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第411話
「………さくら」
数時間前。
珍しく一緒に朝食を摂った屋久が、洗い物をする僕の背後に立つ。
その声は甘くねっとりとしていて、肌に纏わり付くような感覚に嫌悪感が増す。
「今日は遅くなるから、良い子にして早く寝るんだよ」
「……」
両肩を掴まれ、僕の肩越しから屋久の蒼眼が迫る。耳元に掛かる熱い吐息。サラサラと滑り落ちた金色の長い横髪から、微かに香水の匂いがした。
ふと感じる、前方からの強い視線。顔を上げ、目を向けたその先には──背を向け、シャツに着替えながら警戒した目を向ける、基泰の姿が。
「………それじゃあ、行ってくるね」
その視線に、気付いているのかいないのか。ついでとばかりに唇を寄せ、僕の耳朶を柔く食む。そしてリップ音を立てながら、頬、首筋に軽くキスを落とす。
その瞬間──鋭く尖る基泰の眼光。
真っ直ぐ突き刺すように向けられたそれは、殺意にも似ていて……
初めて見るその姿に、ざわざわと胸がざわめき、一抹の不安が過った。
『すげぇ、大事にする』『守ってやる』──喫茶店での一件から、基泰の態度が明らかに変わった。
それまでは、屋久の強行なやり方にも柔軟に対応し、つけいる隙がない程二人の仲は固い絆で結ばれて見えた。
でも、内情を知ってしまえば、それまで見えていたものが全然違ったように見えてくる。
基泰の態度から感じる、二人の間に出来た亀裂。生まれた溝。
もしそれが、僕に関係するのだとしたら……
「……」
これから、どうなるんだろう……
不安に駆られる僕を、ガラス越しに差し込む太陽の光は相変わらず優しくて。
暖かくて、心地いい。
このまま身を委ね、細胞ひとつひとつを隔てる壁を全て溶かして、跡形もなく消えてしまえたらいいのに──そう、心の中で強く願った。
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