241 / 558
第241話
「明日の朝、駅まで送ってやる」
「……」
いきなりの事で、理解が追いつかない。
頭の中が真っ白になって……上手く働いてくれない。
動けない身体。……呼吸も上手くできなくて。さっきから吸ってばかりいるような気さえする。
立ち眩み──光を失い、目の前がぐにゃりと歪んで、時間が逆行していくような……妙な感覚。
「俺から言う事は、以上だ」
そう言い捨て、スッと目の前を横切っていく。
僕に触れる事も、視線をくれる事もなく。
──どうして。
何で急に、突き放すの……?
どうして……そんな簡単に捨てようとするの……?
もう……向き合っても、くれないの……?
部屋へと戻っていく寛司の背中。
追い掛けようと右足を前に出すものの……左足が上手く前に出てくれず、縺れて転びそうになる。
「……」
僕のした事は、そんなに酷い事だったの……?
僕を、見限るほど──
離れていく背中。
ふわりと匂う、寛司の残り香。
優しくて、温かくて、胸の奥をギュッと柔らかく締め付けられて……縋りつきたくなる。
足元が、ぐらくらと揺れる。
鼻の奥がツンとし、目の奥が熱い。
走馬灯の如く、脳裏に現れては消える……ここで過ごした日々。
僕の、居場所──
寛司の傍にいたい。
離れるなんて、嫌だ……
「……や、だ……」
感覚のない指先。
必死で背中を追い掛け、その手をぐんっと伸ばす。
やっとの事で寛司に追い付き、ノースリーブの裾辺りを掴んで引っ張る。
また、拒絶されるかもしれない──そう脳が判断した瞬間、身体に緊張が走った。
寛司の足が止まる。
呼吸を整え、徐に顎先を上げ、寛司の背中を見つめる。
ギュッと指に、力を籠めたまま。
「なら聞くが。……お前がここに来た目的は何だ」
「……」
「俺はもう、充分にお前を抱いた。……契約は、終了だ」
僕の答えを待たず。振り返りもせず。寛司がバッサリと言い放つ。
いつもなら、僕の頭を撫でて優しく抱き締めてくれる──愛しい手。
その手が触れられる事無く、自身の服を掴んで強く引っ張り、僕の手を拒否する。
ズキン……
心臓が、抉られる。
立ち直れない程に、深く──
「……」
まだ、感覚の戻らない手。
それでも……怖ず怖ずと伸ばし、もう一度寛司の服を掴む。
今度は、拒絶されなくて。何だか酷く安堵して。腕を伸ばし、寛司の背中にそっとしがみつく。
「……やだ……」
喉奥から声を絞り出す。
込み上げそうになる涙を、ぐっと堪えながら。
……見捨てないで。
僕にはもう、寛司しかいない。
他に帰る場所なんて、もうないのに……
手が、震える。
その僕の手首を掴み、ゆっくりと寛司が振り返る。
縋りつくようにして見上げれば、寛司の片手がスッと伸ばされた。
ともだちにシェアしよう!

