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第83話

妙な緊迫感。 水の中にいるように、息が苦しい。 「……なに、って………別に」 ドクン、ドクン…… 心臓が早鐘を打ち、末端へと押し流されていく血液。ドクドクと脈動する指先。 それとは反対に、サッと血の気が引き、思考が停止していく脳内。 「イスから落ちちゃったから……大丈夫? って、声掛けられただけ」 「……」 今まで生きてきた中で、嘘をついた事がない訳じゃない。だけど、平気で嘘をつける質でもない。 自然に答えたつもりだけど、きっと見透かされてしまっているんだろう。 押し黙るハイジの横顔を、覗うようにじっと見つめる。 濡れた路面を走る音。ワイパーのゴムが、ガラスに密着しながら動く音。パチパチと、窓ガラスに打ち付ける雨音。ザッピングの混じる、ラジオの音。 そして、僕の落ち着かない……心臓の音─── 「……そうか……」 チラリと此方に視線を向けた後、直ぐに外してしまう。 「……」 外の景色を眺める。 窓ガラスから感じる、ひんやりとした空気。 それが、少しだけ熱くなってしまった僕の身体を冷やしてくれる。 「……なぁ、さくら」 空気を変えたのは、ハイジの方だった。 緊迫した、何処かおかしな雰囲気を引きずったままウィークリーマンションに戻り、ベッドのある部屋へと足を踏み入れ、一息つく間もなかったと思う。 「近々、二人で旅行でもしねーか?」 話し方や声のトーンから、僕の知ってるハイジに戻ったんだと思った。 ……だけど、何だろう…… よく解らない不安が、胸の中に渦巻いてく。 「ずーっと北の方へ向かって行けば……まだどっかで咲いてんだろ」 「……」 「桜が、さ……」 ぼそりと呟く声に、いつもの覇気が感じられない。ハイジらしいやんちゃなオーラさえも…… 「……見に行きてェな、さくらと」 哀愁を背負い込んだような、ハイジの表情。 眼に鋭さはなく、感傷的な気分に浸ったような色に変わり、何処か頼りなさそうに揺れ動く。 「……」 なんだろう……おかしい。 この違和感は、この胸騒ぎは……一体、何なんだろう……

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