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第362話

──まさか、蕾が……? 蕾を見つめながら、ケットを折り畳む。 小さくなったそれを両手で抱え、椅子から立ち上がる。 これ、返した方が……いいよね…… 「……」 怖い──手足が、呼吸が震える。 けど、怖くない。 大丈夫。 蕾のスイッチが切り替わるものは、この部屋の中には無いんだ。 そう何度もいい聞かせて、一歩、また一歩と蕾へと近付く。 「……」 傍らに立ち、上から顔を覗き込めば、蕾は目を瞑って寝息を立てていた。 そこに邪心はなく、少しだけ面長で整った顔立ちながら、幼子のように無防備な様子で眠っていて。 ……何だろう。良く解らない、不思議な感覚に襲われる。 抱えていたケットを広げ、身を縮めて横向きに眠る蕾に、そっと肩まで掛けてあげる。 細くて柔らかそうな赤い髪。その毛先が、掛けた時にできた小さな風に煽られてふわりと浮かぶ。やがて元の場所に着地すれば、重みでさらさらと滑り落ちる。 その横髪が、瞼や長い睫毛に掛かり、思わず手を伸ばす。 だけど、触れる直前で思い留まり、直ぐ様パッと引っ込める。 「……」 やっぱり、兄弟だからか。 姿形はモルに良く似ていて……多分、そのせいなんだろう。つい心を許してしまいそうになる。 あの夜の事は、……未だに許せていないのに…… 踵を返し、食べ散らかしているカウンターへと戻る。 怒鳴り声に脅える蕾。 基泰や屋久に忠実な蕾。 僕を気に掛ける蕾。 暗闇の中で襲い掛かる、蕾── 脳裏に次々と浮かんでは消える、様々な蕾の表情。 同じ一人の人間なのに、その側面は全然違っていて。 どれが本当の蕾なのか……見失いそうになる。 「……」 触れようとした手のひらを広げ、じっと見つめる。 何故かは解らないけど。 ……蕾の事を考えるだけで、心が震えて止まらない。

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