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第353話
『……あぁ、そうだ。
姫は確か、自分がこの世に存在する事を恐れていたようだけど──』
『……』
『別に、気に病む事は無い。
もう誰かを傷つけたり、傷つけられたりする事はないから。……ここに居る限りはね』
基泰と共に部屋を出ようとする屋久が、そう言って僕に微笑む。
その表情は、まるで笑顔を貼り付けたかのようで、気味が悪い。
一体、何を企んでいるというんだろう。
何を思って、僕を飼おうとしているんだ。
ふと、巡査官の格好をした屋久が、食い下がろうとする吉岡を宥めていた光景を思い出す。
全ての黒幕は、吉岡だと思っていた。
車内で暴露していた内容は、全て辻褄が合うし……それ以前から、竜一との事で何となく疑わしくは思っていた。
だけど、その吉岡を駒にしていたのは──恐らく、屋久だ。
ホテルで蕾をわざとらしく襲わせて、五十嵐を宛がって、僕に散々な事をしたのに──この手のひらを返す行為の、真意が解らない。
──だけど。
もうこれ以上、何処かに売り飛ばすつもりはないようで、内心ホッとする。
「………」
これまで、色んな事が目まぐるしく起こりすぎていて……何だか疲れた。
もう、僕のせいで傷付く人がいなくなるのなら──もう、それでいいのかもしれない。
飽きられるまで飼われて、それから処分されたって、いい。
それが僕の運命なら……それに従うしかないのだから。
泥の底に沈んだここが、命の尽きる場所なら……もう、ここで静かに眠りたい。
ゆさ、ゆさ……
身体を揺さぶられ、ゆっくりと瞼を開ける。
どれだけ疲れているんだろう。いつの間にか、また眠っていた事に気付く。
「──オイ、飯だっ。ここを開けろ!」
ドンドンドンッ、!
廊下から聞こえるのは、激しくドアを叩く音と男の怒鳴り声。
驚いて目をぱちんと開ければ、視界の端に映る人影。
僕の傍らに立ち、僕の身体を揺するその手の主は──
「………らい……?」
どうしたというんだろう……視線が定まらず、そわそわと落ち着きがない。
「………!」
僕の二の腕に触れた手の指先が、酷く震えている。
僕を……僕の寝込みを襲って、恐怖に陥れた人物とは思えない。
「…………ご、……ごめん、なさ……っ、」
ドアの方に顔を向け、大きく見開いたまま、酷く脅えている。
僅かに動かした唇から漏れる声。驚く程掠れ、小刻みに震えている。
「………」
解らない。
よく、解らないけど……あんな酷い目にあって、怖くて身体が震えるのに──
ドンドンドンドンッ!
「──おい、蕾! 何やってんだよっ!」
脅えるその手に触れ、安心させてあげたい、なんて……思ってしまった。
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