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第252話

……コンコン ノックの音がした。 けど僕には、届かない。 いや、実際には届いてはいるけど………何にも感じない── テントの前にお尻をついて座り、そのまま動けなくなっていた。 三人入ったら窮屈そうなテント内。その真ん中に、まだ火種の残る、練炭コンロがみっつ。 その周りを取り囲むようにして、身体を横たえているのは……腕に包帯を巻いた、男性─── 「……」 頭の中が、真っ白になったまま──働かない。 無気力にだらんと両手を下げ、顔が伏せられたその男性を、焦点の合わない目でぼんやりと見つめる。 瞬きの仕方さえ、もう忘れてしまった── 何も──湧かない。 感じない。何の感情も……無い…… 消えた…… 何だか……自分が、自分で無くなってしまったような感じ…… この体は、他の誰かのもので。 僕には全く、この世に全く関わりの無い、他の誰か──何かになり変わっていて。 遙か上空から、この体と、テント内の男性を──見下ろしてる……みたいな。 何だか不思議な……変な感覚。 ──解らない。 何がどうなって、こうなったのか…… ……どうして…… 全然、解んない…… 夢── ああ……そうか。全部夢だ。 教師に足を舐められた夢が現実で……これが、夢だ── ……そうだ。 全部、夢だ。 酸素の薄くなった空気を、上擦るようにして吸い込み、働かなくなった頭で、自分なりの答えを導き出す。 グラリ……、と頭の中が大きく揺れ、脳内が大きく歪み……冷たく広がっていく、痺れ。 ……でも、やっぱり嫌だ。そんなの。 寛司と過ごした日々が、全部夢だったなんて──そんなの…… 息苦しさに加え、急激に眠気が襲う。 瞼が重くなり、重力に従って薄く閉じる。 コンコン…… 二度目のノックの後、ガチャンとドアの開く音がした。 まだ、何の返事もしてないのに…… ……けど、そんなの、もうどうでもいい…… 僕にとっては、目の前の光景が、全てだから。 「……工藤、入る……ぞ……」 足音と共に、五十嵐が入ってくる。 外から吹き込む、新しい空気。 澱んでいた熱気と臭気を掻っ攫い、それまでの空気を容赦なく外へと掃き出していく。 その瞬間、乾いた砂地と化した僕の心に、嫌な感情が芽吹いた。 ……これ以上……来るな。 来るな。 「……な、なん……だ、これ……」 玄関のドアを開け放ち、五十嵐が部屋にドタバタと上がり込む。そして慌てた様子で窓をガラッと勢いよく開けた。 「……工藤、大丈夫か……?」 茫然自失の僕の背中に、五十嵐が言葉を投げ掛ける。 「……」 ………大丈夫、じゃ……ない…… そんなの、見れば解るでしょ…… ……だって…… 死んでる……んだよ……? 「なぁ、……工藤っ、!」 耳障りな声と足音を立て、五十嵐が此方へと駆け寄ってくる。 ……煩い。 もう、あっちへ行って…… 僕の事なんか、放っておいてよ。 練炭コンロの火は、まだ付いている。 その周辺景色を、熱気でゆらゆらと揺らして歪め、パチパチと小さな音を立てる。 今から僕も、死ぬんだから…… ──寛司の傍で……一緒に……

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