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第2章 1-準備、そして亀裂
[視点:筆者]
「一旦都会近くで降りよう」
そう切り出したのは零二だった。
「……ん? うん……」
その提案に千尋が気乗りしていないのは、警察の目がないか不安だからだろう。そしてやはり精神的に疲弊してるのが見て取れた。
それを見抜いた零二はぽつりとつぶやく。
「……他人に一番関心を持たないのは、都会だと思ったから」
つまりは目撃情報が薄れるということを言いたいのだろう。
なんとなくそれを察して千尋はうなずく。
そんな千尋は心の中でシミュレーションをしていた。
もし警察が俺を見て殺人犯だとわかったら。
零二を置いて自分だけ逃げよう。できるだけ零二に気付かれないように。
零二が逃げる俺に気付いたら、必ず一緒についてくる。そしたら零二も共犯だと思われるからダメだ。
あぁでも……捕まりたくない。怖い。
だからって零二にずっと縋り付いてていいのか? ……良いわけない。
零二はここまで俺を守ってくれた。いざって時は俺も覚悟を決めないと。
「……千尋」
「……」
「千尋」
強く名を呼ばれてハッとする。
「変な事、考えてない?」
「なっ……そんなことねーよ! ぼーっとしてただけ!」
「……。―――大丈夫だ。いざってことがあっても、なんとかする」
零二の言葉は不確かな要素があるはずなのに、なぜか本当にそのような気がしてならない。
でもなんだかその言葉の響きには裏で危ない何かが差し迫っている気もした。
零二はなんでも出来てしまう。でもだからこそ、俺のせいで常識や道徳の範疇を超えてしまいそうで。
「れいじー」
甘えるように隣の零二に抱きつく。でも千尋の顔は真顔だった。
そして零二の体温を確かめるように一呼吸おいてから、零二に跨るように座席に膝立ちをしてその頬に両手を添え、真正面から顔を向き合わせた。
昇り始めている太陽が柔らかく千尋の表情を映す。
千尋は慈しむような切ない表情で零二の片頬をなでた。
「……頼むから、俺に何があっても悪いことや危険なことはするなよ?」
「……」
答えが返ってこないのは、千尋の不安が的中してる証拠に思える。千尋はさらに付け加えた。
「――――人を殺したのは俺だ。お前は俺を助けてくれたけど、お前が何か悪いことをしでかす必要はないんだかんな?」
「……声、少し震えてる」
「……ははっ。そりゃあ怖ぇもん。これからあの事件が報道されたり、世間の目が向くんだろ? お前の父さんが手まわしてくれたって警察に逮捕されてもおかしくない。怖いよ」
「……」
「でも、これが俺のしでかした事の罰だから。怖いけど……ここは男らしく強がらせてよ」
そう言って笑った千尋の表情は、綺麗だった。
***
しばらくして電車を降りる。
ずっと座ってガタゴトとなる振動を感じていたからか、地面についた脚が浮ついたような違和感があった。
「……なーんか、久しぶりの地面って感じ」
「そうだな」
同時に現実に呼び戻されてしまった気もしたのか、千尋は少し顔を強張らせる。しかし零二に気負いはさせてはいけないと思い、平静を装った。大丈夫だ、母さんの時もそうだった。……大丈夫だ。
気を紛らわせようと千尋はあたりを見回した。少し古びたホームからは都会とは言えない住宅街が眼下に広がっている。
零二も同じ景色を見ていたが、ふと思い出したように千尋を見た。
「千尋、ひとついいか」
「? うん」
「さっき東條さんから通帳を受け取ったけど……あれはなるべく使いたくない。親に頼り切ってる気がして嫌なんだ」
「うん、わかった」
「お前がきっかけで、俺は初めて自分の手で人生を選んだ。出来る限り、自分の手で解決したい」
「……うん」
そんな一大事のきっかけが俺で良かったのかな、と千尋は一瞬考え込むが、零二が歩き出したためにその思考はプッツリと切れた。
「ちょ……、どこ向かうのかわかんのか?」
「わからないけど……たぶんあっちだと思う。しばらく歩くだろうけど、休み休み行こう」
「それってもしかして……」
「野生の勘」
「ですよねー……」
そうして俺たちの旅……というのか、逃避行は始まった。
***
……ひとつ詫びよう。
この男の野生の勘を、侮っていた。
零二は「なんとなく……」とか言いつつ、あっさりと都会への道を迷うことなく見つけ出し、数時間後には人ごみの中にいた。
「零二……なんかごめん。お前のこと侮ってた……」
「? 別にいいが…。さて」
「ん?」
「なんで都会に来たか分かるか?」
「えーっと……少しでもあの町を離れて人ごみに潜伏するため……?」
「外れてはいないが、それだけじゃない。俺たちの生活に必要な物を買いそろえるためだ」
「……! なるほど!」
「まず最初に……お前の制服。上だけでも脱いだ方がいい」
「あっ……ごめん。これで少しは目立たないかな」
「まぁこっちにはまだ夏休みに入ってない学校もあるだろうからおかしくはないだろうけど、一応な。で、まずは服を買おう。その後に着替えてから、生活用品」
「了解!」
*
[視点:仙崎千尋]
服を買う、とは言ったものの。
俺はそんなに金を持ってるわけでもなく、零二と入ったショッピングモールの店ではあまり買えないだろうという事実に直面していた。
好みの服はいくらでもある。でもそのどれかを選ぶのがまた難しい。それに下着も買わないと……。
でも零二を置いて一人、もっと安い店に行って服を探すというのもなんか惨めな気がして嫌だ。
うーん……ここはひとつ、気に入ったものがなかったという言い訳を考えておこう。
とりあえず俺は好みの服で何パターンかコーディネートを考えていた。前からこういう服のコーディネートを考えるのが好きだったし、何しろ良い店だから品が良い。コーデのし甲斐がある。
あー……でも、こっからどれを選べばいいんだ……? 春夏秋冬にあうコーデをそれぞれ何パターンか作ったけど、ここから先が決められない。しかも金が間に合わないよな。これとこれを着まわしたとしても……。
これから生活用品も買うんだろ?もっと使う額減らさなきゃ……。
そんなこんなで悶々としていると。
「……すみません、ここにおいてある服、全部ください」
……へっ!?
青ざめた顔で抱え込んでた頭を上げると、頭上で零二が俺が並べていた服を全て店員に渡そうとしていた。
「ちょっ!? ちょっとまった! ……すみません、ちょっと相談を!」
零二のバカ! 世間知らず! 金持ちめ! ばかばかばか!
そんな悪態を心の中で大音量で叫びながら、零二を少し離れたところへ連れて行き、向き直る。
「お前、何考えてんの!? あれ全部を俺が買えるわけないじゃん! それにスーツケースに入らねーっつの!」
「じゃあ入れられるだけ買おう」
「だーかーら! それを買えるほど俺は裕福じゃねぇの!」
「お前が裕福かどうかとかそういうのを言いたいわけじゃないけど、あれは俺が買う。生活用品も。今後の生活費も」
「は?」
「……俺はその覚悟を決めてお前を連れ出した」
「……!」
「……俺が責任をとる。もちろん今後のことを考えて支出の額を算出してる。たぶん大丈夫だ。……まぁきっと今後はかなりキツい生活をさせてしまうけど……。ただ、服をいくらか持っていないと、いざ警察に服装を特定された時が面倒だろ」
「な……っ、なんなんだよ、お前……責任とか、そんな……」
『俺が責任をとる』
その言葉の重さだったり、ドキドキしたり、申し訳なかったり、頭の中が動揺して動かなくなってきたところ。
「すみません、やっぱりここにあるのを全部ください」
「……おい!」
零二はさらっと俺と自分の分の服を買ってのけてしまった。
***
「はぁ……」
「なんとか全部入ったな」
一通りの生活用品もすべて買い終わり、俺はフードコートでグッタリとしていた。
「俺は心臓が持たないんだけど……」
今日だけでいくら使った? 俺の持ってる金の数倍は確実に使ってる。
「しょうがないだろ。長い目で見ればどうしようもない出費だ」
「零二……、俺なにでお前に恩返しすればいい? 何も差し出せるものがないんだけど……」
正直、差し出せるものと言えば『体での奉仕』だ。でも話が生々しくなるし、零二がそれを望むとも限らなかったからやめた。
いや……拒否されるのが、怖かったのかも。
「……別に。そのうち考えるよ」
「えー……」
――――そんな時だった。
「では、ここで速報です。伊瀬ヶ谷 県の公立高校の教師である曽我 晋也さんが遺体で発見されました。頭部には二か所殴られた跡があり……――――」
フードコートにあるテレビからそんな声が聞こえた。
「「!」」
千尋と零二はすぐさまその方を見る。
そしてその次に聞こえた言葉は。
「そして先ほど伊瀬ヶ谷県警に封筒に入ったビデオが送られ、その中身は殺された曽我氏とその他数人の教師がひとりの男子高校生を暴行する様子が映されていたとのことです。県警はこの少年を殺人・もしくは拉致された可能性も見て捜索すると発表しました」
「……ッ――」
そのテレビから聞こえた言葉に一気に千尋が青ざめる。
そして表情は険しくなり、怒気をはらんだ声で零二を呼んだ。
「……おい、ちょっとこっち来い」
零二は動じずに席を立った千尋についていく。
千尋が怒っているのはビデオの件だ。
……いつかはこうなる日が来ると、わかっていた。
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