132 / 555
第132話
……え……
一瞬、頭の中が真っ白になる。
去年の今頃から数ヶ月間、溜まり場で生活を共にしていた筈なのに……
目の前のモルが、瞳孔の開いた僕を安心させるように、笑顔を見せる。
「……」
それに答える余裕もなく、あの頃の記憶を、必死で追い掛けた。
だけど思い出されるのは、溜まり場での独特な雰囲気とヤニ臭さ。
はしゃいで目立っていた人や、よく話し掛けてくれた人達の顔は思い出せるけれど……吉岡の顔までは、思い出せない……
「……そうだよ、姫。
僕の事、忘れちゃった……?」
助手席に座った吉岡が、座席に肘を付いて振り返り、柔和な笑顔を見せる。
「……そうだ、吉岡。リュウさんに連絡取れないッスか?
俺、龍成さんに携帯取られたままで………」
モルが身を乗り出して頼めば、吉岡は表情を変えず……口元だけを小さく歪めた。
「……へー。僕に、そんな事まで頼んじゃうんだね……」
柔和ではない、トゲのある声。物言い。
瞬間、空気が一変する。
それまで和やかだった雰囲気は緊張感へと変わり、ピンと張った空気に息苦しさを感じた。
「類くん。……今は立場も状況も違うって事、解ってる……?
チームやってた頃の仲間だからとか………そういうの、僕には通用しないからね」
表情は変わらない。
瞳だって、綺麗に澄んで穏やかなままだ。
……なのに……
この肌で感じるピリピリ感──
「……」
モルもそれは感じているのだろう。
表情を堅くしたまま、吉岡を見つめる瞳が揺れていた。
「んじゃあ、そろそろ行こっか」
両方の口角を綺麗に持ち上げた吉岡が、軽やかな口調で運転手に指示を出す。
モルや僕の反応が、余程おかしかったのだろう……
吉岡は、遠足に出掛ける小学生のように浮かれた表情をしていた。
エンジン音。
薄雲が僅かしかない、爽やかに晴れ渡った青空の下……黒い車が走り出す。
隣に座るモルは、押し黙ったまま眉を顰 めていた。
そのモルから視線を外し、窓の外を眺める。
夜でしか見た事のなかった景色。
後ろを振り返れば、ハイジと過ごしたウィークリーマンションの全貌が見える。
「……」
行き先は、何処なのか。
これから一体どうなってしまうのか……
僕には、全く検討が見当が付かなかった。
ともだちにシェアしよう!