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兄の面影

ー智紀sideー 「なあ…ライさんを残してきて本当に良かったのかよっ」  1時間ほど山道を歩いただろうか。怪我人が後ろからついてきているにもかかわらず、道元坂の足の運びは早い。  蛍ってやつが、負傷した足を引き摺りながら必死に追いついているのを知っているはずなのに。道元坂は振り返りもせずに、ずんずんと突き進んでいく。 「ライは残るべきだ。選択は間違ってない」 「なんで?」 「邪魔だ」 「は? 何言ってんだよ」 「あんな立つのもやっとな人間を、私は連れて歩きたくない。足手まといだ」 「…んだよ、それ」  俺は道元坂の腕を払おうとするが、俺が暴れるのを予想していた道元坂の腕に力が入り、びくともしなかった。 「蛍も、わかっているな。私は待たない。お前が遅れをとるなら、この山中に置いていく」 「…うるせえーよ」  蛍が『ふん』と鼻を鳴らす。強がっているが、相当身体にはきているはずだ。呼吸も荒いし、歩く足のリズムもおかしい。 「俺、戻るっ。ライさんを…」 「駄目だ。ライはわかってる。わかっててあの場に残った」 「それでも俺は…ライさんを」 「兄貴に似ているからか? 見殺しにしたくないと?」 ライさんは、道元坂の優秀な部下じゃないのかよ。どうして簡単に見捨てられるんだ。  俺が眉間に皺を寄せて、道元坂の顔を見上げると、背後でドォンという爆発音がした。道元坂が「ふっ」と息を漏らすと、笑みを見せた。  え? なんだよ。 「申し分ない働きをしてくれる」 「は?」 「ライだ。最後まで、きちんと己の仕事を全うしてくれたよ」 「それ…どういう意味だよ」 「そのままの意味だ。息絶える前に、私たちがここにいたという痕跡を消した。それだけだ」 「爆発したほうが、ここにいたっていう証しになるんじゃ…」 「もうここにはいないと言う証拠にもなる」 「意味がわかんねえよ」 「智紀は何もわからなくていい。何も知らなくていいんだ」 「んだよ、それ」  それじゃ…やっぱ俺は、道元坂の情夫ってことかよ。何も知らなくていいなんて…言うなよ。 「ライさんを見殺しにして…俺、絶対に道元坂を許さないからな」  俺は、道元坂の腕を噛んだ。 「智紀?」 「一人で歩く。あんたの腕の中になんて居たくない」 「それは無理だ。車まで、辛抱しろ」  道元坂の指が、俺の肩に食い込んだ。  ちくしょう! どうしてライさんが……。  何がなんだかわからないよ。兄貴が傍に居てくれるみたいで、すげー嬉しかったのに。兄貴が生きてるみたいで、俺…毎日が楽しかったのに。 「やめろよっ。俺はそんな気分じゃない!」  俺が休んでいるベッドに滑り込んできた道元坂に、俺は拒絶の反応を見せる。キスを避け、股間を触る手を叩いた。 「智紀、何を怒ってる」  道元坂の所有する人工島にある別荘に来て、1ヶ月が過ぎた。 「怒る? 僕はライさんを見殺しにした道元坂を恨んでいるんだっ。許さないって言っただろ。やめてくれ、触るな」  道元坂の瞼がぴくっと反応する。  俺の肌から、道元坂の指が離れると、無言で俺に背を向けた。 「……恨んでてもいい。私の寝室に戻ってこい」 「嫌だ。ここで寝る」  俺は布団の中に潜ると、隣で寝ている蛍の腕に絡みついた。しばらく立っていた道元坂は、諦めたのか。  静かに蛍が使っている部屋を出て行った。ぱたんとドアが閉まると、蛍があからさまに大きなため息をついた。 「毎晩毎晩、うるせえよ。あんた、自分の部屋がないんだからさあ。親父んとこに戻れよ」 「嫌だ」 「うざいんだよ」 「うざくてもここいないと…犯される」 「もう犯されてんだろ? あとは何回やったって一緒だろ」 「気持ちの問題だ! 道元坂親子は気持ちがないのかよ」  蛍の眉がピクっと動く。 「感情なんて……面倒だろ」 「は?」 「たぶん、親父のほうが感情の起伏は少ないはずだ。それでもこうやって、毎晩あんたのとこに来るのは…相当だと思うぜ」 「何が『相当』なんだよ」 「だから…あんたを好きっつうことがだよ!」 「知らないよ、そんなこと」 「俺のほうがもっと知らねえっつうんだよ! 迷惑してんだよ」 「勝手に迷惑しててくれ。俺はここにいる。絶対に蛍のとこにいんだ。じゃないと…道元坂を許してしまう」 「許せばいいだろ」 「い、や、だ」 「意味がわけんねえよ、あんた。ライってヤツは、自らあそこに残ったんだ。その意思をくみ取って、親父があの場を離れた…それだけだろ」  俺はばさっと起き上がると、掛け布団を蹴り飛ばした。 「『それだけ』ってなんだよ! 人の命だぞ? なんでそんな簡単に言えるんだよ。そっちのほうが、意味がわかんないよ」  蛍も起き上がると、俺が蹴飛ばした布団を取りに行った。 「あのなあ…命の儚さを知ってるのは、あんただけじゃねえよ。それでも見捨てなくちゃいけないときもある。キツイ決断をして、苦しんでるのは親父のほうじゃねえの?」 「え?」  蛍が傷跡の残る手で、布団をベッドの上に乗せると整え始めた。 「俺は人を殺した経験はあるけど…見知った人間を殺した経験はねえんだよ。適当なクズに拳銃を向けられるけど、ちょっとでも相手を知ってしまうと…俺は殺せない。おかげで母親にはすっかり見放されるし、な。相手にもされねえよ」 「蛍…」 「だから俺が言いたいのは、親父だってそれなりに苦しんでんじゃねえの? ってことだよ。親父がこうやってあんたんとこに来るのは、甘えたいんだろ? 苦しい気持ちを、あんたに慰めてもらいたいんだろ? …想像するとキモいけど」  確かに、キモい。俺はコクンと蛍の言葉に頷いた。 「あんたの気持もわかるけど…俺、親父の気持ちもなんとなくわかるから。親父みたいに何かを背負って生きてるって、その時々の選択のたびに苦しんでんじゃねえかって思う。吐きだし口が欲しいはずだよ。それが男ってのが微妙だけど」  確かに、微妙だ。また俺はコクンと頷いた。 「じゃあ、親父んとこに戻れよ」 「は?」 「だから、納得したなら戻れって言ってんだよ」 「なんで?」 「な…なんで? じゃないだろ」 「どうして?」 「ああ、もう…親父の心中を察したんじゃねえの?」  蛍が面倒くさそうに頭をガシガシと掻いた。 「なあ…蛍ってさ。ライさんが好きだったの?」 「なんだよ、急に」 「だって道元坂が…蛍がライさんを抱いていたって言ってたから」  蛍が『ふぅ』と息を吐いて、前髪をかきあげた。 「どうかな? わかんねえ。母親に言われたんだ。俺は何もできないんだから、せめて身体を使って道元坂の片翼をもいで来いってさ」 「もしかして…俺ってば、聞いちゃいけないことを聞いた?」 「なんで? 本当のことだし。ライってヤツは綺麗だと思うけど、俺を恨んでるみたいだし」  蛍がにかっと白い歯を見せて笑う。初めて見た。こいつの笑顔を…意外と可愛い顔をしてんだなあ。

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