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不器用な愛と恋1
がちゃりというドアノブの捻る音に、俺は驚いてびくっと全身が飛び跳ねた。身体がまるで縛られているみたいに動かない。
俺はゆっくりと首だけを動かして、ドアのほうに視線を動かした。
「智紀」と道元坂が、杖をついて室内に入ってきた。
「どうして…ここに。帰ったんじゃないのかよ」
強がってみるけど……声が震えていた。
身体も震えている。まるで壁に粘着質なものがついてて、そこに背中がくっついてしまったみたいな感じだ。
動けない。血だらけの政巳さんが、こっちを見ている。俺を見ているんだ。
お前のせいだ…と、恨めしい顔で俺を責めているように思えてしまう。
「処分しろ」
道元坂が、後ろに控えている黒服の男たちに命令した。
「はっ」と返事をした数人の男たちが、どどっと部屋に入る。
動かない政巳さんを持ち上がると、さっさと部屋を出て行った。
「ど…どこに連れていくんだよ」
「奴の遺体は処分する。こんなところで死んでいるのを見られたら、確実に警察沙汰になる。ヤツが最近、私を調べているのは数人の人間を捜査すればわかってしまうからな。彼には姿を消してもらう。いつから姿が見えなくなったのか…それともジャーナリストらしく、取材に行ったままなのか。わからないように、な」
「そんなことしていいと思ってるのかよ」
「ああ。それが私の生きている世界というもの。保身のためなら、何でもやる」
「外道だ。鬼畜だ。どうして政巳さんを殺したんだよ」
道元坂がくいっと片方の口の端を持ち上げた。
「生かしておいたほうが良かったか? お前があの男に無理やり犯されそうだったと報告を受けているが?」
俺の頬がかあっと熱くなる。耳も痛いくらいに熱をもつ。
「う…うるさいよ。俺が、誰に抱かれようと関係ないだろう」
「そうか。もう抱かれていたのか。あの男に」
「うるさいっ」
俺は耳を塞いだ。泣きたくもないのに、涙がぽろぽろと流れ落ちた。
俺は、誰にでも足を開く軽い奴だと道元坂に思われただろうか。住処を得るために、身体を売るような人間だと思われただろうか。
俺は身体を丸めて、小さくなる。膝との間に顔を埋めると、耳を押さえたまま、鼻をすすった。
血の臭いが、鼻につく。気持ち悪くなり、俺は「おえっ」と嗚咽を漏らした。
まただ。俺はまた、こいつの前で醜態を晒すなんて……。
込み上げてくる異物を俺は、ひっしに食道の奥に留めようとした。
ギシッと畳が軋む音がした。ふわっと風がくると、道元坂のスーツの上着が俺にかけられていた。
「ここを出る。吐き気が酷いなら、俺の家で吐け」
道元坂が杖をついて、一人先に部屋を出て行った。
俺は、夜なのにサングラスをかけている男に支えられながら、道元坂の乗っている車に乗せられた。
車が静かに発進すると、俺はスポーツバックを肩からかけたまま、道元坂の肩にそっと寄りかかった。
道元坂は、俺を見ずに窓の外を見ていた。20秒もせずに、俺は道元坂の肩から頭を持ち上げ、窓にこつんと額をつけた。
呆れられたのかも。誰にでも足を開く男だと知られたばっかりだし、な。
呆れられて当然か。それに、政巳さんに抱かれておいて…居なくなった途端に、道元坂に甘えるなんて、許されないか。
車の振動が、窓から額に伝わってくる。政巳さんの死の瞬間を思い出すと、俺は拳を握り、「くっ」と舌を噛んで全身に力を入れていた。
「智紀、力を抜け。舌を噛み切って死にたいのか?」
はっとした表情になった道元坂が、俺の肩を抱き寄せると、唇を重ねてきた。無理やり舌で、唇を割って入ってこようとする。
「ともっ、き。力を…ぬけ」
俺は道元坂のベストとぎゅっと掴むと、道元坂の舌が入ってくるのを許した。
熱い吐息が漏れる。激しいキスに、俺の思考回路が曖昧になっていく。
白い霧が、俺の映像をぼやかす。何を考えていたのか、何を想っていたのか。それすらわからなくなりそうだ。
「俺、別に政巳さんが好きってわけじゃなかったんだ。俺、未成年だから、部屋をなかなか貸してもらえなくて。そんときに政巳さんが、同居していいって言ってくれて…。あの部屋って、ワンルームだろ。だから…一人で処理してるところを、政巳さんに見られたんだ。それがきっかけっつうか、なんつうかで。その……」
「わかった」と静かに、道元坂が頷いてくれる。
「俺…怖かった。どんどんと欲求が深くなっていくんだ。一人で処理しても満足できなくて…『違う』って思うようになってて」
「わかったから。もう何も言うな」
道元坂が、ぽんぽんと俺の後頭部を優しく叩いた。俺はまた道元坂の肩に頭を乗せると、瞼を閉じた。
「違うんだ…こんなつもりじゃ…」
暗い闇に吸いこまれながら、俺はやっとの思いで呟いてから、意識を手放した。
再び目を覚ました時には、激しい吐き気に襲われていた。
「…うっ」と口元を押さえて、瞼を持ち上げると、ベッドを落ちるように飛び出した。
見覚えのある場所だ。
ここは道元坂のマンションの寝室。俺は、道元坂と同じベッドで寝る価値はあるのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら、トイレに駆け込んだ。
吐くだけ吐いて脱力した俺は、トイレの壁に寄りかかりながら、尻を床に落とした。
何の夢を見ていたのだろうか酷く苦しくて、嫌な夢を見ていた気がする。
リズムのおかしい足音が聞こえると、トイレのドアが開き、スポーツドリンクが差し込まれた。杖をついた道元坂が、廊下に立っている。
無言でペッドボトルを差し出された俺はぺこっと頭を下げて、受け取った。
「強要はしないが、好きなだけここにいればいい。私との生活が嫌だと言うなら、お前に部屋を買ってやっても構わない。莱耶の大切な弟だ。私は、簡単に見捨てたりはしないから安心しろ」
俺はペッドボトルのキャップをあけると、一口飲んで、口の中を潤した。
「兄貴の弟ってだけ?」
「他に理由が必要か?」
俺は首を左右に振った。道元坂に、それ以上の気持ちを要求するべきではない。
そう頭でわかっているのに、俺を少しでも『好き』だと思っていて欲しいなんて、おこがましいにも程がある感情を俺は抱いていた。
「顔色が悪い。智紀、ベッドで横になれ。少し眠れば、身体も楽になるだろう」
「あ、うん。えっと、俺……どこで寝ればいい?」
「私と一緒が嫌なのか?」
「違う。道元坂が嫌じゃないなら…」
「なら、寝室に行こう。あれ以来、いろいろと処分をしたから、他に余っている寝具は一つもないんだ」
道元坂が杖をついて歩き出す。
俺はペッドボトルを持ったまま、立ち上がると、よろよろと道元坂の後ろをついて歩いた。
『あれ以来』というのは、俺が出て行って以来…ということだろうか。道元坂が秘書と一緒に住んでいて、秘書が死んで以来とも言えるけど……。
俺はベッドに足を入れると、道元坂が羽毛布団を首までかけてくれた。
「あ…りがと」
「ゆっくり休め」
「あ…あのさ。道元坂」
「何だ?」
道元坂が、横になると俺のほうを見てくる。
「お願いがあるんだけど」
「言ってみろ」
「腕にくっついてもいいか?」
「構わん」
「サンキュ」
俺はぎこちない笑みを作ると、道元坂の腕に絡みついた。
道元坂の匂いが俺の鼻孔を擽ると、ひどく安心した気持ちなった。
「自分から道元坂のマンションを出てって行ったくせに…俺さ、ずっと道元坂に会いたがってたような気がするよ」
言いたいことを言い終えた俺は、すうっと眠りの世界に落ちた。
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