268 / 555

第268話

「工藤」 突然声を掛けられて、ハッと我に返る。 「さっきからじっと見てるけど……あれ、欲しいのか?」 クレーンゲームの景品を覗き込んだ五十嵐が、端っこにちょこんと座ったハムスターのぬいぐるみを指す。 「よく見たらあのハムスター、何となく工藤に似てるよな」 奇しくも、寛司と同じ事を言われる。それが何故だか無性に腹が立った。 無遠慮な五十嵐が土足で踏み入り、寛司との綺麗な思い出までも汚されてしまったような気がして。 「欲しいなら、取ってあげるよ」 得意気な顔をし、五十嵐が腰ポケットから財布を取り出す。 「………いい」 「え、何で?」 「似てないし、……要らない」 冷めた返しに戸惑った五十嵐が、クレーンゲームに手を付いたまま苦笑いを浮かべた。 ドンッドンッドンッ…… テンポの良いリズムと低音が鳴り響く中、液晶テレビの横に立つ五十嵐がマイクを片手に熱唱する。 仄暗く、ヤニ臭い小部屋。 所々剥がれた壁紙。ベタつく床。合皮が破け、剥き出しのスポンジが無残に毟られたソファ。 その無様な内装をカバーするかのように、カラフルな光を放つなミラーボールがゆっくりと回っている。 さっきのクレーンゲームといい、このカラオケといい。 一体、どういうつもりなんだろう。 「……」 どうして、普通でいられるんだ。 何でそんなふうに笑ったり、楽しんだりできるんだよ…… あんな事があって、苦しくないんだろうか。喉元過ぎれば熱さを忘れる……なんて(ことわざ)があるけど、五十嵐にとっては、そんなものだったのか? ──信じられない。 僕には、理解出来ない。 こうなったのも、元はといえば五十嵐が招いた事だ。真木に相談さえ持ち掛けなければ、こんな事にはならなかったのに。 なんで。何もなかったみたいに出来るんだよ。 過ぎ去ってしまえばもう、五十嵐にとっては関係ないっていうのかよ。 五十嵐だって、見たよね。 張られたテントの中で、変わり果てた寛司の姿を。それに今朝だって、思い詰めたような顔をしてた。 ……なのに、どうして。 どうしてそんな簡単に、割り切れるんだよ。 何もなかったみたいに、笑っていられるんだ…… 色んな感情が渦巻き、ぶつかり合いながら容赦なく心を抉られ、嫌な感情だけが増幅していく。 おかしいよ。 ──こんなの、まともじゃない。 「工藤も何か歌えよ。ほら」 歌い終えた五十嵐が、僕にマイクを押し付けてくる。 「……」 「何がいい? 言ってくれれば俺が入れるからさ」 僕の心境を知ってか知らずか。デンモクを構えた五十嵐が、僕に笑いかける。

ともだちにシェアしよう!