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第266話
「……工藤」
声にハッとし、顔を上げる。
真剣な顔つき。此方をじっと見据える五十嵐の瞳が、何時になく尖って見えた。
「……」
声を掛けようとして……止める。
何故かは解らない。けど、踏み込んだらいけないような気がして。
思い詰めた色を孕む双眸。
あの現場にいたのは、僕だけじゃない。
あの時は動じる事も無かったけど、今になって堪えているのかもしれない……
一変する空気。
それまで和やかだったそれが張り詰め、目が合ったまま外せない。
瞬きさえ、息さえ……出来ない。
「……」
僅かに見開かれた後、五十嵐の黒目が微かに左右に揺れる。
憂いを帯びた瞳がスッと外され、ゆっくりと瞬きをひとつすれば、空気に曝されていた角膜に潤いを与えた。
「………いや、何でもない」
視線を外したまま、五十嵐が片手で口元を隠す。
「それ……ちゃんと食うんだぞ」
「……」
そう言い放った後、顔を合わせる事も無く、五十嵐が立ち上がって背中を向ける。
持っていたおにぎりを口に押し込めたのだろうか。そうしながら一度も振り返らず、五十嵐が部屋を出て行く。
「……」
突然、五十嵐に何が起こったのか……
僕は訳も解らず、手中にあるおにぎりに視線を落とした。
電車を乗り継ぎ、繁華街へと移動する。
人の多さや巨大な商業ビルに圧倒されていると、迷子になりそうな僕の手を隣にいた五十嵐がぎゅっと握る。
寂れた雰囲気の裏通り。
人通りの少ない、表の喧騒から離れたこの通りを暫く歩いていると、以前ここを通った事がある事にふと気付く。
──そうだ。
ハルオに連れて来られた所だ。
確か、ずっと喋らない僕を疲れたんだと勘違いして……そこのこじんまりとした喫茶店に引っ張られたんだっけ……
「……」
あの頃……ハルオに頼りきってしまったとはいえ、あんな風に束縛されるなんて思ってもみなかった。
異常な程の執着心は、怖い位で……だけど、最後は傷付けてしまった。
凌が危険な人物だと伝えに来てくれたのに、僕はストーカーだと罵って、その忠告を聞き入れなかった。
もし、あの時──ハルオを頼って同居なんてしなかったら……今頃ハルオは、響平と幸せに暮らしていたかもしれない。
凌と出会う事も無かったし、殺された兄の復讐をしようとする響平に、スネイクが狙われる事もなかった。
──寛司だって、死なずに済んだ。
僕の、せいだ。
吉岡に言われるまで、今まで全然気付かなかった。
僕が存在するせいで……関わった人達がみんな、傷付いている。
だったら僕は、必要ない。
この世に要らない人間なんだ……
「……」
感傷に浸る僕の手を、五十嵐がグッと強く引っ張る。
いつの間にか、交互に踏み出す自分の足先ばかりを見ていた僕は、ハッと我に返り、引き寄せられるように顔を上げる。
「ここ、寄ってみようぜ!」
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