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第316話
お粥を掬ったプラスチックスプーンが、僕の口元に寄せられる。
「……はい、あーんして」
「……」
まるで、子に餌付けする親鳥。
離乳食を我が子に与える新米ママ。
「……」
観念して僅かに口を開け、笑顔の五十嵐を下からじっと見つめる。
そのまま視線を逸らさずにいれば、目が合った五十嵐の瞼が僅かに持ち上がり、スッと黒目が逸らされる。
「……あ、あんまり……見るなって」
「……」
「そんな目ぇされたら……照れる、だろ……」
紅く染まっていく頬。
微かに震える、スプーンの先。
僕の中から、何ともいえない感情が込み上げる。五十嵐を食い入るように見ながら、ゆっくりと口に含む。
……知ってる。この感覚。
若葉が取り憑いた時の感覚だ……
「………もっと、頂戴」
とろん、と蕩ける瞳。
首元から匂い立つ、甘っとろい香り。
割り開いた唇から濡れそぼつ舌先を出し、わざと五十嵐に見せつける。
「………や、めろよ!」
持っていた皿を僕に押し付け、完全に僕を視界から追い出す。
「……」
……何それ。揶揄ってきたのはそっちなのに……
同じ感情が再び湧き上がってくるものの……体力の無さからか、その『気』が簡単に消え失せる。
口に残る、お粥に染みついた袋特有の臭い。もはや食べ物じゃない。良く解らないものを食べさせられているようで……中々喉を通ってくれない。
此方を一切見ない五十嵐を視野に入れながら、粥に刺さったスプーンを拾う。
びりびりと、微量の電気が走り抜けるように痺れる指先。
中々言う事を聞いてくれなくて……掬い上げようとしたスプーンが、手から簡単に滑り落ちる。
「………ごめん」
僕の様子に気付き、此方に顔を向けた五十嵐が、眉尻を下げ目を伏せたままそのスプーンを拾う。
「ちゃんと、するから……」
「……」
「しっかり食べて、早く元気になれよ」
何気なしに付けられたテレビ。
結局お粥は、数回口にした後……殆どを吐き戻してしまった。
その後始末やお風呂の準備など、全て五十嵐がしてくれて、申し訳ない気持ちが募る。
この感じ……山頂近くのアジトにいた頃と似ている。だけど違うのは、寛司がもういないという事と──
「……俺、これ好きなんだよね」
部屋に備え付けられてある、32型の液晶テレビ。
そこに映っているのは、バラエティ番組。
芸人達が、ゲストの女性アイドルユニットを取り囲んで、トークを繰り広げている。観客のわざとらしい笑い声が、やけに耳に付く。
僕のベッド端に腰を掛け、笑い声を上げる五十嵐。
その手首には、縛られた跡。
……あんな事があったのに。何事も無かったかのように笑う五十嵐を……今初めて強いと思った。
「さくらは?」
「……」
「もしかして、こういう番組苦手?」
言いながら、五十嵐が此方に顔を向ける。
「……それなら、ちゃんと言えよ。
言わなきゃ伝わらない事って、あるんだからな」
「……」
その台詞を聞くのは、3度目。
初めて会った時と、こっちに戻ってきた時にも言っていた。
……自分は、ひた隠す癖に。
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