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写真の中のあいつ4

「あんた…誰だか知らねえけど、駄目だ。道元坂を殺さないでくれ」  携帯の向こうでクスクスと失笑する声が聞こえた。 『殺したくても、今、貴方が恵の前に立っている限り…ここからは狙えませんよ』  通話がそこで途切れた。  ほっと息をつくと、ぐっと腰を引き寄せられた。顔をあげると、道元坂がニヤリと笑っていた。 「な…なんだよ。っつうか、何だよ。腰なんて掴んで」  道元坂もくくっと喉の奥で笑いだした。 「今頃、あいつ。ビルの上で猛烈に怒っているかと思うと、笑いが止まらないよ」 「そんなにおかしいのかよ。恋人なんだろ、そのスナイパーとかいう奴と」 「は?」と、道元坂が目を丸くした  片方の唇を持ち上げて、意味ありげに微笑むと、漆黒の髪を掻きあげた。 「やめてくれ。あんな針ネズミみたいなヤツ。私のタイプじゃない」  道元坂が俺の腰にある手を、少し下にして尻を撫でた。 「名残惜しいよ、智紀」  チュっと俺の額にキスを落とした道元坂が、歩いて政巳さんの部屋を出て行った。 ……や、てか……杖は? 杖なくても歩けんのかよ! 何なんだよ…嵐のように去っていきやがって。  俺に消えない欲望だけ植え付けて、勝手に帰ってんじゃねえよ。  俺は『ちっ』と舌打ちをすると、両腕を擦った。  がさっと布団の動く音がして、俺は部屋を片付けている手を止めた。 「政巳さん、大丈夫?」 「あ…あっと、あれ? 俺、気を失ってたのか?」  傷だらけの身体を起こした政巳さんが、「いつっ」と痛みで顔を歪めた。 「駄目だよ、急に起きたら。怪我してんだから」 「あ…あ、そっか」  政巳さんが、額に手をあてると、腕にある傷や痣をじっと見つめた。 「あの…今日、雑誌社に持っていこうとしていた記事のせい?」 「たぶん、ね」  政巳さんが、ガシガシと後頭部を掻いてから、ふふっと笑い声を漏らした。 「…てかさ。知ってんじゃねえの? 俺を道元坂に売ったんだろ?」 「え? 政巳さん、何を言って…」  今までの政巳さんとは思えないほど、鋭い目で俺を睨んできた。 「じゃなきゃさあ。辻褄が合わねえって。道元坂の写真を撮って、雑誌に売り込もうとしたから。お前、怒ったんだろ?」 「政巳さん? 何を言ってるんだよ」 「俺が、何も知らないとでも思っているのかよ。道元坂の情夫のくせに」  俺は、政巳さんの言葉に目を大きく開けた。  何だよ、それ……。俺が道元坂に抱かれてるって知っていて、近づいてきたってことかよ。 「もしかして俺が道元坂と知り合いだから…優しくしてくれたのか?」 「わからなかったのか? 一獲千金のチャンスだと思った。道元坂に捨てられて、恨んでいると思ってたしな。だけど、昨日の写真を見たあんたを見て、違うと知ったよ」 「…んだよ、それ」 「道元坂がここに来て、お前が告げ口したんだってすぐにわかったさ。道元坂は始終とぼけたツラしてやがったけど」  俺自身を見て、親切にしてくれたわけではなかった。 俺が、道元坂を知っているから…ジャーナリストとして有名になるために、俺を利用しようとしていたのかよ。  ふざけんな。道元坂より、最低じゃないか。道元坂なら、他人を利用して上に行こうとしない。  道元坂なら…きっと、邪魔な奴を蹴落として上にいく。バカだな、俺。利用されていたことに気づかずに、甘えてたなんて。しかも、俺はこいつに抱かれた。最低、最悪だよ。 「道元坂んとこに、戻りたかったのに…残念だったな。ここにいるってことは、道元坂が連れて行ってくれなかったんだろ?」  違う。俺が、俺の意思でここにいるんだ。道元坂は、そんなことは言わない。  道元坂のマンションを勝手に出て行った俺に『戻ってこい』とか『また一緒に』などという言葉は絶対に言う人なんかじゃない。  道元坂と一緒に過ごした時間が少ないけど、あいつは…俺を女みたいに扱ったりしない。  俺は立ち上がると、「世話になったな」と部屋の隅にあるスポーツバックに手を伸ばした。 「どこに行くんだよっ」 「どこだっていいだろ。俺を利用しようとした奴のところになんて居られない」  箪笥の中に入っている俺の服を、スポーツバックの中に荒々しく突っ込んだ。 「他に行く場所なんてあるのかよ」 「ないよ。ないけど、ここにはいられない。それだけだ」 「いればいいだろ。てか、いろよ。ここにお前がいれば、俺の身は保障されんだ」 「は?」  俺は、政巳さんに腕を掴まれて振り返った。  スポーツバックはすでに服でパンパンになり始めていた。 「何…言ってんの?」 「お前がここに、俺に愛されている間は…俺だって殺されずに済むんだよ。あんたが俺を好きでいてくれる間は…な。道元坂もそう簡単には手を出せまい。今日のが良い例じゃないか。俺に怪我を負わせただけで帰っている」 「意味…わかんないんだけど」 「いいから、ここいろ。俺に愛されていればいいんだよ」  俺は政巳さんの腕を払うと、スポーツバックを肩にかけた。 「ふざけるな。俺は男だ。女みたいに扱うな」  政巳さんが、俺の両肩を掴んだ。  無理やり俺を押し倒そうとしたとき、政巳さんの目が見開いた。 「え?」  政巳さんの瞳孔が開くのがわかった。こめかみから一筋の血が流れる。  俺の肩を掴んでいる政巳さんの力が緩むのを感じると、ゆっくりと政巳さんが畳の上に倒れて行った。 「嘘…だろ」  俺はどたんと音とともに、横になった政巳さんの肩を揺らした。 「ちょ…悪い冗談はよしてくれよ。なあ…政巳さん!」  畳の上にじわぁっと赤いしみが広がっていく。  手には温かい血がぬるっと付着する。死んでる…政巳さんが、死んだ?  俺は目を開いたまま、ぴくりとも動かなくなって政巳さんから離れると、壁にぴったりと背中をくっつけた。  なんで? どうして? 窓…そうだ、窓から弾が飛んできて。  俺は道元坂が撃たれたときに割れた窓ガラスに目をやった。 「警告…だけじゃなかったのかよ」  俺はがたがたと震えだす身体を、己自身で抱きしめた。

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