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思い出を、今。
[視点:松澤零二]
鈍行の電車を何本か乗り継ぐ途中で千尋は歓声をあげた。
その視線の先には海水浴場が広がっていて、太陽がきらきらと海面を輝かせている。
空は抜けるような青が広がり、カモメが数羽俺たちの上を飛んでどこかへ羽ばたいていった。
潮風も爽やかに吹き、磯の香りが鼻腔をくすぐる。
千尋は堤防の上に立ち上がり、海を見据えたまま真面目な表情で俺に聞いた。
「零二はさ、海で遊んだことある?」
それに対して俺は首を横に振る。そもそもまともに友人さえいない。家族とは……行ったのかもしれないがそれは記憶のどこか遠くにあるほど昔のことだろう。
「ないよ」
「俺はさ、中学以来行ってない」
なぜか神妙に話した千尋に訝 しく思っていると、『中学』という単語でピンときた。
千尋が義父に犯された頃じゃないか?
俺がハッとした表情をしたからか、「気づいた?」と悲し気に千尋は自嘲の笑みを浮かべた。
「ホントはさ、『夏休みには海行こうぜ』って甲斐田たちから誘われてたんだ。修学旅行では風呂で騒ごう、女湯覗こうとかバカ話しててさ」
途端に、千尋は泣きそうな声になる。
「でも本当は……こんなカラダじゃ、そんなことどれも出来っこなくてさ……心許してる友達の前で裸見られたくないとか思っちゃって……」
「…………」
「あいつらと色んな予定立ててたけど、話して、想像して笑ってる時が一番楽しかった。でも楽しいなら楽しい分、つらかった……」
千尋が片手でゴシ、と目をこする。
俺ができることはなんだろう。思いつくのはひとつしかなかった。
「千尋、海で遊ぼう」
「え……?」
「俺は物語で読んだことくらいしか知らないけど、それでもいいなら」
お前が実現できなかったことを、俺が実現させてやりたい。
正直『遊ぶ』って行為にはかけ離れていた自分だけど、そこはきっと千尋が教えてくれる。
俺は千尋の返答を聞かずに堤防へ飛び乗って、その手を取って砂浜へ飛び降りた。もちろんスーツケースも後から引っ張り上げる。こんな時に盗難でも起こったら困るだろう。とはいえ、この町に人の姿はまったく見えなかったが。
千尋と俺は波打ち際で再び海を眺める。ここからどうしようか。
そんなことを考えていると。
「零二!」
「!」
千尋に抱きつかれて俺は砂浜の上に倒れる。
千尋はしばらく俺の胸から顔をあげず、
「……ありがとな。俺、今すげー嬉しい」
そう囁 いた。
――――ドクン。
なんだろう、千尋の声を聞いた途端、胸が苦しい。
この気持ちはなんだ?
そう疑問に思っていたところに聞こえたのは「あ」との一言。
すぐに上体を戻した千尋を不思議に思っていると。
――――ザザーーーッザプン!
「なっ……!?」
俺はひときわ強めの波に飲まれて水浸しになった。
それを見て千尋は笑う。
「ははははっ! 零二が海水まみれ!」
そのことにムッとしたのと悪戯心が沸いたのは同時だった。
俺は無言で千尋の身体を抱き上げ。
「え、えっ!? ちょ、ちょっとま……」
――――……ザプーン。
浅い海面に投げ飛ばした。
「これでおあいこだ」
俺は勝ち誇った笑みを向けると今度は水が飛んでくる。
「ひでーよ! 今ちょっと海水飲んだ!」
「人のこと水浸しにしたからな」
俺も対抗して海に入り、手で水を薙ぎ払うようにして飛ばす。
飛び散った水しぶきと太陽のように明るく笑う千尋がまぶしかった。
それからお互いがずぶ濡れになって、あっという間に日は暮れて。俺たちは遊び疲れた足取りで堤防の影へ戻り、人が居ないことを確認してから服を脱ぎ始める。
「あ、あんまりこっち見るなよ?」
「わかってるって」
そう言いつつチラッとその背中をみれば、男たちにつけられたキスマークと思われる鬱血の跡が薄くなっているのを見る。
このままこいつの中にあるトラウマも、つらい記憶も、この跡のように消えていけばいいと思った。
*
ある程度着替えが終わったとき、空が藍色に変わるにつれて人々がこっちに向かってくる気配がした。
「え、なんだろ」
「分からない。みんな堤防のところまで来たな」
「着替え終わっててよかった……」
「ほんとにな」
すると堤防の方を見ていた俺たちの背後でヒュルルルル……と音がしてパンパンパンッと三発花火が鳴った。花火大会の開始の合図だった。
「……花火だ!」
そう子どものように嬉しそうな声音で叫んだ千尋に上から声がかかる。
「おう、お前らそんなとこにいたのかい」
地元の人なのか六十代ほどの男が頭にはちまきをつけてこちらを見ていた。
「すみません、立ち入り禁止区域でしたか?」
「いやぁ別にそんなこたぁねぇよ。かき氷。なに味がいい?」
「え?」
するとすかさず千尋が「いちご!」と叫んだ。
「そっちの兄ちゃんは?」
「いや……なんでも……」
話の展開についていけずにいると、その男の人の背後で『かき氷』と思われる旗の『か』の字が見えた。
しばらくしてから千尋にイチゴ味のかき氷、俺にはメロン味のかき氷を渡される。
「ありがとうございます。これ、いくらですか?」
すると気前よく笑った男の人は、
「いやぁいらねぇよ。気持ちだ、気持ち。子どもは子どもらしく花火楽しんでな!」
そう言い残して他の客の注文を受けに行った。
千尋は茫然として手元のかき氷を見て。
「これ、プレゼント?」と言った。
「そう……らしいな」
すると千尋は満面の笑みを浮かべて「おっちゃん、ありがとなー!」と叫ぶと、上方から「おーう!」と威勢のいい声が返ってくる。
「ね、零二、花火見よ?」
「……そうだな」
そうして二人並んで花火を見る。
空に浮かんでパッと咲いては散っていく綺麗な花。
その美しさと儚さは、なんとなく千尋にも似てる。
千尋は花火を眺めてから俺に笑いかけた。
「零二、今日はありがと。すげー楽しかった! ……良い思い出になったよ」
「うん」
俺たちは二人並んで堤防によりかかるように座り、そっと指を絡ませた。
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