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第329話

恐怖と性欲──何方が勝るのかは解らない。 だけど単純な愁なら、人参を目の前にぶら下げて走らされる馬のように、本能で僕の言う事を聞こうとするだろう。 トロンとした瞳を愁に向けたまま、僅かに割り開いた唇からチロリと舌先を覗かせる。 首筋から湧き立つ、芳醇で甘っとろい匂い。 若葉のそれとは比べ物にならないものの、愁にあてるには充分すぎる。 次第に若葉と化していく僕を、もう僕自身止められない。 「それで──工藤をこれからどうするつもりですか」 「………しつこいね、君も」 少し呆れたようなに溜め息をつくものの、何処かこの状況を楽しんでいる様にも見える。 「──まぁいいや。君はよく働いてくれたからね。 特別に聞かせてあげるよ。……僕の過去も交えてね」 繁華街を抜けた車は、一級河川沿いの二車線をただ只管真っ直ぐに走り続ける。 自然に囲まれていて、殆ど何も無い田舎道。視界に映る景色は、だだっ広い田んぼと遠くに見える住宅街。時折道沿いに現れる店は、大手のコンビニが殆ど。 閑静な風景と青信号が続く中、吉岡が静かに口を開く。 「僕が、太田組組長の隠し子……っていうのは、当然知ってるよね」 「……」 「父との駆け引きに利用する為に……まぁ簡単に言えば、産まれてくる子供の為に責任取ってよ的な感じで、結婚を迫る為に母は僕を孕んだんだ。 だけど結局、産んだ所で僕の存在は使い物にならなくてさ。当然僕はお払い箱。出生届も出されなかったから、僕は戸籍上、この世に存在しない人間なんだよ」 「……!」 ルームミラーに映る五十嵐の目が僅かに見開かれ、一瞬だけ吉岡に向けられる。 「文字通りの『隠し子』だ。 古臭い三畳一間のアパートに閉じ込められ、最低限の食事だけを与えられる毎日。……まるで、ブタか何かの家畜だ。 でも、それが正しいか正しくないかなんて、閉鎖された世界しか知らない僕には、その判断のしようもない。人としての尊厳も教養も与えられず、社会との接点を断たれたまま……身体だけが大きくなったからね」 「……」 「そんなある日。僕は初めて精通した。 それが一体何なのか。何が起きたのか。よく解らず、ただその変化に恐ろしさを感じたのを覚えてる。 汚れた下着を風呂場で洗っていたら、酔っ払って帰ってきた母に見つかって、酷く焦ったよ。 そしたら母は突然女の顔に変わって、知らない男の名を口にしながら服を脱ぎ始めて……僕に迫ってきた」 「──!!」

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