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第1章 5-罪
[視点:仙崎千尋]
朝の光が射しこむカーテンを開く。
「まっぶしぃ……」
今日の夢見は良かった気がする。俺は傍らに置いていた松澤の教科書を大事に胸に抱いた。
そして、はた、と我に返り。
「……っなに女子みてぇなことしてんだ俺ーーーっ!」と叫びながらベッドの上をごろごろ転がった。(でも教科書は抱きしめたままだ)
――――松澤が、好きかもしれない。
そう確信して、薄々気づいていたこの気持ちをハッキリさせたのが昨日の夜。
元々男に抱かれることは慣れていた。だから、セックスするという意味では男も女も別にどちらでもよかったという概念があった気がする。
でも恋愛は。
たぶん男を恋愛対象に見たのは初めてだと思う。だからこんなに動揺してるんだ。ひどく狼狽える。
……どうしよう。
俺はもう半分コッチ側の人間だけど松澤は違う。告白したって嫌われて終わるなら嫌だ。
でもこんな友達とも言い切れない関係のまま終わるのも苦しい。
いや、可能性はゼロじゃないか?
昨日松澤は雨に濡れる俺の手を引いて、『溶けてひとつになれたら』って言ったことを同意してくれた。
それに俺、自分で言うのもアレだけど他の男よりは可愛い方の顔だし!昔はコンプレックスだったけど……。
それに、それに……手だって、握ってくれた。
これは期待していいことなのか? それとも安易な俺の考えか?
でも……松澤が居なくなるのが今日含めてあと二日。終業式の前日に居なくなるらしい。これは変わらない事実だ。
告白するかしないか以前に、話をできるかどうかじゃん。……いや、しなきゃ。
俺は松澤の教科書を雨が降ってもいいように古書店の袋に入れて、鞄につめこんだ。
どうか、今日も幸せに乗り切れますように。
そう願って、家を出る。
***
「みんな、朗報だぞ。松澤が終業式にも出ることになった」
そんな幸せで飛び上がりそうなほどの知らせが入ったのは帰りのホームルームだ。
女子たちが嬉しそうにソワソワと話してるのを聞きつつ松澤に目をやるが、やはり特別反応はなく、ただ手元のカバンを見ているだけだった。
……そっか。あいつはどこにいても生きてる心地がしないんだっけ。
そう思うと胸が苦しくなった。でも、胸に抱く空虚な気持ちのその隙間にこそ松澤と通じるものがある気がして、複雑ながらも心はまた揺れ動く。
「うちの終業式なんて出たってつまんねー話聞かされるだけなのに、律儀なもんだよなー」
甲斐田が俺の机に寄りかかりながら悪気も無く言うから、
「ホント、律儀だよな」
と、内心とは裏腹になんとなく話を合わせておいた。
そして帰り支度をしている教室の中、俺は少しの期待を胸にしていた。
今日もあの公園に行けば松澤に会えるのではないか、と。
でも、神様はそんな幸せに浸る俺を非情にも突き落とした。
***
[視点:筆者]
「仙崎、ここでしばらく待っていなさい」
……曽我に捕まった。
呼び出しをくらい、社会科準備室で長いこと待たされていた千尋はしきりに時計を気にしていた。
もう時刻は夜の六時を過ぎた。
こんな時間じゃ、さすがにもう松澤は帰ってしまっているだろう。
気持ちは落胆し、うつむいて泣きそうになる。
千尋に残されていたチャンスが、またしても曽我の手によって減ってしまった。こんな命令、無視できればと何度も思って部屋を出ようとするものの、松澤の顔よりも曽我に無理やり犯されることが脳内をよぎって動けなかった。
すると、ガチャッとドアが開く。
「待たせたな、仙崎。こっちに来るんだ」
「え……? ここじゃないのか?」
そうして誘 われたのは、地獄だった。
***
「――――ぅぐっ! っかは……! ぁうぅん……ッ も、……もう、やめ……あああぁッ!」
何度男のモノを咥えさせられただろう。
「げほっ、ごほっ……ッア――」
何度も飲み込まされた粘度の高い濃い精液がのどにつまり、呼吸ができなくなる。
俺、死ぬ……?
千尋は両手を喉にあてて呻いた。
「曽我先生、さすがにここまではヤバいんじゃないですかー? 仙崎くん呼吸できなくなってるよ?」
「おーい、大丈夫かー?」
そういって近づいてきた別の教師が千尋の背中をバシッバシッとはたく。
「ッヒ――――ごほっ、はぁ……はぁっ……」
「はい、生還。続きいこっかー」
「矢野田先生って鬼畜だなぁ……じゃ、次俺のも頼むかな。誰か次カメラ回してよ」
精液でドロドロに汚れた全裸の千尋は懇願するように曽我を見あげた。目じりはすでに赤くなっていて、そこをさらに涙が流れる。そのあどけなさの残る顔とそれとは反する開発されたいやらしい身体の色気、そのすべてが自分たちの欲望の液で汚されていることにその場にいた数名の教師はひどく欲情していた。
「おねが……い、もう、やだ……」
「ふふ、いい恰好だぞ、仙崎。お前は本当に可愛いな」
そう言って千尋の頼みを無視して乳首を片方ひねりあげた。
「ああああああッ!」
「お、いいねぇ曽我先生。今のバッチリカメラに映ってますよー」
「なぁ、これ言ってみてよ。『俺のおっぱい触ってください、乳首なめまわしてください』って」
「うわぁ卑猥ー。ほら、仙崎くん」
「い、いやだ……」
――――バチンッ!
しなったムチが千尋の背中を打つ。
「ああああッ! お……俺の、おっぱいを……触ってください……乳首、なめまわして……」
最後の方は涙がこぼれてうまく言葉にできなかった。
あの普段は明るく人気者の仙崎千尋が、こんなに汚され、今までに見たことのない表情をしている。
そして自分たちの思い通りに従っている。
まるで高嶺の花を独り占めしたような優越感。
それが教師たちの嗜虐心をさらに煽り、まだまだ『宴』は終わらなかった。
***
[視点:仙崎千尋]
「……仙崎、着いたぞ」
凌辱された俺は気を失ったまま曽我の車に乗せられていたようで、気がつけば俺の家の前に車が停まったところだった。
そうして曽我が俺の体に触れようとしたとき。
「……ヒッ!」
ビクンと身体が跳ねて俺は逃げるようにドアを開けて崩れ落ちるように車を降りる。
あまりに強く複数人に挿入されて揺さぶられたために腰が砕け、まともに立つこともできなかった。
俺は曽我から逃げるようにその場を這って、なんとか家の戸の前までたどり着く。
曽我は、そんな俺を見かねてそれ以上手を出すことはなく、「お前の鞄だ」と言って鞄を地面に這いつくばる俺の体へと投げつけた。
そうして曽我の車が去ったあと、俺は人目に触れないうちにと急いで家の鍵を震える手で探す。手に力が入らなくて鞄のチャックがうまく開かない。焦る。もし誰かにこんなところ見られてたらどうしよう。早く鍵を。早く、早く。
ようやく鍵を見つけてなんとかドアにしがみつきながらガチャガチャと乱暴に鍵を回そうとする。
あれ? どっちに回せば開くんだっけ? おい、マジで落ち着けよ……。
普段無意識でやってることができなくなるほどに俺は気がおかしくなっていた。いったん目を閉じて軽く深呼吸をする。……よし。
ようやく少し冷静になって家の鍵を開けた。
家の中は暗く、あの男もいない。
俺は鞄を玄関になんとか投げ入れ、急いで鍵を閉めた。
そしてそのまま。
「……ッう……ううっ……くそ野郎ッ……」
緊張していた糸が切れたようにドアにもたれかかるようにして倒れ込み、しばらく泣き崩れていた。
*
なんとか行き着いた風呂場でシャワーをずっと浴びていた。
目は虚ろで、精液でパサパサに固まった髪がお湯に流れて柔らかくなってもそのまんまで座りこんでいた。
風呂場の鏡には俺のいやらしい身体が写っている。
散々弄ばれた乳首は未だに張り詰め、硬くなったまま赤くただれていた。
背中を見れば、いくつか鞭で打たれた赤い痕が残っている。自分一人ではしっかり見れないけど、きっともっと痕が残っているはずだ。お湯をかければヒリヒリと痛み、俺は歯を噛みしめる。
そして、血までも流れた後腔は未だ締まりがなく、まだ白濁の液がとろとろと流れていた。
いい加減掻きだしたいが、痛くてなかなかできない。
その前に立つこともままならなかった。
*
痛む体をなんとか立たせて階段をのぼり、自室の部屋に籠った。
まだ震えの止まらない手でいくつもの鍵をかける。
そのままなんとかベッドに腰を下ろすが、
「痛っ……」
尻に奔る激痛に顔をしかめた。そこだけじゃない。脚の付け根も、腰も、無理やり押さえつけられた手首も、全身が悲鳴を上げていた。俺は手さぐりで鞄の中から袋に入った教科書を探し、まるでお守りの様に抱きしめた。
「まつ……ざわ……」
たすけて。
消えたいよ。
死にたいよ。
「はは……でもダメか……」
こんなに穢れちゃった俺にはあまりに……釣り合わないなぁ
もっと気品にあふれた清楚な美人となら、釣り合うんだろうな……
想像したその画があまりに様になっていて、自分に跳ね返るように心に刺さった。
***
[視点:筆者]
その翌日の朝、学校にて。
甲斐田「なぁ飯塚、ヒロまだ来ねぇの? さっきからケータイ繋がんねぇんだよ」
飯塚「俺も電話した。寝坊か?」
紗代「どうしよう……ヒロいつも休まないじゃない? 遅れてでも来るのに……何かあったら」
甲斐田「お前は心配しすぎなんだってー。でもま、あいつがいないと……」
飯塚「妙に寂しい、よな」
その会話を松澤は聞き逃さなかった。
そして密かに、担任の代わりにホームルームに来た曽我を睨み付ける。
『――――このまま、雨に溶けて消えられればいいのにな』
そう言って儚げに笑った仙崎を思い出す。そしてその憂鬱の原因になぜだかこの男が絡んでいる気がしてならなかった。
俺と同じ感性を持ったただ一人の人間、仙崎千尋。
その明るい笑顔が見れないというだけで、まるで自分の片割れがなくなったような得体の知れない喪失感が覆っていた。
*
[視点:仙崎千尋]
俺は、未だベッドの中から動けずにいた。
「くそ……動け、動けよ……!」
身体が震えて、動くことが出来なかったのだ。
学校に行こうとすると、昨夜の輪姦が脳裏をよぎって体が拒絶反応をしめす。
ケータイも朝から幾度となく鳴り響いていたが、出ることもできなかった。
そして涙が流れる。
「こんな……、こんなことで松澤に会えなくなっていくなんて……いやだ……」
はじめて本気で恋をした。
なのに、こんな終わり方なんて。
「明日は……絶対行かなきゃ」
話しかけられなくてもいい、ただその姿だけでも最後に見ておきたい。
「そうだ、連絡先……!」
あとで体が動けるようになったら俺の連絡先を余すところなく書こう。
そして明日、少しでも隙があればいい。何も言えずともいい。一方的に渡そう。
もしも「また今度」を松澤が作ってくれるなら、もしかしたら連絡してくれるかもしれない。
ほんの少し、希望が見えた。ただそれだけで、体の震えは弱まった。
***
[視点:筆者]
その日の夜。
「結局仙崎くん今日学校来なかったんだって?」
昨夜千尋を輪姦した教師たちが密かに集まって話している。
その中心にいるのは曽我だ。
「いやぁでもそのうち来るでしょう。あの子は自分の裏の顔を上手く隠せる子ですから」
「さすが、曽我先生はよくわかってらっしゃる! 今までたくさん躾してたんでしょ? 毎回ビデオ録っておけばよかったのにー」
「……にしてもこのビデオ、よく撮れてるなぁ。俺これ見るだけで勃ってきちゃいましたよ」
「やだなー、先生、ここ学校だから!」
「このビデオ、今度デジカメで撮ればいいんじゃないですか? 動画でアップロードできますよ!」
「これ8mmビデオカメラでしょ? あのカセットみたいなのをいれて撮るやつ。――あぁ、これね。まぁこのカメラ自体ですぐ見れるからいいですけど、鑑賞会するときはVHS無いとだめですねー」
「まぁデジカメも今度考えておきますよ。でもまだこのカセットも尺にあまりがありますからねぇ、次もこのカメラで撮影させてください」
「おぉっ!? 次はいつやります!?」
「仙崎が着次第ですかね。明日とか」
「おおお、ぜひ呼んでください」
「もちろん。先生方と仲良くできて僕も嬉しいので」
そう笑う曽我は満足気な顔をしていた。
……ようやく手に入れたんだ、この日々を。
仙崎という誰からも愛される少年を人の知られないところで好きなようにして、他の教師からも邪険にされず優位に立てる。
もうあの憂鬱な日々に戻らなくていい。生徒からの信頼なんて、もうどうでもいい。
この日々のためなら、仙崎の義父に払う金が多少おおくても構わない。多ければそれだけ、仙崎を犯す罪悪感も消える。
そしていつか、仙崎を完全に自分のものにできたら……これほど幸せなことはないだろう。
***
[視点:仙崎千尋]
そして翌日。終業式の最後の日。
「行ける……今日は、行ける……」
俺の手の中にある連絡先を書いたメモをギュッと握りしめた。
自分らしくもなく、「気が向けば、連絡ください」と敬語で書いた一言を添えて。
そして若干震える手をさらにグッともう片方の手で握って、家を出た。
いつも通りに気に入ってるヘッドホンやベルトをつけて。いつも通りの髪型に。
いつもの笑顔を見せて。
*
「ヒぃぃぃぃロぉぉぉぉぉお!」
「うおぉぉっ!?」
俺が教室に入った途端そんなバカでかい声をあげて甲斐田が飛び掛かって抱きついてきた。
そして数人がわぁっと俺をとりまくようにして寄ってくる。
「ヒロ、なんで昨日来なかったの!? あたしらマジ心配したんだから!」
紗代「連絡もしたのに出ないんだもん、心配したよぉ……」
飯塚「終業式に出るなんて律儀なやつがもう一人いたもんだ。昨日は風邪か?」
その飯塚の言葉に俺はヘラヘラとした笑顔を見せた。
「そうそう! 久々に熱出てさー、マジしんどかったー」
甲斐田「ま、元気になってよかったな! 明日からは楽しい楽しい夏休みだぜ!」
そんな和気あいあいとするクラスの一角を松澤はじっと見つめていた。
*
今日の授業の大半が終わって次は終業式だ。
俺はこのタイミングを待っていた。
体育館に向かって甲斐田や飯塚たちと歩く途中で立ち止まる。
「あ、やべーヘッドホンそのまま持ってくとこだったわ。没収されたらいやだから教室に置いてくる。お前ら先行っててー」
「はは、今気づいて良かったなー」
「早く戻ってこいよ」
「おう!」
そう言って急いで教室へと引き返す。
いつもだったらまだ松澤は教室にいるはずだ。
頼む、居てくれ……!
――――ガラッ!
教室のドアを開ける。
そこは電気がついていなくて、しめきられたカーテンが外からの風でぶわっと大きく舞い上がる幻想的な柔らかい灰色の空間だった。
そしてそこにただ一人佇んでいる、求めていた人物。
「松澤っ……」
俺が入ってきたことに松澤は少し驚いたように目を見開いていた。
「仙崎、そろそろ終業式始まる……」
「これっ……!」
松澤の言葉を無理やり遮って小さく折りたたんだメモを松澤に握らせた。
「俺の、連絡先。気が向いたらでいいから、かけて……」
「仙崎……」
あれ、なんでだろう。
渡してすぐダッシュで戻ろうと思ったのに、足が動かないし、松澤の手に握らせたまま手も動かない。
言葉が、あふれ出してくる。
「俺……っ、俺、ホントは松澤とたくさん話したかったし、遊びたかった! 変に思われるかもしれないけど、松澤は俺に似た何かがあるなってずっと思ってて、そして話したら実際その通りで……」
「……うん」
「俺、もっとたくさん伝えたいことや知ってほしいことあったのに……お前の言葉で自分のことわかったのに、このままサヨナラとか、嫌だったから……!」
泣きそうになって視界が滲む。やめろ、こんなところで泣くな、自分。
本当に伝えたいことはもう一つある。
好きだ。
お前が好きだって。
でも嫌われたくない……そう思って心に鍵をかける。
俺が涙をこらえる息の詰まった音と、わずかな沈黙。
「……俺もそうだったよ」
「え……?」
「お前に伝えたいことがまだあったし、もっと……傍にいたかった」
「……!」
それなら、なんで……。
なんでもっと早く、言ってくれなかったんだよ……!
「ほら、終業式始まる。話せたら、あとで放課後に話そう」
「……あぁ」
松澤がメモをポケットに入れて俺の手を握り、走り出す。
「うわっ……」
「行こう」
そのまま廊下に出た。
「ちょちょちょ、ちょっと待って、さすがにこれは……」
「体育館前になったら、離すから」
「……ッ!」
こいつ、無自覚でこんなこと俺にしてるんだったら悪人だぞ!?
こっちはもう、惚れてるのに……。
そうして結局遅れて終業式に出た俺たちは担任からきつく説教を食らったのだった。
*
そして待ち望んだ放課後の手前。
正直言って、ここまで甲斐田たちと色々話していたが何も記憶がない。それほどに俺には松澤との約束のほうが重要だった。
松澤が俺に伝えたかったことってなんだろう。やっぱあれかな、消えたい理由とかかな。
そのときは、俺も松澤に伝えたい。聞かせたくない気持ちもあるけど、きっと受け入れてくれると思ったから。
「……はい、以上で今日のホームルームは終了だ。お前ら夏休みだからって浮かれた行動をしないように! そして松澤、お前も元気でな」
「はい」
そうして皆が待ちきれんとばかりにいそいそと終礼を終えて。
「夏休みだああああああ!」
甲斐田がそう叫び、俺たちは歓喜につつまれた。そして松澤が廊下に出るのを見た俺は騒ぎの中に身を隠すようにその後を追った。
すると、案の定松澤が廊下で俺を待っていてくれた。
「松澤……」
嬉しくて顔がほころぶ。
その時に。
「仙崎」
松澤の背後から曽我の声が聞こえた。俺は反射的にビクッと体が大きく跳ね、その異常な様子に松澤はキッと曽我を睨み付ける。
「こっちに来なさい。頼みたいことがあるんだ」
だめだ、今日だけは……松澤と……。
でも、この間の強姦を思い浮かべたら身体が震えはじめた。
屈辱的な命令。
意識を失うほど廻されて蹂躙された身体。
死ぬかと思うほど無理やり飲まされた精液。
汚らわしい男たちの匂い。汗のにおい。
もし逆らったら、次にどんなことをされるかわからない。
松澤とのあの夕暮れの時間も、雨のひと時も。
大切な時間が、嫌な記憶で残酷にも塗りつぶされていく。
手に握る汗がひどかった。
「……わかった。 ……ごめんな、松澤……」
気づかれまいと気丈にふるまったが、強張った顔と震える声は隠せなかった。
「あぁ……」
その場に立ちすくむ松澤。
その目線は去っていく曽我を睨み付けたままで、この表情を見たものはきっと誰ひとりいなかっただろう。
***
また、夜の六時過ぎまで社会科準備室で待たされた。
俺は震える身体が止まらなくて、自分の体を抱きしめている。
怖い、つらい、苦しい……。
恐怖が見えない膜のように俺を覆っていた。
あんな地獄はもうごめんだ。
「また待たせたね」
曽我の声でビクンッと身体が跳ねた。
「今日はこっちだ。ついてこい」
そうして連れてこられたのは理科室だった。
「なんで、ここ……」
「いいから、ほら早く服を脱ぐんだ」
人の気配は他には無く、輪姦はされないのかと安心する。
それだけでもまだマシだった。
俺は嫌々服を全て脱いで理科室の大きな机に寝そべった。
その姿に曽我はうっとりとした目で体を撫でまわす。
「やはり良い身体をしているな……ほら」
「あんっ!」
刺激が身体に奔ったと思ってその方を見ればスポイトで俺の皮膚を吸引していた。
コイツは俺の体をを理科室の器具で弄ぶんだと察する。
そして嫌だと思いつつ背徳的な事をしていることで自分のモノが勃ってしまい、その垂れてくる汁で曽我はいつものようにセックスをした。
なんだか感覚がマヒしたのか、この程度なら何も苦痛に感じなくなっていた。もう俺はよくわかっている。ある程度抵抗してダメだと気づいたら諦めて快楽の中に身を沈めることが、何より自分を助ける術だと。
「あぁっ……あんっ……ン……はぁ……」
「ハッ……もうそろそろ……イクぞ!」
「アッ……!」
ぷしゃっと体のなかに熱い液体がほとばしり、ずるりと中のモノが抜かれる。
「はは……あいつらも加わる前にお前と二人きりでヤれて良かったよ……」
え?
『あいつら』?
俺はハッとして曽我の背後の机を見ると、あのビデオカメラが置いてあることに気付いた。
ってことは……!
全身が一気に汗ばむ。脳の奥が冷たく凍った。
この後、あいつらにまた廻される……
あの時の地獄がフラッシュバックされた。
『曽我先生、さすがにここまではヤバいんじゃないですかー? 仙崎くん呼吸できなくなってるよ?』
『ふふ、いい恰好だぞ、仙崎。お前は本当に可愛いな』
『なぁ、これ言ってみてよ。『俺のおっぱい触ってください、乳首なめまわしてください』って』
嫌だ、いやだ、いやだ……!
「さて、あともう一回……」
曽我がまた性器を俺の中に入れようと前かがみになったとき。
「いやだああああああああああああああ!」
俺はとっさに手元にあった顕微鏡で思いっきり曽我の頭部を殴っていた。
気付いたときには、遅かった。
「ぐぁっ!」
ゴツッという骨にあたった鈍い嫌な音がして曽我が崩れるように床に倒れる。
このまま起き上がられるのが今の時点で最も恐ろしかった。
「ああああああぁぁああぁああ!」
俺は起き上がれなくなるようにと倒れ込んだ曽我をもう一度殴った。
手に痺れが走るほどの衝撃。
まだだ、まだ意識があるかもしれない。起き上がってくるかもしれない、俺に襲い掛かってくるかもしれない。殴らなきゃ。まだだ、まだだ。
泣きながら目の前の赤黒い液体を流して横たわる物体を見据えてもう一度顕微鏡を振り上げる。
その時。
「仙崎!」
人の声。……松澤?
なぜか松澤が入ってきて俺たちのすべてを見てしまった。
俺の何も身に着けていない身体も。
尻から垂れる白濁液も。
手に持った血が垂れている顕微鏡も。
下半身の性器を露出したまま倒れ、頭から血を流している曽我も。
「――――……」
「あ……あぁ……」
見られてしまった。松澤に。一番見られたくなかった人に。
涙が頬を伝うと共に、次の瞬間。
「……!」
松澤に、抱きしめられていた。
「……大丈夫だ。大丈夫だから」
「まつ……ざわ……」
「とりあえず、服着て」
「うん……」
俺は言われるがままに服を着始め、そのあいだに松澤は近くにあった雑巾で俺の体液や指紋が付いたであろう場所を思い当たる限りすべてをふき取っていった。顕微鏡は細かな部分まで血が拭ききれないと判断したのか松澤の鞄の中に入れられた。
「他、手で触れた場所とかある?」
「あとは……ないと思う。 なぁ、これって……死んでる……?」
俺は恐る恐る曽我の頭髪を触った。動かない。
俺の手にぬるぬるとした血だけがついた。
「長居していいことなんてない。とにかく逃げよう」
「逃げるってどこに……」
その言葉を遮るように松澤は俺の血の付いた手を握って走り出した。
***
[視点:松澤零二]
「……俺、おれっ……どうしたらいいかわかんねぇ……!」
雨上がりの道を走っているとようやく事の重大さに気づき始めたのか、最初はやや放心状態だった仙崎が泣きそうな声でそう言った。
それは、俺もよくわからない。
どうして自分が「逃げよう」と提案したのかも正直よくわかっていなかった。
仙崎の握る手は異常に熱く、そうなるのも無理はないと思う。
むしろなんで自分はこんなにも冷静なのだろうと不思議に思うくらいだった。
突然ギュッと強い力で手を握られた。
怖いのだろう、不安なのだろう。
そんな感情がその手から流れ込んでくるようだった。
俺はそのまま、あの公園の裏にある荒れ果てた遊歩道へ入っていく。ここなら誰も分からないだろう。
「なぁ、どこまで行くんだよ、どこに行くのさ……!」
仙崎がそう問うが、どう答えようか迷った。
正直、俺もどこに行くのかわかってない。
「無視すんなよ! なぁっ……」
……あぁ、そうか。
俺は突然振り返り、足を止めた。すると反応が鈍った仙崎は俺の胸にぶつかるようにして飛び込んでくる。
「っ!」
「……じゃあ」
俺が一言言うと、仙崎は何を言われるのかと怯えているのか、ゆっくり顔をあげた。
「……お前は、どこに行きたい?」
じっとその眼を見つめる。
そうだ、俺がこいつの行きたい場所に連れていけばいい。
すると、しばらくしてから仙崎は俺にすがりついて震える声で言った。
「……どこでもいい。どこでもいいから、誰も知らない場所に行きたい。帰りたくない……」
……そうか、それがお前の望む答えか。
俺はゆっくりと仙崎を抱きしめ、微笑した。
どこでもいいのなら、気の向くままにどこかに行ってしまおう。
俺はそれで構わない。こいつがいるなら、どこだって構わない。
俺は生きてる意味をこいつに見出していたから。
こいつが生きるのであれば、俺も生きよう。どこか知らない場所で、生きよう。
頭の奥では幸せな光景が広がっていた。
こんな絶望的な状況に、あまりに不似合いだった。
知らない土地で、こいつが俺に笑いかける。
俺も静かに微笑する。
たとえそれが、破滅への道だったとしても。
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