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第82話

妙な緊迫感。 水の中にいるかのように、息が苦しい。 「……なに、って……別に」 ドクン、ドクン…… 緊張しすぎて、心臓から押し流された血液が末端へと洪水の如く流れ込み、指先をドクドクと熱く打ち鳴らす。 反対に、脳内からはサッと血の気が引き、思考が停止していく…… 「イスから落ちたから……大丈夫?って言われただけ」 ……今まで生きてきた中で、嘘をついた事がない訳じゃない。 だけど、平気で嘘をつける質でもない。 自然に答えたつもりだけれど、ハイジには見透かされているんだろう…… 押し黙るハイジの横顔をじっと見つめる。 濡れた路面を走る音。ワイパーの音。窓ガラスに打ち付ける小さな雨音。備え付けのラジオの音。 僕の、落ち着かない心臓の音── 「……そうか……」 ハイジが、此方にちらりと視線を送ると直ぐに外した。 「………」 窓の外を眺める。 窓から感じる、ひんやりとした空気。 それが、少し熱くなった僕の体を冷やしてくれた。 「……なぁ、さくら」 空気を変えたのは、ハイジだった。 緊迫した、何処かおかしな空気を引きずったままウィークリーマンションに戻り、ベッドのある部屋へと足を踏み入れてから一息つく間もなかったと思う。 「近々、二人で旅行……しねーか?」 話し方や声のトーンから、僕の知ってるハイジに戻ったのだと感じた。 ……だけど、何だろう…… 「……え」 「ずーっと北の方へ向かって行けば……どっかでまだ咲いてんだろ」 「……」 「桜がさ」 ぽそりと呟くハイジの声に、覇気がない。 瞳に鋭さはなく、センチメンタルな気分に浸っているように見える。 ハイジ特有の、やんちゃなオーラさえ感じない。 「一緒に見てぇな。さくらと」 「………」 何処か、哀愁を背負い込んだような、ハイジの表情。 何だろう……おかしい。 この違和感は、胸騒ぎは……なんなのだろう……

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