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第415話
×××
言葉の持つ力って、不思議だ。
それまで感じていた重苦しさが、いつの間にか消えている。
実現する保証なんてない、ただの夢物語なのに。心がじんわりと温かくなって、救われているような気がしてくる。
現実は、何一つ変わっていないというのに……
ドライヤーを掛け終わり、蕾の長い髪を櫛で梳かす。
サラサラとして艶やかな髪。モルと同じ、綺麗な赤色。
後ろで一つに纏めようとすれば、ヘアゴムを掛けた方の手首を、不意に掴まれる。
「………つぎ、俺……する」
「え……」
スッと立ち上がった蕾が、僕の手を引っ張って空いたイスに座らせる。驚きつつも蕾を見上げれば、相変わらず汚れのない笑顔を浮かべていた。
「さくら、は……お客さん」
嬉しそうな様子で椅子を半回転させ、カウンターに置かれた鏡越しに、得意気にドライヤーと櫛を拾って構える蕾。
「……」
あれだけ触れるのを怖がっていたのに……
手首に残る、掴まれた感触。そこを、もう片方の手でそっと擦る。
「俺、……ラーメン、食べたい」
「………」
「さくら、は……?」
ブォーッ
後ろ髪を拾い上げ、ドライヤーを当てながら蕾が質問してくる。美容師を気取っているんだろう。
「………うん、……いいね。ラーメン」
少し俯いて答えれば、嬉々とした雰囲気が背後から伝わってくる。
元々蕾は、明るくて優しい性格だったんだろう。誰からも好かれて、周りには人が集まって……光り輝く、クラスの中心にいるような。
──それがある日、突然奪われてしまった。
じめじめとした、暗闇の底に突き落とされて……もがき苦しむ日々。
運命の歯車さえ狂わなければ──そう思うと、胸の奥が抉られるように痛む。
メモ用紙に、欲しい食材を書き出していく。
生麺タイプの味噌ラーメン。キャベツ。人参。玉葱。もやし。
思い付くものを次々とメモしていると、髪を無造作に結った蕾が覗き込む。
「他に、何か欲しい物はない?」
「………ゆでたまご!」
「確かに。……それは、必要だね……」
うっかりしていたとばかりに小さく笑みを漏らせば、蕾が嬉しそうに笑う。
「さくら、やっと笑った」
「……え……」
手を止め、蕾を見上げる。
お風呂で見せたそれには、何の効力もなく……心の内を見透かされていた事に驚く。
「良かった」
「……」
陽だまりのような、優しい笑顔。
柔らかくて、穏やかで………温かい。
こんな風に笑う蕾を、今まで見た事がない──
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