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さよなら好きな人
ーライsideー
『全ては梓様のために』
オーナーの部屋から、要さんのそんな声が聞こえた
今、綺麗な女性がオーナーの部屋に入って行った
他のホストたちの会話から、あの女性がオーナーと付き合っている人だと…耳に入れた
オーナーはあの女性の愛人だとか
あの女性に囲われ、そしてこの店のオーナーになれたとか
いろいろとオーナーについて、初めての話を耳にした
僕の身体を気持ちよくしてくれているけど…やっぱりオーナーは僕を好きってわけじゃないんだって思い知った
今日は4番の部屋に入る
なんか…今夜は誰かに抱かれたい気分だ
誰でもいい
何も考えられなくなるくらい…激しくされたいよ
「よぉ、ライ」と聞いたことのある声が、僕の耳に入る
顔をあげると、ベッドにはスーツ姿の道元坂 恵が座っていた
「なんで? またオーナーに頼まれたの?」
「違う。ここで身を潜めているんだ。灯台もと暗しってやつだ」
「は?」
道元坂が、にっと白い歯を見せた
「それと…優秀な人材が欲しくてな。お前を引き抜きにきた。今日なら、あっさりと私のほうに来てくれそうだしな」
僕は、道元坂をまっすぐに見つめた
「私の下で働く気はないか?」
僕は眉間に皺を寄せる
こいつ…若いのに、会社でも経営しているのだろうか?
「給料も、ここより倍の額を出そう。9時から17時が定時で、残業なし。弟優先で良い。学校行事、突然の体調不良にも寛容に対処しよう。どうだ?」
「なんで…僕に弟がいるって…」
「楠木 莱耶のことなら何でも調べた」
「は?」
「そう警戒するな。欲しい人間の下調べくらいする。厳しい世界だが…ライならできると信じている。だから欲しい。ライが欲しいんだ」
「下心あり?」
「ああ。ライの弟に、な」
「はい?」
僕じゃなくて? 智紀を?
こいつはロリコンか?
「だから警戒をするな。智紀は私の命の恩人だ。歩けなくなった私に生きる希望をくれた。恩返しをしたい。それだけだ」
「それで…僕の弟を最優先にして仕事をしていいと?」
「ああ。どうだ? すぐに答えを求めないが…」
「考えるまでもありませんね。お引き受けいたします。弟最優先で仕事をしていいなんて、そんな好条件…どこを探してもない」
道元坂がふっと口元を緩めた
「商談成立だな。では…上司である私から命令する。侑と縁を切れ。今後一切、会うな。あいつは私たちの敵であり、ライバルだ」
僕は目を丸くした
ライバルって? 敵って?
何がなんだかわからない
9時から17時が定時の仕事だと言ったから、ホストとかそういった類の店とは関係ない仕事だと思っていたのに
「無理か? できないのなら、この話はなかったことに…」
「ちょ…わかった。大丈夫、縁を切る」
「よしっ。なら、まずは侑を裏切ろうか? このまま仕事をすっぽかそう」
「え? 辞める旨も言っちゃいけないのか?」
「ああ。言わなくていい。ライの意気込みを知りたい。私について来れないと言うのなら、私の下で働いてもらう必要はない」
腕だめしってわけ?
僕が、道元坂 恵という男にとって使える人間かどうかを試すための第一ステップってわけね
侑の傍にいて、十分な愛を貰えないのなら…智紀のために、智紀優先で仕事ができる場所を選らんだほうが良い
侑はきっと…僕を愛していない
侑の愛は、さっきの女性に向いているんだろうから
オーナーは愛人なんだから…
僕は女性の愛人の遊び相手…ってところかな?
僕は立ち上がると、道元坂ににこっと笑った
「わかった。このままバイトをサボって、あんたについて行けばいいんだろ?」
「面白い! 莱耶は育て甲斐がありそうだ」
道元坂が笑うと、杖をついて立ち上がった
「生きて行く上で、僕にとって必要なものを取捨選択しただけだ」
「それでいい。ときには辛い取捨選択を迫られるだろう。だか今日という日を乗り越えた莱耶になら、越えられない苦難はない」
道元坂が僕の肩に手を置いた
「僕が貴方を選んだんだ。僕の期待を裏切るようなことはしないで頂きたい」
「期待以上の結果を出す自信はある」
道元坂について生きて行こう
僕に恋愛は必要ないんだ
智紀の幸せを想って、金を稼ぎ、そして智紀に充分な愛を注ぎたい
バイバイ、侑
僕は、道元坂の下で大きく羽ばたくとしよう
廊下に出ると、オーナーの部屋から女性の甘い声が聞こえてきた
『侑、もっと…激しく』なんて言葉が聞こえてくると、僕は思わず口を緩めてしまう
僕が何度もお願いしても、オーナーは最後までしてくれなかった
なのに、お金だけしっかりと渡して…
僕はきっと、オーナーにとって客の一人だったに違いない
弟のために金を欲しがっている僕に、ただ同情してくれただけ…なんだよね
「耳栓が欲しいか?」
道元坂が、僕の背後に立つと声をかけてきた
「いらないよ。僕はそんな柔な男じゃない」
僕は前を向いたまま、外に出る裏口に向かって歩き出した
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