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第120話
……だけど、どうやって………?
もう一度、腕を引っ張ってみる。
無駄な行為だと、解っていながら……
ガッ、ギギ…ギ……
静かな空間に、虚しく響く金属音。
手首に当たる部分には、黒い毛皮のようなものが覆われていて、多少乱暴にしでも痛くはない。多分これも、SMクラブの玩具のひとつなんだろう。
輪っかから手が外れたら……と、手のひらを窄めながら引っ張ってみる。この行為も、無駄なんだろうと思いながら。
……はぁ、…ぅ……
力尽き、両腕をベッドに落とす。
ぼんやりと映る、天井。
……どうしよう。
どうやって、これを外そう。
ここから逃げよう。
遠くから聞こえる小鳥の囀り。
次第に明るくなっていく天井。
見れば、カーテンを照らす陽射しが、さっきよりも強くなっていた。
「……」
ハイジが帰ってくるまでに……って思ってたけど。この拘束を解いて貰ってからの方が、いいのかもしれない。
逃亡中ならきっと、まだチャンスはある。
あんな事があったから、手錠はされたままかもしれないけど。でも、今みたいに身動きできない程ではない筈だから。
利用するのは、タクシーか。電車か。
どうやって足が付かずに逃げるのかは、解らないけど……
「……」
ちゃんと、隙をついて逃げ出せるだろうか。
ハイジから、逃げ切れるだろうか。
そっと、瞼を閉じる。
その裏に浮かんだのは、優しげな光を揺らす、ハイジの瞳──
──ズキン、
その刹那、胸が痛む。
決意したばかりの心が高鳴り、大きく揺さぶられてしまう。
『“逃げない”んじゃなくて、“逃げられない”のかもね』──僕を試すような声で語りかける、記憶の中の吉岡。
黒革の首輪には、見えないリードが付ついていて。そのリードの先を、ハイジがしっかりと握っている。
僕は……完全にハイジから逃れる事なんて、できないのかもしれない。
もし、上手く逃げられたとしても。裏切られたと感じたハイジは、きっと今以上に荒れて──傷害事件を起こしてしまうんじゃないか。
僕のせいで。
関係の無い人達を巻き込んで。
警察沙汰にもなって。
もし──また殺人事件 にでもなったとしたら……
「……」
最悪な事ばかりが頭の中をグルグルと回り、胸の奥を苦しくさせる。
このまま、ハイジと一緒に逃亡先でひっそりと暮らすか。
それとも、ハイジから逃れるか──
ここに来て、また最初の選択肢にまで戻ってしまう。
「……」
胸中に、罪悪感が渦巻く。
ハイジと僕にとって……何が一番良いんだろう。
大きく深呼吸をひとつし、ドアの方へと顔を向ける。
シャラ……
首輪の鎖が、黒革の上を滑って音を立てる。まるでそれが、当然かのように。
───ガチャンッ
その時、玄関ドアの開く音が遠くで聞こえた。
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