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第295話

緊迫した空気。 現実逃避する僕にも、その空気は充分肌で感じる。 「……最悪な家庭環境だったんだ。 お気に入りの風俗嬢に入れ込んでいた親父は、母に内緒で方々から借金をしていて、挙げ句、会社の金にまで手を付けて懲戒免職になった。 その借金返済の為に身を粉にして働いていた母は、ある日突然失踪した。……俺が六つの時だ」 「……」 「無職の癖に、闇金で借りた金で遊び呆けてた親父は……酔っ払って帰ってきては、子供相手に本気で手を上げる始末。 親父に脅えながら……それでも妹と二人、ずっと助け合って生きてきたんだ……」 「……」 胸の奥が、ざらつく。 五十嵐の話を聞きながら──母から受けた執拗な嫌がらせや体罰がフラッシュバックし、精神(こころ)が震える。 「十五になって、俺の身体がデカくなったせいか……親父は家に寄り付かなくなった。 暴力からは逃れられたけど、今度は借金取りが家や学校を彷徨く様になって。……生きてく為の金が、無かった。 全く無かった。 食う物も何にも無くて──生き地獄、という言葉が相応しい程に、酷い有様だった。毎日、生き伸びるのに必死だったんだよ」 空っぽの冷蔵庫。 ガランとした備蓄棚。 金目のものは一切無く、ただ雨風を凌げるだけの、古くて狭い住処があるだけ。 朝晩は水で腹を膨らませ、昼は学校の給食で腹を満たす。 筆記用具ひとつ満足に買えず、妹の為に万引きした事もあった。 そのうち電気や水道が止められ、中学生でも雇ってくれる仕事を必死で探し……汗水垂らして稼いだその僅かな給料を、匂いを嗅ぎつけた借金取りに容易く毟り取られた。 中学卒業と同時に就職し、朝から晩まで働き詰めた。 妹にだけは苦労をさせまいと……取り立て屋の目を盗んで貯めた金で、何とか妹を高校に進学させた。 「でも、妹が幸せなら……それで良かった。 普通の女の子が経験するような毎日を、妹には送らせてやりたかったんだ。 それが、俺のたったひとつの『希望』で──俺の『幸せ』だったから」 「……」 『姫は、俺の希望なんっス!』──笑顔を向けるモルの明るい声が思い出され、胸の奥深くで優しく響く。 ──希望が、幸せ……?

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