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第97話

体を重ねた事で、それまでの殺伐とした空気は綺麗に消え去っていた。 まだ来ぬ近い未来に思いを馳せ、落ち着いた声色と穏やかなオーラを放つハイジ。 いつもの、ハイジだ。 そう思うだけで……酷くホッとする。 「二人で飛んだ後……もう『ハイジ』って呼ぶなよ」 「……え」 髪も黒く染めねぇとな……なんて、少し残念そうに続けてぼやく。 確かにそれは勿体ないかも……なんて、黒髪のハイジを想像しながら、ふと思う。 じゃあ、ハイジの事……なんて呼べば…… 「………高次(たかつぐ)」 声、出てたのだろうか。 それとも、ハイジが察して……? 口にした後、少し照れたのか……ハイジが僕から少しだけ顔を逸らす。 「オレの本当の名前……堀川高次っつーの」 「……」 そうだ。考えてみれば、ハイジなんて名前……本名な筈がない。 ……初めて出会って名前を聞いた時、変わった名前だなとは思ったけど…… チームのみんなも、『ハイジ』って呼んでたし、何の疑いもなくそのまま受け入れてしまっていた。 「……なんで、ハイジって……」 静かに口を開けば、ハイジの口角が軽く上がり、僕の前髪をそっと掻き分ける。 「漢字で『高次』って書くんだけどな。『高い』は英語で『ハイ』だろ?『次』は『ジ』って読めるじゃん。 ……それで、『ハイジ』」 「………」 「いい名前だろ? 施設抜けてからずっとこの名前使ってきたから……こっちの方がしっくりくるし、オレらしい気がすンだけどな」 そっか…… ハイジは、一度名前を捨てたんだ。 それで自分の居場所を見つけて、基盤を築き上げた所で……また、名前を捨てなくちゃならないなんて…… 「……ハイジ」 「ン?」 「二人でいる時は、『ハイジ』って呼んでもいい?」 僕の言葉に困惑したのか、ハイジの動きが止まる。 「……バカ。呼ぶなって今言ったばっかだろ」 「ハイジ」 「何だよ!」 少し荒げた声を上げつつ、ハイジが僕を見下ろす。 暗くて良く見えないけど、仕草が照れてるように見えて……心が震える。 「……髪は、素のままの……白銀にして……」 手を伸ばして、ハイジの横髪に触れる。 ……綺麗なハイジの髪が、黒く染められるなんて…… 僕のせいで全部捨ててしまうなんて…… そんなのは、嫌だから。 冷たい床。 背面から熱がどんどん奪われていく。 感覚が無くなり……ピリピリと痺れる指先。 その手首を摑んで引き離したハイジが、僕にスッと顔を近付ける。 「……出来ねぇよ」 ゆっくりと、唇が僕の額に当てられる。 ちゅっ、と小さなリップ音が鳴った後、少し離れて再び唇が小さく動いた。 「でも、………」 最後、何て言ったんだろう。 聞き取れない程、小さな声だった…… 聞き返せる雰囲気ではない気がする…… 底無しに優しい瞳。 目を合わせ続けていたら、吸い込まれて……何処までも堕ちてしまいそう。 「………」 こんな、綺麗な瞳を……他に見たことがあるだろうか…… 真っ直ぐで、純粋で、繊細で…… 壊したくない。 ハイジには……壊れて欲しくない……

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