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第163話

「……寛司の事、よろしくね」 口角を綺麗に持ち上げ、微笑む倫。 その表情は、何処か穏やかで。優しそうで。消え入ってしまいそうな程、儚げで── 其れ等から逃れるように、俯く。 「……」 そんな事言われてしまったら、僕は完全に拒否権を失ってしまう。 このまま自動的に“菊地のオンナ”になってしまう…… 皿に差したスプーンを動かし、ゆっくりとスープを掻き混ぜれば、その流れに乗って動かされる、白身魚の欠片。 それがまるで、身を委ねるしかない僕のようで……何だか滑稽に映る。 ……でも、どうして。 何で僕なんだろう。 昨日はあんなに乱暴で、優しさの欠片もなく僕を抱いてきたのに。 ……わからない。 どうして僕を、自分のオンナにしたいんだろう。とても利用価値があるようには思えない。 僕が、ハイジの恋人だったって事も……多分知ってる筈。 この首輪を付けたのが、ハイジだって事も…… 「……」 チラリと隣を見れば、それに気付いた菊地が、優しげな目を僕に向ける。 ………ドクン ハイジと、そっくりな瞳── 無意識に頬が熱くなってしまい、直ぐに反対側へと視線を逸らす。 しかし、それを逃すまいと菊地の手が伸ばされ、僕の頭のてっぺんをくしゃくしゃとする。 「………ちゃんと食ってて、偉いな」 緩く持ち上がる口角。 優しげで、愛おしそうに見つめる瞳に囚われれば──僕は、どうしようもなくドキドキして、意思とは関係のないそれに、抗えそうになかった。 店を出て、元来た道を戻る。 菊地の運転は予想に反し、穏やかで丁寧なハンドルさばきだった。 この落ち着いた雰囲気からは、とても凶悪犯罪者のようには見えない。 走る車の窓ガラスに、様々な色彩のネオンが反射しては消えていく。 『……寛司の事、よろしくね』 そう言った倫の表情が、やけにチラついて頭から離れない。 倫が菊地に向ける目は、何やら特別なもののように思えて仕方がなかった。 「……どうした。疲れたか?」 助手席に座る僕に、信号で止まった菊地が優しげな声を掛ける。 菊地の方へと顔を向ければ、街灯りに照らされた僕の顔を、菊地がじっと見つめていた。 「……気にしてんのか、倫の事」 「……」 どうしてこの人は、僕の考えてる事を言い当ててしまうんだろう…… 吉岡の言う通り、解りやすい顔をしているんだろうか。 何も答えずにいれば、菊地が細い息を吐き、信号の色が変わるのを確認してからアクセルを踏んだ。

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