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第86話
膝が崩れ、ペタンと床に尻をつく。
……わからない。
ハイジが……わからない……
頭に靄 が掛かり、何も考えられない。
小刻みに震える身体。寒気がし、指先から感覚がなくなっていく。
息をしようにも、上擦りながら吸うばかりで……まともに吐けそうにない。
ジャラ……
『何だかんだ言いくるめて……この首輪を付けさせて……』
『……いい具合に従順な奴隷に成り下がったら、そういう趣向の顧客相手に出荷してるって話』
──首輪の鎖の音と共に蘇る、麗夜の台詞。
ハイジが今まで僕にしてくれた話は、何処まで真実 だったんだろう……
施設での出来事も。僕と似たような宿命も。それを、運命と呼んだ事も。
この首輪の意味も。痛い程の優しさも。
僕を大事にするって言った言葉も……
全部──僕を、従順な奴隷に飼育する為の、“嘘”だったの?
「……」
プランター横にある、薄型のノートパソコン。電源コードに繫がれ、画面は閉じられていた。
蝋燭の炎のようにチカチカと揺れる、黄緑色の小さな光。
これを開けば、直ぐにトップ画面が見られるのだろうか。
ハルオの部屋にあったパソコンのように、飼育された女性の映像や顧客リスト等が……沢山あるのだろうか。
だけど、開けて見る勇気はもうなかった。
力無く彷徨わせた視界に入ったのは、USBメモリー。
幾ら無知な僕でも、これは知ってる。データを保存するやつだ。
「………」
ごくっ、と息を飲む。
その僅かな音でさえ、大きく暴れまわる心臓が、僕に警鐘を鳴らす。
痺れて殆ど感覚のない片手を床に付き、パソコンに突き刺さったそれに、ゆっくりともう片方の手を伸ばした──時だった。
スッ、
真っ暗闇の中──視界の左右から現れる、二本の腕。
「………、っ!」
大きく跳ね上がる肩。
自分でも、驚くぐらいに。
ヒヤッと背筋が凍る。身体が、酷く硬直する。
気配なんて……無かった。
物音も、足音も、何もなかった。
突然現れたその腕が、僕の身体を縛るように包む。僅かに感じる、乱れた息遣い。肩口から寄せられ、僕の耳に掛かる。
「………さくら」
それは、獲物を狩る捕食者──黒革の首輪を上にずらした後、剥き出された僕の首元を食み、噛み付くように歯を立てる。
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