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第397話
×××
長すぎる袖を肘上まで捲り上げるものの、腕を下ろす度にストンと落ちてしまう。
「……可愛いな、お前」
声に釣られて見れば、隣に座る基泰が僕の様子を微笑ましげに見つめていた。
車内にある料金メーター。その数値がカチンと上がる。
タクシーの運転手がカーラジオのボリュームを上げれば、パーソナリティの軽快な声が響く。
「ほら、腕貸してみろ」
「……」
言われるままに腕を出せば、手首が見える位の長さまで丁寧に折り畳んでくれる。
「細ぇ腕」
「……」
「何か、エロいな」
「……え……」
「こうしたら、裸に俺のシャツ被ってるようにしか見えねぇ」
そう言いながら基泰が手を伸ばし、シャツの前を合わせてみせる。
「……」
ふわりとする、基泰の匂い。
じっと基泰の顔を見つめていれば、不意に向けられる……基泰の黒眼。
───ドクンッ、
目が合った──ただ、それだけなのに。
心臓が、大きな鼓動を打つ。
合わせた瞳は、穏やかで落ち着きながらも、何処か色を含んでいて……
「……」
やっとの思いで目を伏せ、その視線から逃れる。
──震える指先。
どうしたんだろう。
何か……おかしい。
お仕置きされてから………いや、違う。
あの箱庭に連れて来られてから、何かおかしい。
ヘンな夢を見たり、触れて欲しいと、身体の深部が疼いてしまったり……
……まさか……
この身体の中に流れてる、若葉の血のせい──?
「……」
歩行者信号から流れる、鳥の鳴き声。
寂れた電気屋から漏れる、懐かしいCMソング。
駅方面から聞こえる、構内放送と発車ベル。
疎らに行き交う、人々の足音。話し声。
田舎町の喧騒。
一体、何処へ行くつもりなんだろう……
駅前のロータリーでタクシーを降りてから、裏通りに入った道を暫く歩いている。
古びた雑居ビル。パチンコ店。コインパーキング。表通りの商業施設や飲食店が立ち並ぶ賑やかさはなく、歩く人ももう殆ど見掛けない。
「……」
逃げようと思えば、もしかしたら簡単に逃げられるかもしれない。
でも……箱庭 に蕾を残して逃げる訳にはいかない。
──それに……
斜め前を歩く、基泰の背中。
それが視界に映る度に、風に乗って匂いがする度に……そんな考えは萎んでいき、大人しく後をついていく。
まるで見えない首輪を括られ、見えないリードに引かれているかのように。
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