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第450話
「でも、その取引ももう終わりだ。飽きて、利用価値も無いらしい」
「………そんな」
「同情してくれるの? 優しいんだね、基和は」
そう言って目を細め、基和に穏やかな眼差しを向ける。その瞳の奥に、ドス黒い闇を秘めながら。
「──もし、俺を少しでも想ってくれるなら……やって欲しい事があるんだ」
眉尻を下げ、吐息混じりにそう切り出せば、屋久を崇拝して止まない基和は、迷い無くこくんと頷く。
「それが、モズ事件の真相だよ」
──え
次々と、点と線が繋がっていく。
『どんなに複雑そうに見えても、蓋を開ければ理由なんて、至極単純明快なんだよ』──確か吉岡は、そんな事を言っていた。
でも……
「被害に遭った基和の彼女は、桐谷の娘」
恨みを晴らす為に、関係のない人まで巻き込むなんて──
悪びれた様子も無く、淡々と語る屋久。
動揺を隠せず、屋久を見る瞳が小さく揺れる。
「……」
「まさか姫。俺が恨み辛みだけでやったとか、思ってないよね。
………これは、警告だよ。取引を続行させる為のね」
カラカラカラ……
Mが、点滴ホルダーを転がして部屋の端へと移動する。その乾いた音に緊迫感が裂かれ、少しだけ空気が緩む。
「……さて、ここで姫に問題」
掛け布団の端を退かし、空いたスペースに腰を掛けて僕を見下ろす。
「姫の乗ったトロッコが、暴走してしまいました。
このまま進んでいった先には、5人の作業員がいる。しかし、転換機を押して方向転換すれば、その先には1人の作業員が。……さぁ、どうする?」
「………え」
困惑する僕に、屋久が口角を僅かに上げて微笑む。
「これは『トロッコ問題』といって、多くの人を助けるか、1人を助けるかという……心理学の問題だよ」
「……」
「俺は、間違った事をしたとは思っていない。
桐谷の大切な大切な一人娘が犠牲になる事で、多くのスネイクメンバーが助かったんだからね」
──そんな……
胸の中が、ざらざらする。
屋久から視線を外せば、そっと頬に指が触れる。
「多くの者は、1人か5人かの選択を迫られた時、数の少ない1人を選ぶ。……でも、もしその1人が、自分にとって大切な人であったら……?」
「……」
冷たい指先。
僕の心を察してか、肌の上をそっと滑る。
「これは、世の中の常だよ。
弱者は強者に虐げられる。強者に選ばれない限りはね。
戦争や革命だってそうだろう。多かれ少なかれ、犠牲はつきものなんだよ。
そして姫も、誰かの幸せの為に傷つけられた事はあるよね」
「……」
「……俺もそうだよ。多くの者が幸せになる為に……傷つけられた」
屋久が、もう片方の手で自身の下腹を押さえる。
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