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第347話

此方の様子に気付いた巡査官が振り返る。 激しい雨のせいか。ビニール傘や制帽のツバが作る影のせいか。表情は良く見えないものの、男が僕を見据えているのだけは解った。 「………そこ、何をしている!」 目が合って直ぐ、男が足早に近付いてくる。 その威圧的な声に驚いた五十嵐が、勢いよく振り返った。 「本当。……何してんだよ、愁」 ボソッと背後から聞こえる、屋久の低い声。 巡査官に気を取られていたせいで、ビクッと僕の肩が大きく跳ね上がった。 「大事な大事なお姫様を、俺の許可無く汚してんじゃ、ねぇよ──」 「………いてぇっ!!」 愁の手が、身体が、僕からスッと引いていく。 一体、後ろで何があったのだろう。……解らない。 それを確認する間もなく、近寄った巡査官が五十嵐の二の腕を鷲掴み、何処かへと引っ張っていく。 そして、残された僕は── 「………、こっちだ」 ザァ───ッ 激しい雨。 濡れた警官の帽子から、ぽたぽたと落ちる雫。 僕を見据える瞳。 鋭く尖り、吊り上がった目尻。 寛司よりは若く見えるけれど……面長で大人びた顔つき。広い肩幅。太い腕。 吉岡の様に高身長ではないものの、ガッシリとした身体のせいで感じる……迫るような威圧感と存在感。 「また、逢えたね──」 夏なのに──寒い。 雨のせいじゃない。 何故だか……この人の瞳が、とても怖い。 ……なのに、全然目が離せない……… 「……」 小枝のようにポキッと折れてしまいそうな、僕の手首。それをそっと掴み上げられた瞬間──突然強い風が吹き、奪われた傘が宙に舞い上がる。 「………嬉しいよ、工藤さくら」 ふわりと足元に落ちる傘。 頬を伝う、雨雫。 見上げたままでいれば、もう片方の男の手が、濡れた僕の頬を包み込む。 違反車。巡査官。 透明なビニール傘。 激しい雨。点滅するハザードランプ。 その色が濡れ広がる路地。 此方には一切興味のない通行人達が、忙しなくただ通り過ぎていく。 その中心で、僕とこの男の時間だけが止まっているように感じた。

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