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第444話

「……はいよっ」 目の前に出される、香ばしい匂いの焼おにぎり。出汁醤油が染みこんでいるんだろう。長皿に乗った二つのそれは、こんがりと小麦色に焼け、編み目模様のお焦げもある。 ぐぅぅ~ 空いて鳴る腹を咄嗟に押さえれば、その音に気付いた桜井が、破顔する。 「……それだけ派手に鳴れば、全部食えるな!」 「……」 砕けた雰囲気の桜井に僅かながら心が揺れるものの、それでも屋久は警戒するように睨みつける。 生まれてからずっと、悪意を含んだ眼しか向けられてこなかった。優しさに触れた記憶もない。なのに突然、違う眼を向けられ……どうしていいか解らず、揺れそうになる瞳をじっと堪える。 「………お前、狂犬みたいだな」 「……」 「でも今のままじゃあお前は、組織の捨て駒で終わる。親父の養子でも、だ」 真面目な顔付きに戻った桜井は、カウンター端の灰皿を引き寄せ、煙草を口に咥える。 「お前、基泰をどう思う?」 「……」 「あんな木偶(でく)の坊でも、親父の実子……つまり、それだけで護られるべき存在だ」 「……」 屋久を横目で見た後、ふぅ、と煙草の煙を上に向けて吐き出す。 「『血は水よりも濃い』と言うだろう? 親父にとっちゃあ基泰は、どんなに醜かろうが劣ってようが、例え組織を裏切ろうが……何者でもねぇお前の命よりも尊いんだよ」 「……」 「解るか? さっきお前はバックの中身に気付き、後を付けた。たったそれだけのルール違反で、お前は簡単に切り殺される存在なんだよ」 「……」 半分程吸い、桜井が煙草を灰皿に揉み消す。燻る煙が消えると、利用価値のないその物体が桜井の手から離れる。 「いいか、基成。大事なのは『信頼』だ。この世界は、信頼関係をどれだけ築けたかで、ソイツの価値が決まる」 「……」 「まずは、周りから信用される存在になれ。それから基泰より優れた人間である事を証明し続けろ。そうすりゃあ、親父はお前を認めざるを得なくなるだろう。……それに」 「……」 「お前が知りたい情報(もの)も、自ずと舞い込んでくるだろうよ」 「……」 流し目をする桜井を下から見据えながら、屋久はこくんと小さく頷く。 しかし、能弁ばかり垂れる桜井を信用した訳じゃなかった。 人の心は、簡単に移りゆくもの。それは、短い人生の中で得た唯一の教訓──ヤク中になる前の母に泣かれ、その度に盾にされた屋久は、ラリって凶暴化した父から殴る蹴るの暴行を受け、母の身代わりに犯されてきた。 その心は既に渇ききっていて、多少の水滴を与えられただけでは直ぐに蒸発してしまう。まるで、砂漠の砂のように。 「何かありゃ、俺に言え。年の離れた兄だと思って頼ってくれていい」 「……」 「俺はいつだって、お前の味方でいるからな」 「……」 その台詞に、一瞬でも揺らめいた心が冷める。 目の前に出された焼き鳥や焼おにぎりが、餌付け用の餌に見えた。

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