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第268話

「……工藤」 突然の声にハッとし、顔を上げる。 真剣な顔つき。此方をじっと見据える五十嵐の眼が、何時になく尖って見えた。 「……」 声を掛けようとして……止める。 何故かは解らない。けど、踏み込んだらいけないような気がして。 思い詰めた色を孕む双眸。 あの現場にいたのは、僕だけじゃない。 あの時は動じる様子は無かったけど、今になって堪えているのかもしれない…… 一変する空気。 それまで和やかだったそれが張り詰め、目が合ったまま外せない。 瞬きさえ、息さえ……出来ない。 「……」 僅かに見開かれた後、五十嵐の黒眼が微かに左右に揺れる。 憂いを帯びたその瞳がスッと外され、ゆっくりと瞬きをひとつすれば、空気に曝された角膜が微かに潤む。 「………いや、何でもない」 視線を外したまま、五十嵐が片手で口元を隠す。 「それ……ちゃんと食うんだぞ」 「……」 そう言い放った後、顔を合わせる事無く立ち上がり、丸めた背中を僕に向ける。 持っていたおにぎりを口に押し込めたのだろうか。そうしながら一度も振り返らず、五十嵐が部屋を出て行く。 「……」 五十嵐に、一体何が起こったんだろう…… 訳も解らず、手中にあるおにぎりに視線を落とす。 電車を乗り継ぎ、繁華街へと移動する。 人の多さや巨大な商業ビルに圧倒されていると、迷子になりそうな僕の手を隣にいた五十嵐がぎゅっと握る。 寂れた雰囲気の裏通り。 人通りの少ない、表の喧騒からかけ離れた通りを暫く歩いていると、ふと以前ここを通った覚えがある事に気付く。 ──そうだ。 ハルオに連れて来られた所だ。 確か、ずっと喋らない僕を疲れたんだと勘違いして……そこのこじんまりとした喫茶店に引っ張られたんだっけ…… 「……」 あの頃……ハルオに頼りきってしまったとはいえ、あんな風に束縛されるなんて思ってもみなかった。 異常な程の執着心は、怖い位で……だけど、最後は傷付けてしまった。 凌が危険な人物だと伝えに来てくれたのに、僕はストーカーだと罵って、その忠告を聞き入れずに突き放してしまった。 もし、あの時──ハルオを頼って同居なんてしなかったら。今頃ハルオは、響平と幸せに暮らしていたかもしれない。 凌と出会う事も無かったし、殺された兄の復讐をする響平に、vaɪpər(ヴァイパー)が狙われる事もなかった。 ──寛司だって、死なずに済んだ。 僕の、せいだ。 吉岡に言われるまで、全然気付かなかった。 僕が存在するせいで……関わった人達が、みんな傷付いてる。 だったら僕は、必要ない。 この世に要らない人間なんだ…… 「……!」 感傷に浸る僕の手を、五十嵐がグイッと引っ張る。 いつの間にか、交互に踏み出す自分の足先ばかりを見ていた僕は、ハッと我に返り、引き寄せられるように顔を上げる。 「ここ、寄ってみようぜ!」

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