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第53話

いつだったか………闇の世界に、片足を突っ込んでしまったと思っていた時があった。 あの時はまだ、引き返せる光が見えていた。 ……だけど、今はその浅い所に、体全てがすっぽりと浸ってしまっている様な気がする。 「……飯、……殆ど食って無かったな……」 隣でハイジがボソリと呟く。 僕が振り返らないと、ハイジの手が僕の手の甲にそっと触れた。 「………」 「昔の仲間に会えば、少しは気ぃ晴れんじゃねーかって思ってたけど……」 その指が、僕の気持ちを確かめる様に撫で、それから交差させる様に、指の間を滑らせる。 「………」 「……さくら」 車内に流れる、ラジオ。 先程とは違う……軽快なポップミュージック。 たったそれだけなのに……僕の知ってる世界に少しだけ接触している様な気がして……何処か安堵する自分がいる。 「拗ねてんのか……?」 「………」 別に、拗ねてる訳じゃない…… ″これと同じ首輪(わっか)をしたオンナを輪姦させてんだぜ″ 太一の言葉が、離れない…… ハイジは、施設でレイプされた女子を助けたと言っていた。 ……なのに、そんなハイジがそれを指示するなんて…… ハイジのもう片方の手が伸び、僕のフェイスラインに触れる。 その手に誘導され、ゆっくりとハイジの方へと顔を向けた。 「……ううん。……少し、疲れて眠いだけ……」 口端をほんの少し持ち上げ小さく答えれば、ハイジの軽い溜め息が聞こえた。 僕を見つめる瞳。 その瞳に含んだ光が、優しく揺れる。 手の甲に重ねたハイジの指に力が籠もり、触れた僕の頬を愛おしそうに撫でる。 車窓から時折射し込む光が、耳に掛けたハイジの横髪を照らし、プラスチックの様にキラキラと輝かせる。 「……ハイ……」 僕の言葉を止める様に、ハイジの唇がスッと近付く。 「……んっ、」 奪うような、キス…… 重ねられた瞬間。 ハイジの熱い舌が僕の歯列を割り開き、咥内を掻き回して僕の舌に絡みつく。 フレンチ・キス。 大胆なのに何処か繊細で……甘過ぎる、ハイジのキス…… ……クチュ… 咥内から響く、淫微な水音。 角度を何度も変え、再び僕の歯列をなぞり、顎裏や頬裏を貪る様に弄る。 ハイジ…… ……僕の気持ちを……探ってるの……? 「………」 何度も、何度も…… 僕の舌先を見つけ、そこから舌根までハイジの舌が絡み付き、愛おしむ様に吸い上げる……… ……はぁ… クチュ…… エンジン音と、ラジオから流れる軽快なポップミュージックに、熱い息遣いも、リップ音も、舌が絡まる小さな水音も……紛れ込む。

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