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第258話

愁を降ろした車が、走り出す。 その光景を目の当たりにした五十嵐は、何処か落ちつかない様子で、サイドミラーに小さく映る愁を見ているようだった。 「……あの、真木さん。良いんですか……?」 「ああ……いいんだ」 「……」 「アイツは俺といたら、成長しねぇバカだからな。……要は、俺に甘えすぎなんだよ」 「……」 「それに──」 真木がカーステレオを弄り、ラジオに変える。 朝からテンション高めのパーソナリティが、抑揚つけた爽やかな声で、番組に寄せられてきたメッセージを読み上げている。 「──嫁の腹に、ガキが出来ちまってさ」 ──え ドクン……と、心臓が大きく鈍く跳ね上がる。 それまで険しい顔つきだった真木が、僅かに顔を綻ばせる。 穏やかな、声── 「今まで散々悪い事やってきたからな。俺には、幸せになる権利なんざねぇかもしんねぇが。……産まれてくる子は別だろ。 俺には幸せにする義務がある。 病院のエコーを見て、嫁の腹ん中で動く小さな命に……感動したんだ。 ……これが、俺の子か……ってな。 幸せになって欲しいんだよ。 俺みてーに、こんな汚ぇ裏社会に生きて欲しくねぇし、腐った人間になんかなって欲しくねぇ…… その為には、俺が真っ当な生き方して、手本見せてやらねぇと。……だろ?」 そう言って照れたように笑う真木に、五十嵐が尊敬の眼差しを向けた。 「……」 ……なんだよ、それ…… 何だよ、それ。 なんなんだよ、それ……! ──ふざけんな。 その為なら、寛司を殺してもいいっていうのかよ。 寛司の命は、その程度の価値だっていうのかよ…… そんなの間違ってる。 間違ってる。 寛司が殺されて、悲しむ人の気持ちは……考えたのかよ…… そんな理由の為に、人殺しをしたのかよ。 この先、真実を知った子供の気持ちは…… 全部、自分の勝手だろ。 都合の良いように考えただけじゃないか。 綺麗事、言ってんなよ…… お前だけが幸せに……なるなよ…… 幸せ、に…… 「……」 バクバクと、心臓が激しく胸を叩く。 毒づいた感情を何とか押し込め、眉間に皺を寄せながら、無理矢理目を窓に向ける。 外の景色と重なって、窓ガラスに薄らと映る、僕の顔。 その顔は酷く蒼白く、虚ろげで。憔悴しきっていながらも……瞳だけはいやにギラギラとして、殺気立って見えた。

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