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第3章 5-交わり 前編
[視点:松澤零二]
――――サアァァァァ……
シャワーの音が心地よく耳に降り注ぐ。でも心境は、そんなに心地いいものではなかった。
あれほど千尋を何度も説得したにも関わらず、千尋は何度も一人で逃げ出そうとする。
一度目は俺が悪かった。でも他は……
「……苛立つ」
俺の言葉を信じてくれないことが。
俺を頼りにしてくれないことが。
俺が居ながら、他の男に抱かれに行ったことが。
もしかしたらそれは……
信頼、されてない?
同時に蛇口を捻って水を止め、目を見開いたその首筋をシャワーの雫がつたって落ちていく。
でも千尋は俺に『初めて』を奪ってほしかったと言った。
それは俺のことが好きだ、と解釈していいはず。
俺だって千尋へのこの気持ちが恋というものだと気づいた。
じゃあなおさら、何故?
……あぁ、むしゃくしゃする。
これまでの人生、ここまで腹が立つことなんて無かった気がする。
父や兄が敷いたレールの上を空虚な気持ちのまま歩いてきただけ。感情が揺さぶられることはそうそう無く、しいて言うならば母が亡くなった時だろうか。
でも今は。
あの時とは全然違った種類の感情の揺らぎで、ひどく胸や脳内が熱い。焼きちぎれそうだ。
千尋と居ると良い意味でも悪い意味でも、俺に欠けていた『生』に属する気持ちが開放されていく。
それはあまりに綺麗なようで、ひどく醜い。
すると。
「れ、零二……?」
浴室のドアの向こうから、おどおどとした千尋の声が聞こえた。
「なに?」
バスタオルを下半身に巻き付け、ドアを開けないまま聞き返す。
「いや、その……シャワー浴び終わってから結構時間経ってるから大丈夫かなって」
「大丈夫」
……そんなはずはなかった。自然と声音が低くなる。
だって信頼されていないのであれば、俺がここまで連れ出したのも良くなかったってことだ。
でも曽我を殺して逃げ走ってるときは、どこでもいいから誰も知らない場所に行きたいと言った。
……どういう意味だ? 理解が追い付かない。
――――千尋の気持ちが、分からない。
*
[視点:筆者]
しばらくしてから零二は沈痛な面持ちで浴室から出てきて、ベッドの上にいた千尋はぎょっとする。
その表情に自分がしてしまったことを後悔すると共に、それに反して明るい場所で初めて見た零二の薄く腹筋のついた体に見惚れるし、心がパニックを起こしそうだ。
「えっとさ、そのっ……!」
「千尋は、俺のことが好きなのか?」
唐突な質問に千尋は目を瞬かせ、しばらくしてから俯き加減で顔を赤くし、こくんと頷く。
それを見てまた胸が苦しくなる。だったらなぜ、どうしてと。
「俺も……お前のことが好きだと今さらになって分かった。今思えば、俺の家でもあの夜行列車に乗った時も、『普通の友人』にしてやる範疇を超えてた。その当時は『千尋と俺は同じ空虚な心があったから』って言葉で漠然と片づけてたけど……きっと初めて話したその時から違ってたんだ」
「え……」
千尋は信じられないと言いたげに目を嬉しさがあふれそうなほど見開いた。
「でも」と切り出して零二は千尋の横に座る。
「それじゃあ、もう一度聞くけど俺のことが好きなのに他の男に抱かれに行ったのはなんで?」
「それは……さっきも言ったとおり、金が欲しくて。自分で稼いだ金が欲しかったんだ。でもそれには、あの方法しかなかった」
「俺のことが好きでも、簡単に他の男に抱かれるんだ?」
その言葉にカチンときた千尋はふかふかの枕を零二に投げつける。当然零二は痛くなかったが、千尋の本当に辛そうな顔を見て質問したことを後悔した。
「ふざけんな! 簡単にできるわけねーだろ!? いざホテル来たら怖くなって、あのおっさんに怒鳴られたんだぞ!」
「……!」
千尋は懇願するように零二にしがみつく。
「ホントなんだよ……。もう俺のこと信用できないかもしれないけど、これだけは信じて……。俺は本当にお前が好きなんだ」
「……」
「何度も逃げ出したり、自首しようとするのもごめん。どうしても、つらいことや聞きたくないことがあると逃げたくなるんだ。昔からのクセ。本当にごめん。でも零二が俺に囚われないようにするならこれが一番だって思ったりもする」
「俺が、千尋に?」
「零二は何度も俺と一緒にいるのが幸せだって言ってくれるし何度だって説得してくれる。俺だってその時だけはそう信じたくて頷く。……でも、後から罪悪感がやっぱり襲ってくる。毎晩、夢でうなされるんだ。もう辛くて耐えきれなくなる。俺たちは一緒にいるほどお互いのこと想ってるはずで、そうしたらやっぱり離れることが一番だってなるんだ」
「……なんだ、それ」
「え?」
零二の一瞬苛立ちを見せたような口ぶりにゾクッと背筋に電流のようなものが駆け抜けた気がした。しかしそれもすぐに消え、話の内容をまとめるために零二はいつもの冷静な口調に戻る。
「それじゃあお前が逃げ出したり、矛盾した言動をする理由は色んな事に対する罪悪感なんだな?」
「うん……まぁそうなるけど」
「最初からちゃんとこうやって話し合っておけばよかった。俺たちはすれ違いすぎたな」
『すれ違いすぎた』その言葉がボロボロだった千尋の心に深く刺さって涙が出る。まるで弱点を突かれたようだ。
本当は零二の前から姿を消してばかりの自分に、理由はあれども嫌気がさしていた所がある。いつも衝動で逃げ出してしまっては、何度も後悔した。
それに、あの学校にいた時とは確実に零二との心の距離が離れて行ってるのを空気で感じてもいて。
それを感じさせられるごとに、つらかった。
ただ零二も自分のことを『一人の人間として』好きでいてくれたことが、千尋の心に無数に刺さったままの中にあるひとつの棘を溶かしていく。
零二は千尋のあごに指をあてて自分の方へと顔を向けさせる。
「……ん?」
「もうこういう事が起きないように、誓いをたてよう。……俺はお前を守ることを誓います」
千尋は目を丸くして慌て始めた。
「ち、誓い……!?」
これって、なんだかプロポーズ……!? いや違う、結婚式のアレ!?
「……! えっと、お、俺は……!」
なんて言えば良いんだ!? 汝いかなる時も雨にも負けず風にも負けず……? なんか違う、どうしよう。
慌てる千尋に零二が助け舟を出す。
「俺の前から一人で逃げ出そうとしないで。逃げるなら、俺も一緒に」
その視線は実に真摯なものだった。二人はようやくまっすぐに見つめ合う。
「……うん。今度こそ、誓います」
そうして再度、二人は口づけを交わした。
唇が、やわらかい。
それだけ感じた後はひどく恥ずかしくなって、ガバッと零二に抱きついた。端正なその顔に真正面から近づくのは心臓に悪い。
そんな千尋に零二は優しく髪を梳く。こんな幸せな瞬間が訪れるなんて。信じられない。
そうして幸せな余韻に浸っていたら、ここがラブホテルだったことに遅れて気づく。零二もシャワー浴びたんだし、ってことは……。
「ねぇ、俺のこと抱いてくれるんだよな?」
「っ……」
「はやく、しよ……」
その煽情的な言葉と表情を見せられ零二は思う。
……あぁ、魔性に狂わされる……。
*
零二はベッドに入ると今回も千尋を捜すのにかなりの労力を使ったのか、安息したかのような長く薄い溜息をついた。
「このままだと、寝そうだ……」
その様子を見て千尋の心はまた傷つき、これから行為に至るのを躊躇し始めるが……ここでスパッと決意する。
いつもこうやって遠慮したり躊躇したりするから俺たちの心は近づかなかったんだって。
……もうそういうの、やめよう。
「そう言っても、寝かせねぇから」
そうして遠慮なく零二の上に被さった。すると零二は優しい笑みを浮かべる。
「やっと遠慮しなくなったな。今一瞬だけ躊躇しただろうけど」
「……うん。もう遠慮しねーから、覚悟して。俺がお前を骨抜きにしてやる」
「それを待ってた。たぶん、心のどこかで」
すると千尋は勢いよく零二の顔に自分の顔を近づけ、思い切って口づける。その唇を舌で割り入って、互いの舌を軽く絡めた。
舌の柔らかく、そしてほどよく温かい、ほんの僅かにざらついた感じ。二人の乱れる呼吸音。
「っは……、やば、こんなの初めてで俺まで余裕なくなる」
「今日は俺をリードしてくれるんじゃないのか?」
その零二の挑発的な言葉にニッと笑って見せた。
「今からそうしてやるよ」
そうして零二をベッドの端に座らせる。千尋は床に座って内心ドキドキしながら未だ目の前のバスタオルに隠れてるソレを見つめた。
「これ、取って」
大きいバスタオルを身体全体に巻き付けてる千尋が、零二の下半身に巻かれたバスタオルを指さす。
「今からすること、分からないワケじゃないだろ?」
零二はそれを聞いて気まずい表情で目線を逸らした。自分で言うのもなんだが、年相応の反応で少し可愛いと思ってしまう。
そして渋々バスタオルを取って露になった、本気で欲しいと願っていたソレをそっと握った。零二がその感覚に少し驚いたように身じろぎする。
それに構わず竿を下から上へと見せつけるように舐め上げると、零二が片手を千尋の頭に当てて阻止しようと抑えた。その腕の影の隙間から艶っぽい苦悩の表情をした零二がいる。……自分のモノまで反応してしまった。
「お願いだから、本気で止めようとはしないでね」
「……」
「俺のこと、受け入れて」
その言葉の後に、その愛しい男の肉棒の先端を口に含んでさらに喉奥にあたるほど挿入する。
浴室で使ったボディソープの香りが逆に生々しい。
喉奥まで挿れるのは当たり前のように辛かったが、この体を零二で埋め尽くしている感じが涙が出るほど嬉しく、このまま死んで良いとさえ思ってしまう。
その様子を見て苦しいのだと判断した零二がそっと両手で千尋の頭を包み込み、
「そのまま、頭動かして」
はじめての命令を下した。
千尋はうなずく代わりにその命令に応えようと舌を使いながら頭を前後へ動かし始める。
そうすると今まで嫌ってやまなかった、自分を無理やり犯した男たちのことも『良い練習台』として考えられる気もした。
あぁ、ヤバい……。
俺が今、あの学校では誰もが気になりながらも近づけなかった男の……いや、本気で好きになった男のモノをしゃぶってる。
それを実感するほどに、頭の動きは激しくなった。
すると身体全体に巻き付けてたタオルが徐々に肩から滑り落ち、おそらく彼のコンプレックスであろう女のもののように勃った乳首が厭らしく覗く。零二の喉がごくりとなった。こんな経験は初めてだ。たぶん。
千尋は次に口をすぼめながら首を少し傾けて挿入し、今度はさっきとは逆に首を傾けて吸い上げる。
ドロドロになったソレは熱を持って固くなり始め、まみれているのは唾液なのか先走りなのかもわからない。
夢中になって口腔に出し入れしていた千尋だが、さすがに疲れがきたのか一度頭を離す。
「おいしい……気がする」
そう言って恍惚の表情を浮かべながら口の端から垂れる液体を指でぬぐって、その指先を舐め上げた。
その煽るような表情や姿で零二の中の理性がまたもや崩壊したことも知らず。
「ひゃっ!」
突然、千尋の声が響く。零二がいつかの夜行列車の時のように千尋を見下した目で見つめ、足で千尋の熱を持ったそこを軽く踏んでいた。
「嬉しいか?」
どうしよう、ヤバい、たまらない。見下されてる、踏まれてる。いつもと違う、こういう行為の時だけ見せる零二の表情。好き。
しばらく口から答えが出ないでいると、さらに一層踏み込まれ。
「あっ……! んぅ……」
嬌声が響いた。痛い。けど、もっと踏まれたい。
「嬉しい……、もっと虐めて……?」
なんとかそれだけ答えると零二は少し口角を上げた。
「……変態だな。ここまでマゾだとは思わなかった」
そうしてぐりぐりと千尋のモノがタオル越しに踏まれ、
「あッ、あ……! れいじ……おれ、へんたい……?」
「あぁ。しいて言うなら、『淫乱』」
零二のイメージからは程遠い言葉が出るともうそれだけで体中がゾクゾク震え、タオルから覗き出た零二よりも先走りが滴る千尋のモノが卑猥に光った。
「もう俺をリードできる状態じゃなさそうだし、好き勝手にやらせてもらう。ベッドに寝て」
「……! それって……」
「そう。『それ』」
ついに、この体内に零二が深く入ってくる。その歓喜と好きな人間とのセックスという未知の領域に少しの不安で足がすくんだ。
「ん……ゴムってどこだ」
「あ、あぁ、それなら俺が持ってる。ちょっと取って?」
そうして自分の衣服のポケットを指さした千尋に、本気で見知らぬ男に抱かれようとしていた決意が見れて、先ほど収まったはずの怒りがまた燃えそうになる。
零二は明らかに不満が見て取れる表情をしながら言った。
「無自覚で煽るとか、やめてほしい」
「え、なんで……? そんなつもりじゃ」
「わかってる。これは俺の中で解決する問題」
零二がどうしてそんなことを言い出したのか分からない千尋は茫然としながらコンドームを受け取った。
慣れた手つきで包装を剥がすが、しばらくゴムを見据えて固まる。
「どうした?」
零二が声をかけると千尋はうつむいた。
「最初は前に知らない男にしたように口でゴムつけてあげようかな、とか色々思ってたんだけどさ……」
千尋はゴムを持って掲げていた手を下ろす。
「……俺、はじめてなんだ。本気で好きになったヤツと、その……セックスするの」
なぜか声が震えた。こんなこと口に出してしまっていいんだろうか。零二の負担にならないだろうか。
自分の滑稽な姿に嘲笑がこみ上げる。顔は自然とひきつっていた。
「今まで何年もあんなに色んな男に抱かれてきたのに、ようやくだぞ? 嬉しくって、でも不安で……怖い」
「それは俺との今の関係が壊れるから?」
その通りだった。でもそれだけじゃない。
「それもそうだけど、好きなヤツとセックスできるなんて思いもしなかったから……さっきまで強気な態度してたけど、本当は『どんな感じなんだろう』って……あー、ごめん。上手く言葉にできない」
ひきつった笑みを浮かべながら困ったように頭を掻く千尋は『困る』というより『参っている』と表現したほうがいいのかもしれない。
その表情はまったくごまかせず、零二も口を噤んだ。
するとしばらくして千尋は俯いたまま震える声でつぶやく。
「……お前の、生で欲しい」
「は?」
顔を上げた千尋は今にも泣きそうな顔をしていた。
「ゴムなんかつけなくていい! 俺を犯した奴らだって大概つけてなかった! なんで好きでもないヤツのを中に出されて、本当に好きなヤツのは中に出してくれないんだよ!」
「でも性病とかを考えたら……」
「もうそんなのどうでもいい。零二も危険に晒されるのわかってるけど、お前のが欲しくてたまらないんだ……俺、頭狂ってる」
そうしてまた俯き、「もうどうでもいいんだ」と疲れ切った声でつぶやいた。
零二は無言で傍に寄って千尋を抱きしめ、その額に軽く口づける。こんなことを自然な流れで出来てしまう自分にも内心驚いていた。
すると数秒後に、「ダメ、唇にして」と腕の中から反論があったため、しばらくキスを愉しんだ。
「ん……ふっ……」
千尋の口から時折零れる鼻にかかった甘い声が性欲を引きずり出し、再び互いの下半身に熱が灯る。
零二は覚悟を決めたように息を吐き、
「わかった。ゴムは使わないでやる」
そうして零二は腕に抱えていた千尋をベッドに再び寝かせ、形勢逆転と言わんばかりにその上に覆いかぶさった。思えば、夜行列車の時もそうだったか。
千尋は零二の様子を見て、まるで今にも食べられそうな動物のように少し怯える。
――――目の前にいるのは、まるで獣だ。
あのクールでいて空虚な雰囲気を漂わせていた零二が今、目をギラギラとさせて生に満ち溢れている。
色んな男のそういう目を見てきたが、零二に関しては特別だった。
零二が俺で欲情している。怖いけど…食べられたい。
千尋は両腕を零二の首に巻き付けてしがみついた。
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