクイッと持ち上げられ──落とされる、キス。
「……ん、っ」
煙草の混じった、ほろ苦い味。
……だけど、新婚のお帰りのキスより、きっと甘い。
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