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感情の赴くままに1

 目を覚ますと、微かに香る道元坂の匂いに心がとたんに寂しくなった。  もう…会えないんだっけ。一筋の涙が勝手に落ちて、枕を濡らした。  兄貴にそっくりのライって人がきちんと説明してくれたから、こうして道元坂の別荘で傷をいやしていられるけど。もう…嫌だな、こんな生活は。  道元坂に会いたい。道元坂ときっちり話をしないと俺の気が済まないっつうの。 「女々しいな、俺」  俺はベッドから起き上がると、ガシガシと頭を掻き毟った。  額にある包帯に指がひっかかり、「やべっ」と思わず声が零れる。自分自身がこんなに女々しい男だなんて思わなかった。  今まで、こんなに誰かを愛したことってなかった気がする。いや…これが『愛』なのかもわからねえけど。  道元坂の傍に居たいって、心の底から思うんだ。もう少し、あと少しの我慢だと言い聞かせているけれど…やっぱ会いたい気持ちばかりが増えて、苛々する。  くすっと笑い声が頭上ですると、白いワイシャツに紺色のジーパンを穿いているライさんがベッドの脇で立ってにこにこと微笑んでいた。 「智紀は、見ていて飽きないね。黙っていても、百面相をしているから」 「ひどいなあ。居たなら、居るって言ってよ。恥ずかしいじゃんか」 「僕のことはお気になさらず…と言っているでしょ? 僕は智紀を見ているのが大好きなんだ」 「また、そうやって俺をからかうんだもんなあ」 「可愛い過ぎて、思わず食べてしまいたいくらい。きっと智紀の蜜は甘いんでしょうね。たくさんの蜂が吸い寄せられてしまうくらい」 「キザ男の練習に、俺を付き合わせないでくれってば。俺、そういうの聞かされても、尻がムズムズするだけで、キショイよ。試すなら、この屋敷にいるメイドにしろって」 「本気にされたら困るからやりません。夜、ベッドの中にでも入られたら、かないませんから」 「…たく。んじゃ、そういう言葉遣いはやめればいいじゃん」 「智紀だからこそ、出る言葉だと思っていただきたい」 「へいへい。あー、キザ男ってフランス原産?」 「僕は日本人です。たぶん」 「たぶんって何だよ。あやふやだなあ」 「恵に拾われる前の記憶は僕にはありませんから」  にこっと笑うライに、俺はぱっと視線を逸らした。  不安が過る。もしかして、道元坂は死んだ兄貴とライを重ねて見ているんじゃねえかって気になるんだ。  だって、あいつ…以前に、兄貴を好きだって言ってなかったか? だと、するなら…ライは……。  俺はふるふると頭を左右に振っていると、またライがくすくすと笑い声をあげた。 「だから、見んなってば」 「あと1週間もすれば、屋敷の外に出られるようになると思いますよ」  俺は布団の中に隠れると、ぎゅっと唇を噛み締めた。  もしかしたらって思うと胸が痛てぇよ。道元坂が俺の前から姿を消したのは、もう…俺は用なしってことだったり…しねえよな? 『もっと足を開け』  くそっ…ちくしょう。  俺は欲望をティッシュの中に吐きだすと、ベッドの上にごろんと倒れ込んだ。勝手に道元坂の声を思いだして、興奮して…急に寂しくなるなんて。  鼻水を啜ると、俺はパジャマの袖口であふれてきた涙を拭きとった。  道元坂め。お前は何をしてんだよ。  お前は一人でどうせ平気なんだろうけど…俺は全然平気じゃねえんだよ。 「俺、弱りすぎ…最低だ」  一日中、部屋に籠ってさ。食事にも手をつけないで…ライさんに心配ばかりかけさせてる。  でも、食欲もねえし、どこかに行きたいっていう気持ちも湧かないんだよな。道元坂の匂いのするこのベッドで、ごろごろしてたい。  阿呆だな 「もはや救いようのないアホだ、俺は…」  中毒者…とでも言うのだろうか。道元坂中毒…なんかしまりのねえネーミングだぜ。  今なら、わかる気がするなあ…失恋して、一晩中、泣き続ける人の気持ちが。部屋に籠りっきりなる心情がさ。ああ…俺ってホントに情けねえよ。 「智紀」と暗闇の中で声がして、俺はぎょっとした。  きょろきょろと辺り見渡すと、ベッドの淵からひょこっとライさんの頭が飛び出した。 「ええ? 居たの?」 「こそこそとやってきました」 「なんで…こそこそ?」 「なんか取り込んでたみたいだし、月に照らされた智紀の顔が色っぽかったから。黙って見させていただきました」 「い…いつから?」 「うーん、まあ…そんな細かいことは気にしなくていいでしょ」 「気にするだろ!」  なんか、俺って…ライさんには変なところばっか見られているような気がする。  きっと俺の欲望の処理も見ていたに違いない。そう思うと、なんだか恥ずかしくて頬に熱をもった。 「今夜は一緒に寝ようと思いまして」 「え?」と俺は声をあげた。  ライさんは、ベッドの上にあがると布団の中に潜りこんだ。 「たまには、いいじゃないですか。僕を亡くなったお兄さんだと思って。僕って、基本は一人寝が嫌いなんですよね」  ライさんは枕に頭を乗せると、瞼を閉じた 「ちょ…ライさん?」  俺はため息をつきながらも、どこかほっとしている気持ちもあった。  正直、一人寝が辛いなって思ってた。どうしてだろうか。  俺、広い部屋で一人で寝るって経験があまりないからかもしれないな。兄貴とも、同じ部屋で布団を並べて寝てたし…それから道元坂と同じベッドで寝て。  政巳さんともシングルの布団を二人で寄り添い合うように寝てたから。俺って、意外と寂しがり屋なんだな。  俺はくすっと笑ってから、ライさんと同じ布団の中に入った。  近くに誰かの体温があるその事実が、ひどく俺の心を満たしてくれた。  夜中…俺は寝がえりを打った。ライさんの腕に触れて、俺はなんとなく絡みついた。  ライさんってこんな温かいんだぁ。匂いも、道元坂に似ている。 「智紀?」 「ん? ライさんって、道元坂の匂いと似てるね。俺、なんか幸せだ」  俺は瞼も開けずに、口を開くと深い眠りに落ちた。  本当に、道元坂と同じ布団で寝ているみたい…だ。 『智紀?』  え? あれ? あの声って、ライさんじゃないよ。  道元坂本人だ。  俺はぱっと瞼を持ち上げると、隣にはライさんがすやすやと寝ていた。  え? あれ? 夢…だったのか?  俺は身体を起こすと、首を掻いた。  違う、夢じゃない。道元坂の温もりだった。道元坂の匂いがして、声だって道元坂だった。  俺はベッドを飛び出すと、玄関に向かって全力疾走した。  階段を駆け下りて、廊下を走りだすと、玄関で靴を履く音が聞こえた。 「ライ、見送りはいらないと……」  道元坂の背中が見えた。

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