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第349話

此方の様子に気付いた巡査官が振り返る。 激しい雨のせいか。ビニール傘や制帽のツバが作る影のせいか。表情は良く見えないものの、男が僕を見据えているのだけは解った。 「………そこ、何をしている!」 目が合って直ぐ、男が足早に近付いてくる。 その威圧的な声に驚いた五十嵐が、勢いよく振り返った。 「本当。……何してんだよ、愁」 ボソッと背後から聞こえる、屋久の低い声。 巡査官に気を取られていたせいで、ビクッと肩が跳ね上がる。 「大事な大事なお姫様を、俺の許可無く汚してんじゃ、ねぇよ──、」 瞬間──愁の手や身体が剥がされ、スッと背後へ消えていく。 「………いてぇっ!!」 背後で、一体何があったんだろう。……解らない。 それを確認する間もなく、駆け寄った巡査官が五十嵐の二の腕を鷲掴み、何処かへと引っ張っていく。 そして、残されたのは─── 「………こっちだ」 ザァ───ッ 激しい雨。 濡れた警官の帽子から、ぽたぽたと落ちる雫。 僕を見据える二つの眼。 鋭く尖り、吊り上がった目尻。 面長で大人びた顔つき。広い肩幅。太い腕。 吉岡のように高身長ではないものの、ガッシリとした身体つきのせいで感じる……迫るような威圧感と存在感。 「また、逢えたね──」 夏なのに──寒い。 雨のせいじゃない。 何故か……この人の眼が、とても怖い。 ……なのに、全然目が離せない……… 「……」 ……え…… 小枝のようにポキッと折れてしまいそうな、僕の細い手首。それを掴み上げられた瞬間──突然強い風が吹き、奪われたビニール傘が宙に舞い上がる。 「………嬉しいよ、工藤さくら」 ふわりと足元に落ちる傘。 頬を伝う、雨雫。 見上げたままでいれば、もう片方の男の手が、濡れた僕の頬をそっと包む。 違反車。巡査官。 透明なビニール傘。 激しい雨。点滅するハザードランプ。 その色が濡れ広がる路地。 此方には興味のなさそうな通行人が、ただ只管に通り過ぎていく。 その中心で、僕とこの男の時間だけが止まっているように感じた。

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