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第1章 2-保健室の意味
[視点:養護教諭]
……たまに、保健室に遊びに来る子がいる。
もちろんそれは色んな生徒にあり得ることなんだけど、その中で少し私が気にかけている子がまた、保健室に来た。
*
「いやー、サッカーしてたらついつい熱くなってさー」
そう笑いながら擦りむいて少し血が出ている腕を見せてきたのは二年B組の仙崎くん。
チャラチャラしてるような外見の男の子だけど純粋で優しい一面を持ってる。少なくとも私にはそう見えるし、実際そうなのだろう。
「まぁ外で遊ぶのはいいことだよね。はい、ちょっと沁 みるよー」
私がその腕を掴んで消毒液を取り出した瞬間に仙崎くんの顔が強張り……すぐさま腕をひっこめた。
「うあぁぁちょっとタンマ! なんで白石ちゃんはそうやって早々と消毒液取り出すのさ!」
(『白石ちゃん』とはこの子が私を呼ぶときに使う名前だ。白石 美和が本名だから)
「なんでって、そんな傷ほっといたら良くないからでしょ。それに別に私じゃなくても保健室の先生はみんな……こう、しますッ」
そう話しながら嫌がる仙崎くんの腕を捕まえようと手を伸ばして彷徨 わせる。 ……よし捕まった。仙崎くんはヒッと顔を引きつらせる。
「あら、仙崎くんホントに傷口水で洗った? まだ砂が残ってるわね。軽く洗おっか」
「いーやーだ! 俺に苦しい試練を増やすなって!」しみるじゃん!
……なるほど、洗ってなかったのね。
「男の子でしょ、根性みせなさい!」
「せんせー、それ男女平等じゃないと思いまーす」(手を挙げながら)
「…………」(『こいつふざけんじゃねぇよ』という意味をこめた無言)
……まったく、最近の子は口だけが達者なんだから。厄介な相手ね。
私はその煽りを無視してふざけて上げた彼の手を難なく捕まえ直す。
「あ」
「はい蛇口の方いくよー」
「白石ちゃん容赦ねぇな!」
……そして数秒後、仙崎くんの悲鳴が上がった。
*
「あーもうホントありえねー……」
仙崎くんはイスに逆向きに座って背もたれに顎を乗せながらため息をひとつ。
背もたれを抱く様にしたその腕にはついさっき貼った少し大きな絆創膏が目を引く。
「白石ちゃんは傷に水かけたり消毒液かけてくるしさ、そんで俺が叫んだら開いてる窓から飯塚たちが顔のぞかせて爆笑してくるしさー」
この子はクラスの人気者で、友達も多い。(特に仲が良いのは同じクラスの飯塚くんと甲斐田くんのようだ)
休み時間に楽しそうに騒いでるところを私も何度も見かけていた。
「楽しい友達がいることは良いことよー?」
私はそう言いながら室内に備え付けの冷蔵庫から紙パックのドリンクを出す。
「あ、白石ちゃん何それ」
「新発売のやつ。朝コンビニで買ったの」
「いーなー! 俺にも一口!」
そうして伸ばしてくる手に、お茶のコップを手渡す。
「仙崎くんはこれ」
「うっわ……差別だ……」
彼はげんなりとした顔を一度見せ、私はその様子を見てドリンクを掲 げながら得意げに笑った。
「……大人の特権ってやつね」
「……、……大人ッテ理不尽デスネ」
そう言いながらも仙崎くんはお茶を飲み「つめてーっ」と笑顔を見せる。彼の良い所はこういう所だ。
私も『大人の特権』とやらを見せつけたけど、その笑顔のせいでもうなんだかどうでもよくなってしまった。
彼が持つのは人の心を優しくしてくれる笑顔なんだと、改めて実感する。
しばらくお互いに無言で飲み物を飲み、私はチラっと時計を見た。
もうあと数分で次の授業が始まるようだ。時間はホントあっという間ね。
そして私がそのことを伝えようと口を開きかけたとき。
「……ねぇ白石ちゃん」
「ん、なに?」
「保健室ってさ、具合悪い人やケガした人以外で来る人っているの?」
仙崎くんはテーブル上の治療道具のあたりをぼんやりと見つめながら静かに聞いた。普段の明るい彼にしては珍しい声音だったと思う。
「……? んー、まぁ仙崎くんみたく遊びに来る子もいるわねぇ」
単純に、そういう意味だと思っていた。
彼の表情が曇るまでは。
「んー……じゃなくてさ、精神的に弱ってるやつとか……」
「――――……」
その言葉を聞いたとき、私はさっきの問いに気遣いもせず軽く答えてしまったことを少し後悔した。
……少し? いいえ、今となってしまってはとてつもない後悔に膨れ上がっている。
「……いるわよ。 色んな悩みを抱えている子の話を聞くことも私のお仕事だしね」
そしてその時は。
「ふーん……そっか」
彼がいつも見せている笑顔の裏側に、何かどうしようもない苦しみがあるんじゃないかと不安になった。
「……ねぇ、仙崎くん」
「……ん?」
私はその顔を覗き込むようにしてできるだけ真剣な気持ちが伝わる声で聞いた。
「何か、相談したいこととか聞きたいことある? 他の子に話せないことも私はちゃんと聞いてあげられると思うから」
その言葉を聞いて、一瞬……そう、本当に一瞬だけ仙崎くんの目に迷いの影が見える。
でも彼はすぐに目をそらし、わざとらしく考え込む素振りをして数秒後。
「……スリーサイズ」
「……え?」
「俺、白石ちゃんのスリーサイズ聞きたい!」
「……、はァ!?」
私の動揺半分怒り半分の叫びが保健室内に響いた直後、チャイムが鳴った。
「あれ、もうこんな時間?」
ケロッとした表情で時計を見る彼に私はため息をつく。
「……はいはい、スリーサイズ聞きたいようなお子さんは授業に出てらっしゃい……」
「ちぇー、つまんねーの。授業かったりぃー」
「ちゃんと寝ないで授業受けるのよ!」
私の言葉を聞いてるのか聞いてないのか曖昧な反応をした仙崎くんは、ドアの前で振り返っていつもの元気な笑顔を見せた。
「そんじゃ、また遊びに来るわ」
そう軽く手を振ってドアを開ける。
そしてドアが閉まる直前に「あ!」と言って顔をのぞかせてきた。私は何か大事なことを言われるのかと一瞬身構える。
「えっ、なに、仙崎くん」
「さっき白石ちゃんが飲んでたやつさ、今度来るときまで俺のために用意しといて!」
そう言ってバタバタと廊下を走っていく音を残し、彼は保健室を後にした。
「……なによ、もう……」
私は気が抜けたようにイスの背もたれに体を預け、苦笑まじりのため息をつく。
なんだかんだ言って、あの子は人への気遣いがちゃんとできる子だ。
あの去り際の笑顔を思い出したら、さっきの不安は自分の考え込み過ぎなのではとも思えてくる。
……しょうがないから、次来るときは他の人に秘密ってことでドリンク買っておいてあげようかしら。
***
……あれが、仙崎くんが居なくなる前に見た最後の姿だったんだと思う。
ごめんね。ごめんなさい。
あなたが抱える悩みをあの時ちゃんと聞いておけばよかった。
『授業なんて行かなくていいから悩んでることを聞かせて』と、そう言えばよかった。
そうしたら、あなたはもう少し楽に生きられたかもしれないね。
……ねぇ、仙崎くん。
今どこにいますか。
ちゃんとご飯は食べていますか。
暖かいベッドで眠ることはできてますか。
さみしい思いをして泣いてはいませんか。
あの笑顔を今でも誰かに見せていますか。
きっと楽しいわけではないでしょうが、あなたが少しでも幸せを感じられるのであれば、私はそれでいいです。
世間の人があなたを疑ったり非難しても、私は仙崎くんの味方です。
もし彼に出会ったら。出会うことができたなら。
私はもう泣き出してきっと色んなことを質問攻めにするでしょうが、何よりもこう聞きたい。
――――……あなたにとって、『保健室』の意味はなんでしたか。
あなたにとって、私は何かの支えになれていましたか。
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