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第2章 5-夜汽車に乗って

  [視点:仙崎千尋]  ……視線が怖い。  たくさんの目、目、目。  こっちに向けられてる訳ではないのだろうけれど、まるでずっと見られているようだ。  この狭いバスの中、揺られているうちに浮かぶのは再び迫る恐怖だった。  学生やサラリーマン。みんな持ってるスマホや携帯。もちろんそこからは情報だって得られる。  もし皆が見ているページが俺の事件のことだったらと思うと、その場から逃げ出せない恐怖で吐き気がした。  もしかしたら俺が犯人だと気づいて誰かが通報してるんじゃないだろうか。  もしくは、バスを降りるときに運転手に気づかれるんじゃ。  被害妄想や疑心暗鬼は止まらず、脳内はオーバーヒートするんじゃないかというほどに回っている。握ったままの拳は汗で湿っていて、体の震えは止まらない。  結局そして行きつくのは、『やっぱり捕まった方がいいんじゃないか』という、零二の説得を裏切った回答だった。  そのとき。 「……寝てた」  寝起きのような雰囲気が混じりつつも平然とした声音の零二が瞳を開き、そっと泣きそうな俺の頬に手を当てる。 「疲れた顔してるな、千尋」  俺は無理をしてわかりやすく造った笑みを浮かべた。 「……なんでそんな平然としてられるんだよ」  すると零二は不思議そうな顔をしてから少し考えて。 「少し寝たからだろうな。考えや気持ちが澄んだようになる。リセット、っていうの?」 「やっぱり不思議なヤツ」  ほんの少し事件の前のような会話が出来たことが胸に沁みた。  ……だからこそ、構えていた心が脆くなる。  俺はもう一度零二にかぶさるように体勢を前に屈ませた。両腕で零二の顔を囲って、逆光が俺の表情を隠す。こんな表情、見られたくない。 「……零二、俺こわいよ。今ここに居る人間全員、怖い。見られてる気がするんだ。通報されたらどうしようって考える。もう疲れた……」 「……千尋……」  その時バスのアナウンスが告げた。 「――次は、ニューアクアマリン前。ニューアクアマリン前。お降りの方は降車ボタンを押してください」  すると突然起き上がった零二が降車ボタンを押す。  それに驚いた俺はすかさず零二の腕をつかんだ。 「ちょっ……! 嘘だろ!? 水族館見てる暇ねぇって!」  すると零二はポカンと呆気にとられた顔をする。 「? 見ないけど。このタイミングでボケるの?」 「へ?」 「それとも見たいの? 水族館」 「いや、そりゃあいつかはな。 今は見る暇ない」 「だよな」  そして少しの沈黙の後に二人して苦笑する。 「……零二、なんか俺少し気持ちに余裕あったかも」 「うん」  やっぱり返ってくるのは数の少ない優しい言葉。  それを聞くとともに俺の笑顔の裏では少しずつ気持ちは『決意』という名目で、冷たく固まっていく。  *  やがてバスは「ニューアクアマリン前」という水族館前の停車場に付き、俺は零二のお陰で緊張も少しは和らいでぎこちなさもなくバスを降りることができた。  バスを降りたのは俺たち二人だけ。  それも当たり前かもしれない。こんな雨の降る日にわざわざ水族館に足を踏み入れる人は少ないだろう。 「ここから少し歩いて駅まで向かおう。確か夜行列車があるはずだ」 「待って」  空は夕暮れ時のはずだが、しとしとと雨を降らせる雨雲で灰色に空を染めていた。俺は水族館から少し離れた道の脇にあるコンクリート塀に腕を乗せて、そこから群青と灰色が混ざったような鈍い色の海を眺める。  目線を上へと仰げば複数のループ橋や高速道路が入り組んでいて。空から降る雫は俺の涙さえ簡単に流してくれた。  その雰囲気に何か嫌な予感がしたように、身構えたような表情で零二が静かに俺を見つめている。  そう。さよならを言う時間だ。  声を震わせるな。  泣き顔を見せるな。  少し語気を強めて。  大丈夫、できる、できる。 「……零二、ここまででいいよ。今までありがとう」  * [視点:筆者] 「……零二、ここまででいいよ。今までありがとう」  千尋から紡がれた言葉に零二は冷静に言葉を返す。 「……何が」  雨が少し強まってアスファルトの地面を打つ。水煙が足元を覆った。 「さっき言ったろ? 『もう疲れた』って。それに気持ちに余裕もできて思ったんだ。もうこれ以上逃げないほうがいいって。俺さ、考えがガキ過ぎたよ。周りのこと何も見えずに零二に縋って、振り回して、全部壊して。だからもうやめる。――……零二と俺はさ、一緒にいない方がいいんだ」 「……じゃあ、捕まりに行くってことか」 「何度も言わせんな」  その言葉の後に落ちる沈黙。  あぁ雨の音がうるさい。何か、早く何か喋ってほしいと千尋はうつむいたまま願う。雨が滴った前髪がその泣きそうな顔を隠していたことが救いだった。  しばらくして零二が発した言葉は、弱っている千尋に追い打ちをかけるものだった。 「それは、俺と離れたいってこと?」 「…………ッ!」  ピクッとアスファルトの塀に乗せたままの手の指が動いた。やめろ、なんでそんなこと言うんだと千尋は心中で叫ぶ。  押し黙ったままの千尋の様子を見据えながら零二はさらに言葉を畳みかける。 「確かにお前の言う通り、この事件に関わって色々なことが変わった。俺の留学は無くなり、俺自身としては家族と縁を切ったつもりでもある。人を高いところから突き落としもした」 「……めろ……、やめろ!」  そんなことさせたくなかった、と千尋は言いたかったが降りかかる零二の言葉の雨は最後に深く胸に突き刺さった。 「――それでも、俺はお前と一緒にいることを望んでる。お前となら自分が『存在している』気がするし、お前となら一緒に消えてもいい」  零二は数歩前に出てこちらに顔を向けない千尋に迫り、肩を強く掴んで顔を自分の方へと向けさせた。  予想していた通り、その顔は涙に濡れている。  零二も少し泣きそうな、まるでひどくつらそうな顔をして優しく言葉を紡いだ。 「……お前の本当の想いはなんだ?」 「……っ」  千尋は泣くのをこらえていた顔をくしゃっと歪ませて、ついに涙を流しながら零二に抱き着いた。 「俺は……っ! 零二と一緒にいたい……! 捕まりたくなんてない!」  零二はその言葉を聞いて千尋の肩に顔をうずめて、さらに強く抱きしめる。 「でもさ……、そんなこと俺が本心で言えるワケねぇじゃん! 人の人生ぶち壊してんだぞ!? 何度だって気持ち揺らぐに決まってんだろ!」 「俺の幸せが、お前が傍にいることだとして」 「は……?」 「お前が俺を幸せにしてくれれば、俺の人生をぶち壊してても良いことにはならないか?」 「な、なに、言って……」  零二を幸せにする? 俺が?  千尋は困惑した様子で零二の胸を押して離れようとする。少し腕を緩めた零二が少し顔を傾けて、千尋の頬に手をやりながら一言。 「笑って」  その微笑に相変わらず弱い千尋は、む、と顔を照れたように背けながら。 「わ、笑えるかっ」  そう言いながらも甘えたように、コツ、と零二に頭を当てた。  零二はその様子に満足したように笑い、軽くその頭をなでながら背を押して歩くように促す。 「……行こう、千尋」 「……うん」  いいのかな、と思いつつ零二の得体のしれない魅力に引かれるように自然と千尋は零二の差し向けられた手を取っていた。  そして二人は、歩き出す。  *** 「あーもう! これだから金持ちは!」  開口一番グチを言ったのは千尋だった。そこは夜行列車の一室で、狭い個室の中に二段ベッドがふたつ押し込められている。  切符に書かれた番号のベッドは入口から入って左の二段ベッドだった。 「悪かったって。初めてだったんだ」  千尋が言ってるのはこの切符を買うときのこと。零二が間違って一番高い席を買おうとしたから冷や汗を流した千尋が慌てて止めて一番安い席にしたのだった。  高い席になんて乗ったら余計目につくだろと言いながら、千尋は他の同室の者がいない部屋を歩き、狭いシャワールームを見つける。 「やっぱこれもコイン式か……。100円で3分だって。零二、時間終わりそうになったら金入れてくれる?」 「あぁ」  初めて乗る夜行列車の、しかも本来なら縁もなかったような一番安い席の室内を物珍し気に見る零二はなんだか楽しそうだ。 「聞いてる?」 「あぁ、聞いてる。面白いよな、3分100円って」 「そうかなぁ……」  そうしてシャワーに先に入った千尋だが、なんだか時間が気になってゆっくりもしてられない。急いで髪や体を洗うがいつもの癖で余計なところまで丁寧に洗ってしまった。  悩ましい声が口から微かに漏れる。 「んぅ……」  するとシャワーの()りガラスの向こうの影が揺らいだ。 「千尋? 何か言ったか」  その声にドクンと心臓が脈打ち、今自分のすぐ傍に零二が居たことを再認識する。 「い、いや! 何も!」  変なことを考えてしまったせいで、体の芯が熱くなってきてしまった。……どうしよう。  *  そんな千尋の葛藤など知らず、サッとシャワーを浴び終えた零二は互いに新しい服に着替えてベッドに座る。  しかし千尋はなんだか居心地が悪いようにムズムズとしていた。  ……なにせ、今まで毎日人に犯され、自分でも性欲処理を頻繁にしていたのだ。昨日一日してないだけで熱が有り余ってる。  それはきっと心に本格的な余裕ができ始めたからかも分からないが、それでもそれはそれで困ったものだった。  早く、抜きたい。 「れ、零二!」 「ん?」 「ちょっとトイレ行ってくる。だいぶ遅くなるかもしれないけど、気にするな」  少し、トイレで抜いたりしてれば誰か犯してくれないかとさえ思っていた。  すると、すぐさま腕を引かれて制される。 「……え?」 「なんで、遅くなるんだ」  そこでハッとした。零二がこんなに心配するのは俺のせいだ。俺が昼間、勝手にどこか行ったりしたから。  自分で自分の首を絞めた気がした。  でも、俺の中の悪魔のような淫欲がついに口に出てしまう。 「……抜いてくるんだよ。毎日ヤられてばっかだったからさ、溜まってんの」  それでも腕を引く手は放されなかった。まだ疑ってんのか、となぜかイラついた。 「それとも」  そう言いながら千尋は二段ベッドの下の段に座る零二にまたがるようにして軽く押し倒す。 「手ぇ放さないってことは、零二が相手、してくれるの?」 「……っ」 「……俺とヤるときだけ俺の好きなタイプになるように、お前を調教したいよ」  そこで何も言わず困惑した表情を浮かべる零二を見て、言いくるめたと判断した千尋が微笑を残して部屋を出ようと体を元の体勢に戻すと。 「……何をすればいい?」  予想外の言葉が来て返答に詰まる。 「!」  そして今度は千尋が零二に押し倒された。形勢逆転で、千尋は心臓の高鳴りが止まらない。  ちょっと煽ってみただけなのに、まさか。 「俺はこういうの、よく分からないから。お前が言って」 「なっ……なんのプレイだよっ!」  いちいち口で言わせるとかホントなに!? と千尋は心の中で悪態をつくも、その反面夢見た瞬間が目の前に迫っていることに足がすくむような思いだ。 「で、何をするの」 「え……と、ぬ、脱がして……」 「全部?」 「……へっ?」 「まぁ、いいや」  零二の手が千尋の腹の方へ降りてそこから服の中へ手が入り込む。  なんで。  昨日なんて裸見られて、裸のまま一緒に寝たはずなのに。  なんで、なんで?  千尋は何故か今行われている行為の方が格段にゾクゾクと感じてしまっていた。  零二に、脱がされる。ヤバい、ヤバいって! 「ま、待って、やっぱ自分で……」 「もう遅い」 「……あっ!」  思い切り上の服をはぎ取られた。予想外の獰猛さに体が震え、女々しくも胸元を手で覆い隠している。怖いわけではない、はずだ。  そこでハッとした零二は一度我に返った。  本田の言葉が脳内で繰り返される。 『……松澤零二、正気に戻れ! お前はそいつに狂わされてるんだぞ、はやく目を覚ませ!』  零二が恐れているのは曽我のように千尋の『魔性』に狂わされて、千尋を私欲のために襲うことだ。  今、自分はそうなりかけてはいなかったか?  だが、その間にも千尋は自分で下に履いてるものを下ろし、恍惚の笑みを浮かべながら零二の手を引いて胸元にあてている。先ほどの恐怖のようなものを強姦されてるようなものだと早くも変換してしまったらしい。  好きな人物に、強姦される。  普通なら嫌悪されやすいことなのかもしれないが、千尋の歪んだ性癖ではそれはひどく幸福で悦楽的な行為だった。 「ねぇ、零二。俺をめちゃくちゃにして。今までの嫌なこと全部忘れるくらい、めちゃくちゃに」 「千尋……」 「好きにしていいから。思いつかなかったら、乱暴に体撫でまわして。それだけでも、いい」  零二は一度強く目を瞑った。理性を、一度断ち切ろう。  そうして零二は上に着ていた服を脱ぎ捨て、片目を覆い隠すように前髪を掻き上げた。  その色っぽい姿に千尋の芯はさらに固くなる。 「やば……、すげぇエロい」  いつもは見せない獰猛な零二に、見降ろされてる。たまらない。もっと見下して。  そして零二の両手は乱雑に千尋の身体の感触を隅々まで楽しむように動いていく。  その舌は胸の、男ならば異様に勃っている乳首を舐めた。 「あんッ……! や、れいじ、刺激、つよっ……!」  行為のやり方を知らないと言っていたはずだが、ここまでできるのは、千尋が犯されていた例のビデオテープを見たからだろうか。 「吸いたくなるな、これ」  そうしてピンッと強く指で乳首を弾いてから吸い付かれる。 「ひゃうっ!」  そのまま片手はするすると胸や腹をなでて下へ下がっていき。 「え、あ、嘘……!」  すっかり勃ちあがっていた体の中心をしごき始めていた。 「やだ、ダメ、零二、すぐイっちゃうからぁっ……!」  そうして間もなくして。 「ッ!」  千尋は達してしまった。そして、その精液が零二の身体にかかってるのを見る。 「わ、ごめん!」  少しのいわゆる『賢者モード』というか、放心状態からハッとして零二の身体を拭こうとしたとき。  なんとなく目がいった零二の下半身を見て、自分の後ろがうずいた。  急に泣きたくなる。  ソレがほしい。ソレで俺の中をぐちゃぐちゃにかき回してほしい。  すべて忘れたい。人を殺したことも、追われてることも全部、忘れたい。  忘れるほど、俺をめちゃくちゃにして。ソレを俺に挿れて。 「どうした、泣きそうな顔して」 「……ううん、なんでもない」  零二と、狂うほどセックスしたい。なんて。  …………そんなこと、言えない。 第二章 -終-

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