459 / 558
第456話 **
×××
ポチャン……
浴室に響く水音。
濡れた前髪の毛先から、滴り落ちる水滴。それが、浴槽の水面に綺麗な波紋を作り、大きく広がっていく。
その行き先には……誰もいない。
いつもは笑顔を浮かべる蕾が、そこにいるのに。
「……」
……蕾……
今頃、何処でどうしてるかな……
窮屈だと思っていた浴槽に、足を伸ばせるスペースがある事が……何だか淋しい。
小さく膝を折り畳み、背中を丸める。
今までずっと、一人でいいと思っていた。
誰も僕を見ない。近付こうとしない。解っても貰えない。
声を上げた所で、誰にも届かない。
それならいっそ、誤解されたままでいいから……僕に構わないで欲しかった。
優しい顔して僕に近付いてくる奴は、アゲハに近付く為の踏み台にするような人達ばかりで。とても信用できず、自ら突っぱねて遠ざけていた。
でも……今は違う。
蕾とここで再会してから、初めて自ら関わりを持とうとしたし……蕾の内情を知って、僕が守りたいと思った。
接する度に笑顔が戻り、人間らしく生まれ変わっていく蕾の姿を見るのが嬉しくて。何だか解らない……心の中に花が咲いたように、穏やかで温かな気持ちになれた。
だけと──
ピチョン、ポチョン……
二つの波紋が、水面を僅かに揺らしながら交差し、走り抜けていく。
その情景は、先日男達に襲われた光景を容易に思い出させた。
「……」
迫り来る男達を必死で止めようとしてくれた。豹変した『蕾』にさえも……自ら腕に噛み付いて、止めようとしてくれた。
そんな蕾を、失いたくない。
もし誤解されて、何処かで酷い目に遭っているのだとしたら……僕が屋久に、ちゃんと伝えなくちゃ。
蕾は、僕を助けようとしてくれたんだって。
脱衣所に用意されていた部屋着に腕を通す。滑らかで肌触りが良く光沢のあるそれは、きっと凄く高いものなんだろう。
備え付けのフェイスタオルで髪を軽く拭き、ふと鏡に映る僕を見れば……やけに窶れた顔をしていた。
部屋に戻ると、ふわりと美味しそうな匂いがする。
「一緒に食事でもしようか」
カウンターでドリンクを用意する屋久が、僕に微笑みかける。
ダイニングテーブルには、二人分の食事。シンプルに、パンとシチュー。
デリバリーなんだろう。ここで調理した様子は見られない。
「座って」
「……」
グラスを二つ持ち、テーブルへと向かう屋久の指示に従い、足先を向けた。
ともだちにシェアしよう!