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第103話
僕に背を向ける吉岡。
来た、というのは、バーカウンター越しにいる女性店員の事では無いらしい。
僕を気に留める様子も無く、その場から去っていく。軽快な足取りで。
ガールズバーで誰かと待ち合わせ……なんて。あるのかは解らないけれど、そういう類いらしい。
前屈みで談笑する隣のサラリーマンとバー店員の間から、遠くに見える店のドアへと向かう吉岡の姿が視界に映る。
それを何となく見届けた後、残ったお茶漬けを平らげようと視線を戻しかけた──その時。
「………!!」
ドア前に立ち止まった吉岡に、今し方入店した男性が近付く。
髪を全て後ろに流し、高級そうなスーツを身に纏い……他の客とは違うオーラと、何処か色気を含む大人の雰囲気を漂わせる、その人物は──
………りゅう、いち……?
目を、見張る。
見紛える筈なんて、ない。
「………」
瞬間──全ての音が消える。
店内に流れる音楽 も。人々の会話も。革靴やハイヒールの音も。
流れる時間はやけにゆっくりで。店員も客も……何もかもが薄ぼんやりとしたシルエットにしか感じられない。
───ドクンッ
心臓が、大きな鼓動を打つ。
ドクン……ドクン……
次第に速くなり、全身が震え、火傷したように熱くなっていく。
……竜一……
愛しさが容赦なく胸の奥から沸き上がり、全身を駆け巡って指先を痺れさせる。
……竜一……
目頭が熱くなり、乱れた呼吸の音が耳の中でくぐもって響く。
………どうして……僕は……
どうして僕は、今まで……竜一を……
一瞬で、目が醒める。
世界が反転する。
「……」
服の下に隠れている、幾つもの赤い痕。
重ねた温もり。
あの日の、夜──ハイジに抱かれながら、僕は……僕は……
『強いショックを与えられた後に優しくされると……特別な感情が芽生える 』
『ストックホルム症候群って、知ってる? 』
指先から、熱が引いていく。
息さえ、上手くできない。
……僕は、ずっと……竜一のモノだったのに……
頭の芯がジリジリと痺れ、痛い程の耳鳴りが襲う。
身体が強張って………動けない。
……竜一……
顔を合わせ、何やら親しげに会話を交わす二人。並んで此方に背を向けると、竜一の手が吉岡の背中に当てられる。
「……」
幻覚、なんかじゃない……
……なん、で……
何で竜一が……吉岡と……
茫然自失に陥る。
瞬きの仕方も、忘れてしまった。
……どうし、て……
息を飲み、カウンターに置いていた両手を握る。
『……どうして、逃げないんでしょう?』
吉岡の言葉が、脳内に渦巻きながらやけに響き渡る。まるで、僕を嘲笑うかのように。
ドアを開け、闇夜へと吸い込まれていく二つの背中。僕との間を遮るように、ゆっくりと閉まっていく。
……待って。
待って、竜一……!!
痺れて感覚を失いそうになる下肢に、何とか力を籠める。
カウンターに両手を付き、腰を浮かせようとして──
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