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第322話
「おやすみ、さくら」
脱衣所からベッドまで、五十嵐が僕をお姫様抱っこで運ぶ。
邪魔なペットボトルを奪い取ると、空いた僕の右手をそっと掬い上げ、その指先に優しくキスを落とす。
まるで、何処かの国の王子様の口付けみたいに。
「大丈夫だから。安心して眠れよ」
そう囁いた唇が、今度は搔き上げられて剥き出しになった僕の額にそっと押し当てられて……
「……」
少し乱れた髪。それを、五十嵐の指先が丁寧に整える。
軽く僕の頭を数回、ゆっくりと撫で……まるで愛しいものを見つめるかのように、細めた瞳で真っ直ぐ僕を見下ろす。
「それじゃあ、明日な」
「……」
無反応な僕に笑いかけ、片頬をひと撫でした後ベッドから離れていく。
もし、五十嵐と逃げたとしたら……一体どうなってしまうんだろう。
このまま囚われるのと、五十嵐に囚われるのと、一体何が違うというのだろう……
その背中を目で見送りながら、ぼんやりとそんな事を考える。
ふと思い出されたのは、レンタルショップ店員のハルオ。
何となく、今の五十嵐と似ている気がする。何処にも行く宛のない僕を受け入れ、家に泊めてくれたばかりの頃の、親切なハルオに。
頼ったせいで勘違いをしたハルオは、僕にその気がないのを解っていながら……僕の全てを奪い、思い通りにしようとした。
まるで、真綿で首を絞めるように……じわじわと追い詰めて。
五十嵐も、そうなってしまうんだろうか。
蕾に襲われた夜──薄れゆく意識の中で、五十嵐が必死に何かを訴えていたけれど……最後の方は良く思い出せない。
寛司から僕を奪って、セックスしたかった……という所だけ、やけに耳が憶えてるけど。
微睡みの中で感じる、息苦しさ。
自分の首に触れてみれば、そこには透明な首輪が嵌められていた。
括られた透明なリード。その先をを握るのは──五十嵐。
哀れむような、支配しようとするような目で僕を見下ろし、優しく話し掛ける。
『おいで。一緒に、暮らそう……さくら』
……嫌だ──!
僕は、五十嵐の飼い犬なんかじゃない。
僕は、僕だ──
確かにある首輪を両手で掴み、外そうともがく。だけどそれを許さないと、五十嵐がリードを引っ張る。
嫌だ……
──やめっ、!
それに抗った瞬間──微睡みから一気に目が覚める。
身体に蘇る、リアルな感覚。指先の痺れ。
心臓がやけに大きく暴れ、中々落ち着いてくれない。
ゆっくりと深呼吸をしながら瞼を持ち上げれば、そこには……
「……」
暗闇に一層輝く、赤いランプ。
見ている事を敢えて主張し、僕への監視を片時も逃さない。
その視線に、一瞬で息をが止まる。
瞼が持ち上がったまま……赤いランプから、目が離せない。
「……」
……逃げ場なんて、ないんだ。
僕には最初から、そんなものなんて──
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