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第102話
その視線が、前髪で隠した額と首元に注がれる。
床に額を強く打ち付けられた時に出来た、青痣。そして、首輪に収まり切らない圧痕。幾つかの鬱血痕。
「ああ、もしかして……“逃げない”んじゃなくて、“逃げられない”のかもね」
「……」
優しげに……しかし何処か含みのある瞳を滲ませる。
「……ストックホルム症候群って、知ってる?」
吉岡の口角が片側だけ持ち上がる。
「監禁とか、暴行とか。………強いショックを与えられた後に優しくされると、生命を救われたような気がして特別な感情が芽生えるんだって。
ストックホルムで実際に起きた人質立て籠もり事件では、人質達が犯人を庇って、銃を持って警察官に立ち向かったそうだよ」
「……」
「そうそう。日本でも昔、中年の男性に強姦目的で拉致監禁──飼育された女子高生が、犯人に優しく扱われているうちに特別な感情を抱いて、恋人関係にまで発展した事件があったんだって」
「……!」
もしかしてそれが、僕と同じだとでも言いたいのか──?!
カッと頭に血が上り、吉岡を睨む。
「………少し、冷静になったら?」
瞳を緩め、均等に口角を上げて微笑む。
その無垢で柔和な雰囲気に堪えきれず、先程のアコのように視界から吉岡を追い出す。
嫌な感覚が残る。
でも、悪い人……ではないような気もする。
麗夜みたいに、僕を思って言ってくれたのかもしれない……
「……」
無意識に、自身の首元に手をやる。
確かにハイジは、カッとなったら手が付けられない。
でも、この前の夜みたいに……無感情のまま僕を思い通りにする時もある。
……怖い。
ああなってしまったハイジは、怖い。
でも、底無しに優しいハイジの姿も知ってる。
『 強いショックを与えられた後に優しくされると、生命を救われたような気がして── 』
………違う、違う、違う!
僕は、ハイジに飼育なんかされてない!
頭を小さく振って、吉岡が発したその言葉を払拭する。
「……おっ、来た来た」
独りごち、スッと腰を上げる吉岡。
それに引っ張られ、チラリと視線を上げた。
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