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第270話
「工藤」
突然声を掛けられて、ハッと我に返る。
「さっきからじっと見てるけど……あれ、欲しいのか?」
クレーンゲームの景品を覗き込んだ五十嵐が、端っこにちょこんと座ったハムスターのぬいぐるみを指す。
「よく見たらあのハムスター、何となく工藤に似てるよな」
奇しくも、寛司と同じ事を言われる。それが何だか無性に腹が立つ。
無遠慮な五十嵐が土足で踏み入り、寛司との綺麗な思い出までも汚されてしまったような気がして。
「欲しいなら、取ってあげるよ」
得意気な顔で、五十嵐が腰ポケットから財布を取り出す。
「……いい」
「え、何で?」
「全然似てないし、……要らない」
冷めた返しに戸惑った五十嵐が、クレーンゲームに手を付いたまま苦笑いを浮かべた。
ドンッドンッドンッ……
テンポの良いリズムと重低音が鳴り響く中、液晶テレビの横に立つ五十嵐がマイクを片手に熱唱する。
仄暗く、ヤニ臭い小部屋。
所々剥がれた壁紙。ベタつく床。合皮が破け、剥き出しのスポンジが無残に毟られたソファ。
その無様な内装をカバーするかのように、カラフルな光を放つなミラーボールがゆっくりと回っている。
さっきのクレーンゲームといい、このカラオケといい。
一体、どういうつもりなんだろう。
「……」
どうして、普通でいられるんだ。
何でそんなふうに笑ったり、楽しんだりできるんだよ……
あんな事があって、苦しくないんだろうか。喉元過ぎれば熱さを忘れる……なんて|諺《ことわざ》があるけど。五十嵐にとっては、そんなもんだったのか?
──信じられない。
僕には、理解出来ない。
こうなったのも、元はといえば五十嵐のせいだ。真木に相談さえ持ち掛けなければ、こんな事にはならなかったのに。
なんで。何もなかったみたいに振る舞えるんだよ。
過ぎ去ってしまえばもう、五十嵐にとってはどうでもいいっていうのかよ。
五十嵐だって、見たよね。
張られたテントの中で、変わり果てた寛司の姿を。それに今朝だって、思い詰めたような顔をしてた。
……なのに、どうして。
どうしてそんな簡単に、割り切れるんだよ。
何もなかったみたいに、笑っていられるんだよ……
色んな感情が渦巻き、ぶつかり合いながら容赦なく心を抉られ、嫌な感情だけが増幅していく。
おかしいよ。
こんなの、まともじゃない……
「工藤も何か歌えよ。ほら」
歌い終えた五十嵐が、僕にマイクを押し付けてくる。
「……」
「何がいい? 言ってくれれば俺が入れるからさ」
僕の心境を知ってか知らずか。デンモクを構えた五十嵐が、僕に笑いかける。
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