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第470話 もう一人の『僕』
×××
「それじゃあ、始めようか」
二人だけの夕食が終わり、部屋着のままベッドに横たわる。屋久に差し出す左腕。その内側に、注射を打たれる。
「……」
何とも言えない、チクンとした痛み。
あんな細い針なのに……どうして一瞬の鋭い痛みに、身構えてしまうんだろう。
ザァァ……
……カタカタカタ
朝から雨が降り続き、時折強い風が吹き荒れる。
窓際に立ち、以前住んでいたアパートをぼんやり眺めていると、夕食の洗い物を終えた屋久が近付き、僕を背後から抱き締める。
「何を考えてる?」
「……」
「また、あの男の事かな」
「………基成」
「ん?」
「約束のピアス、いつ付けてくれるの?」
濡れた窓ガラスのせいで、歪になる視界。灯りのない部屋。
重なるようにして薄ぼんやりと映る、首輪をした僕。
これは、ハイジに付けて貰ったものと同じ形をしてるけど……そのものじゃない。
他に、縋れるものがない。
……もう僕には、竜一のピアスしか……
「そうだね。もう少し太って、……抱き心地が良くなってからにしようかな」
「……!」
熱い吐息が耳裏に掛かり、ゾクッと震える。それに気付いたのか。今度はわざとらしく息を吹き掛け、僕の耳殻を甘く食む。
ザザ、ザァァァ……
強い突風が吹き、パチパチと窓ガラスを激しく打ちつける雨。
「姫は、『インナーチャイルド』って、知ってる?」
「……」
突然投げかけられた質問。
僕の質問には、ちゃんと答えてくれなかった癖に。
無言のまま唇をキュッと噛み締めれば、僕を抱き締める屋久の手が僕の胸元へと移動し、立てた人差し指の先でトントンと二度叩く。
「ここの奥には、過去に虐待等で心に傷を負った、幼い自分がいるそうだよ」
「……」
「その子を助け出し、抱き締めてあげる事で、過去に囚われていた苦しみから解放される。
──つまり、姫の望む生き方が出来るようになるんだ」
「……」
僕の望む、生き方……?
本当に、そんな事できるの……?
「トラウマを抱えた人が、楽に生きる為の治療法のひとつだよ。……試す価値はあると思わない?」
「……」
ザァァ……
降りしきる雨の情景を眺めながら、窓ガラスに薄ぼんやりと映る屋久に、ゆっくりと首を縦に振った。
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