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感情の赴くままに3
「なぜ、裸エプロンじゃない?」
仕事から帰ってきた道元坂の開口一番に、俺は「はあ?」と片眉をねじり上げた。
ブランドの高級スーツを着込んだ男が、何を言うか。
このエロ魔人め
俺は、しゃもじをびしゃりと道元坂に向けると、「やらねえよ」と言い放った。
「裸にエプロンは王道だ」
「意味不明。国語を、小学一年から学びなおせ」
「男の大きいシャツを着て、ノーパンでもいい」
「俺は男だし、大きいシャツはだぼだぼしてて好きじゃねえ」
「じゃあ、俺のパジャマを着るか?」
「んなもん、持っているかのよ。すっ裸で寝ている奴が」
「ある。こういうときのために一着な」
「どういうときのためだよ。意味がわからねえよ。パジャマっつうのはなあ。寝るときに着るんだよ。いつも素っ裸で寝るヤツの、欲情をそそるためにあるんじゃねえんだよ」
「そうか。なら、今日から俺の欲望を満たすための小道具にすればいい話しだ」
俺は『はあ』と息を吐きだすと、ダイニングに腰を下ろした道元坂を見た。
「スーツ、皺になるから脱いで来い」
「ああ? クリーニングに出せばいいだろ」
「…まだ一回しか着てねえのに、クリーニングかよ! どんだけ金を水に流してんだよ。あと10回…いや、30回くらい着てから、クリーニングに出せ」
「面倒だな」
「面倒なのは、その…お前の思考だ!」
俺は髪の生え際をガシガシと掻くと、カウンターに片手を置いた
なんでだろう。道元坂との会話は、ものすごくエネルギーを消費する。
緊張しているとか、慣れなくて普段使わない脳を駆使するとか…そういうんじゃなくて。価値観や考え方が違いすぎて、大したことない会話なのに、俺がヒートアップしてしまう。
道元坂はそれが面白いらしく、俺が肩を上下させながら、荒くなった呼吸を整えている姿を楽しそうに眺めている。その横顔さえも、俺は気に入らなくて苛ついてしまう。
離れていれば、すごく寂しくて、こいつに愛されたい…抱かれたいって思うのに。近づくと、こいつの常人離れした思考に、いちいち引っ掛かり、苛々させられる。
それでも、ベッドに潜り、道元坂の腕の中におさまると、今日も一日平和で楽しかったなあ…なんて考えている。このままじゃいけないのはわかっているけど、非力な俺に、何をどうしたらいいのか…俺にはわからない。
「僕も智紀の裸エプロンを見たいですねえ」
ひょこっと居間のドアから顔を出したライさんが、にっこりと笑みを見せてくれた。
「ライは見なくていい。お前の欲望を満たすために、智紀がいるんじゃない」
道元坂が、テーブルの上にある新聞を手にとって広げた。
「その台詞、そのまま僕が恵にノシをつけて、返してあげるよ。僕は、智紀の死んだお兄さんにそっくりなんだ。見る権利はあるよ」
「意味不明。勝手なこじ付けだ」
「それを言うなら、恵だったそうだ。智紀の身体を無闇やたらに見る権利はない」
「私は、智紀と付き合ってる」
「え? 俺、付き合ってるの?」
二人の会話に、俺は口を挟んだ。道元坂の眉がひくっと動くと、新聞から俺に視線が動いた。
「あ…いや、まあ、なんつうか。都合の良い男とかだと思ってたから」
俺は頬をぽりぽりと掻いた。
「私は都合よく利用されたのか?」
「違う! お前にとって、俺が都合の良い情夫だと思ってたんだよ」
道元坂の頬が微かに震えるのが見てとれた。
ライさんがにまぁっと緩んだ表情になると、くくっと喉の奥で失笑した。
「ふん。好きに解釈していろ」
「え? 違うのか?」
「もういい…お前の好きに考えておけ」
「なんだよ、それ。きちんと言えよ」
ばさっと新聞の中に隠れた道元坂が、座っている足を組みかえた。
なんだよ…何、勝手に拗ねてるんだよ。ちゃんと言わない道元坂がいけないんだろ。
ライさんが、お腹を抱えて笑いだす。目の端には、涙が溜まっており、相当面白がっていた。細い身体をねじったライさんが、ソファに倒れ込むと足をバタバタと革製のソファにぶつけて、笑い続けていた。
「恵、ふられましたね」
「勝手に決めるな。枠に当てはまった形にこだわってないだけだ」
「無理なこじ付けはどっちでしょうねえ」
「ライ、お前…さっさと帰れ」
「はいはい。では明日」
ライさんは、立ち上がると俺の前に立って、額にキスを落とした。
「智紀、今夜は激しいから気をつけたほうがいいですよ」
ライさんが、俺の耳元でささやいていると「ライ!」と、道元坂の叱咤が飛んできた。
ライさんが、「あー、怖い怖い」と言いながら、玄関のほうに歩いて行くのを俺は見送った
「なあ、俺たちって付き合ってるのか?」
ベッドの中で、俺は口を開いた。
ちゅっと音を立てて、唇を離したばかりの道元坂が『はあ』と息を吐くと、漆黒の髪を掻きあげて、俺の上からどいた。
どすんとベッドに座ると、枕をクッション代わりに腰の下に入れた。
「またその話しか? 好きに解釈しろと言っただろ」
面倒くさそうに道元坂が答えた。
「情夫と恋人じゃあ…立場が違うから、聞いておきたいだけだ」
俺はむすっとした顔をして、布団の中に潜った。
なんだよ、好きに解釈しろって。意味がわかねえっつうの。好きに解釈して、俺だけが道元坂を好きで、追い求めてるだけだったら嫌だし。
「聞きたいことがあるなら、私に聞けばいい。ライのことか? それとも梓か?」
「え?」と俺は反応すると、布団から頭を出した。
道元坂の大きな手が、俺の髪を優しく撫でた。
「お前が知りたい立場というのは、俺のプライベートに踏み込める人間なのか、そうでないのか…だろ?」
「あ…ん、まあ。そうだけど」
「情夫なら、俺にとっては道具でしかない。プライベートにずかずかと踏み込める立場ではない…が、恋人なら同等の立場になる。何でも聞き、何でも話し合える関係…だと、思ってるんだろ?」
「まあ…間違ってねえよ」
俺はぼそぼそと小さい声で、答えるとそっぽを向いた。
「…で、智紀が聞きたい内容はなんだ? 答えられる範囲で、答えてやる」
なんで、いつもこう…上から目線なんだよ。聞きづらいじゃねえかよ。
「あ…っと、元奥さんについて、だけど。聞いていいのか?」
「答えられる範囲で答えてやると言ったが?」
「…かってるよ」
俺は、喉を鳴らすと道元坂と同じように枕を腰に入れて座った。
「どうして別れたんだよ」
「それは以前にも説明しただろ? 私が事故に遭い、足を怪我した。それで介護生活など、真っ平御免だと、梓に捨てられた」
「好き、だったのか?」
「さあ、な」
俺は肩を持ち上げて、苦笑する道元坂に「は?」と首を傾げた。
好きで結婚したんじゃねえのかよ?
「時とともに、人の心は風化する。慣れてしまえば、『好き』という感情は消え失せる。それだけだ」
「じゃあ、結婚したときは好きだったのか?」
「たぶんな」
「はあ? なんだよ、その曖昧な答えは!」
「だから言っただろ。答えられるものには、答えてやると。覚えていないのだから、答えようがないんだ」
「覚えてない?」
「ああ。記憶喪失というわけじゃないが。ただ…本当に好きで梓と結婚したのか、と聞かれても、当時の私の感情を思いだしても、たぶん好きだった気がする、としか答えられない」
俺にはよく…わかんねえや。好きだから結婚するってずっと思ってたから、道元坂の考えが理解しにくい。
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