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退廃的メンタリズム

  [視点:筆者]  mentalism …… 唯心論。認識の対象は認識する人の心以外には存在しないという主義。  ***  雪が降る。  はらはらと舞い落りて人肌に触れればすぐに雫に変わるほどの細かさだ。  そんな雪道の中で暖かそうなコートにマフラーをつけた女子高生の三人組が喋りながら歩いていたとき。  ――ガシャンッ  近くにあったフェンスが突如大きく音を立てて、視線は自然とその路地へと向けられた。 「え、ちょっと何あれ……」  女子高生の一人が小声でつぶやく。  彼女たちの視線の先には濃厚なキスを交わす少年が二人いた。路地の奥とは言えどその姿はハッキリ見て取れる。  一人は背が低めで少し長い金髪。キスで乱れるたびに片方の肩からダウンジャケットがずり落ちて中のタンクトップと素肌が見えた。  そしてその少年を金網のフェンスに押し付けているのは端正な顔立ちと少し無造作に伸びた黒髪の少年だった。少年といえど、その光景をみてしまった彼女たちとそう変わらない年齢と見える。  異様なその雰囲気に女子高生たちは思わず足を止めると、金髪の少年がこちらを向いた。思わず少女たちはビクッと身体が飛び上がるが、その少年は恥じることなく……いや、むしろもう一人とのキスを見せつけるような挑発的な視線を向けながらさらに深いキスをした。 「ちょ、ちょっと……早く行こ!」  そう言って女子のひとりが友人ふたりの背を押す。  その様子を見て金髪……千尋は「あーあ」と気だるげにつぶやいた。傍らの零二は千尋の言葉に「どうした」と簡潔に返す。 「女子高生かな。かっこいい零二のことを俺が独り占めしてんのを見せたかったけど、すぐに行っちゃった」  その言葉に零二は苦渋な表情をした。 「……気づかなかった。千尋も、もう少し警戒してくれ。俺たちの写真がネットにばらまかれてみろ、すぐに本田に見つかる」  千尋はその言葉に諦めの色を見せる。 「そんな心配しなくても、もう見つかってる。最近行く先々のコンビニに先回りして見張ってるじゃん。俺たちが何か買うのを予想して」  その言葉の通り、ここ二週間どこに行っても本田に先回りされては逃げる日々が続いていた。むしろ同じペースで町を移動しているのに顔を合わせてないのは奇跡だと言える。  しかし逆に言えば、ある程度の見切りをつけて諦めもせずあちらこちらへと移動して先回りできているのは、ここら辺一帯の警官から情報を得ているからではないかと零二は睨んでいた。考えすぎであるならばそれでいい。むしろ、そうであってほしい。  さらに問題なのは、上手く見張られているせいで二人はろくに食事にありつけることが少なく、日に日に弱っていくのを自ら感じていることだった。 「……写真」 「ん?」 「写真は撮られてなかったか?」 「あー、さっきの子たち? 大丈夫、撮ってない」 「それならいい」  ならば本田に情報が回る前にまたどこかへ逃げなければ。  零二の使命は、千尋を守ること。  零二は千尋の手を握り、スーツケースを引っ張りながら路地の奥へと歩いていく。  *  人の目を避けながら歩いていくと冬の河原に出る。道端の草は一面白く雪に覆われており、川も一部凍結し始めていた。二人の吐く息は白く、儚く風に消された。  ふとした瞬間、千尋がぎゅっと手を一段と強く握った。  零二が振り向くと千尋は目線を合わせずにポツリとつぶやく。 「零二……したい」  その一言に零二は黙り込む。周囲を見渡せば近くにコンクリートも朽ちてしまった家の残骸のようなものを見つけた。屋根の部分はとうに崩壊しており、中には廃材やごみが捨てられ雪をかぶっている。  だが……。  家の残骸と言えど外と同然なその建物の中で行為に至る心配以前に、零二の中では幾つかの不安と葛藤があった。  無意識にその指は首元に最近つけられた鬱血の跡をなぞる。それは千尋の所有の証だ。  千尋は零二が茫然としていることに気づかず、その目線の先の家の残骸を指さした。 「あそこ。あそこならさすがに本田もいないだろ。……零二だって、溜まってるんじゃない」  そう言いながら今度は千尋が零二を引っ張ってその建物へと向かう。零二は千尋に気づかれないほどの小さな溜息をつき、苦しそうに一度目を瞑った。  ……今の俺たちは、何か間違っていないだろうか。 『間違い』なんてもう十分繰り返してきた。でも世間的なものではなくて、俺たちの中で何かが壊れかけている気がする。  やがて朽ちかけた建物に入りスーツケースを手放した千尋は、廃材に斜めにたてかけられていた木の板の上に被さった雪を一払いしてその上に寝そべって誘った。  零二は流されるまま千尋の元に行き、二人にとっての約束事のように千尋の首筋に吸い付く。千尋も同じように零二の首筋に吸い付き、まだ癒えない鬱血の跡に色を足した。 「……ん」  千尋が艶のある声をあげる。  その声に、少し乱れたダウンジャケットから覗き見える首筋に、そして隠しもしなくなった胸の尖りに。零二の熱は高まりを始めていく。  事件が起こって千尋と逃げ出すまで、不思議と誰かを想像しながら抜くことはなかった。厳密にいえば小説のベッドシーンを頭に浮かばせるか、単純に手からの刺激で抜くか。いずれにしろ特定の誰かに欲情もせず、処理をしていたというのに。  それが今はどうだろう。  千尋の姿と表情と声音で酔わせられる。そしていつも零二はその陰に『曽我』の存在を見ていた。死んでも現れるその幻影は確実に強くなっている。  目の前の愛しい存在を抱く、その時に必ずと言っていいほど「お前は私欲のためだけに千尋を抱いていないか」と幻影は問う。いくら違うと言い張ってもその内面で心は揺らぎ、曽我はいつも気味の悪い笑顔で零二を見ていた。  それを払う方法はある。理性を捨てることだ。理性を捨て、あの忌まわしいビデオテープの中に映された教師たちとは少し違う方法で千尋を嬲る。  方法を変える理由は「あの教師たちと同族ではない」と言い切るための苦し紛れの言い訳のつもりで。  けれど結局のところ不安は尽きない。  千尋は行為の時に変貌する零二に満足しているようだが、本当にこれでいいのか。  ……いや、こんなはずじゃなかった。本当の愛し方はこんな方法じゃない。  そう葛藤を抱える零二とは裏腹に、千尋は心身が衰弱していくごとに零二にキスと行為をねだった。だが、それは本当に零二を求めているだろうか。  その言動に零二はさらに追い込まれていく。  それは本当に俺を求めて言っているのか?  すべてを忘れたいが為に言ってはいないか?  いつも結局流されるまま行為に至ったが、今回ばかりは違った。  零二は斜めに横たわる千尋に被さり、目線を合わせて口を開く。 「お前は……ちゃんと俺を見ているのか?」 「え……?」  急な質問と内容に千尋はぼんやりと零二を見上げる。もうその目にあの頃の光は宿っていない。  零二は言葉を続けた。 「本当に、俺を求めているのか? 本田のことや、曽我のこと……それだけじゃない、今までにあった嫌なことを忘れたいがために抱かれてるんじゃないのか」 「っ……」  千尋はその問いに言葉が詰まる。つまりは図星か。  零二はその様子を見て心が闇に染まっていく感覚を覚える。  そうか、求めていたのは俺ではなかったのかと。  しかし千尋は零二のコートを手繰り寄せて顔を近づけ、怒気をはらんだ声で言った。 「……俺言ったよな。『これだけは信じて。俺は本当にお前が好きなんだ』って。どうして今さら疑うんだよ。俺は本気で言ってた」 「じゃあなんで今一瞬黙った? それに最近よく『したい』って言うだろ。それは本田に追い詰められてるからじゃないのか。現実逃避するために」  その言葉に千尋はカッと目に怒りを溜めて零二を見据える。 「さっき黙ったのはショックだったからだ! ようやく気持ちが通じ合ったと思ったのに……誓いまで立てといてどうしてって……誰だってそう思うだろ!? それに最近よく抱いてほしいって言うのは、いつ死んでも後悔しないためにだ!」 「『いつ死んでも』? 俺はお前を守るって誓ったはずだ」 「その誓いを最初に疑ったのは零二だろ!? 何に怖がってんだよ、お前!」  ……千尋の言葉は確かに間違ってはいなかった。しかし零二の中の怒りは静まらない。それは密かに狂気へと変わった。  千尋も多少の苛立ちを放ちながら、ひとつ溜息をつく。 「……もう、いい。早くやろう」  その言葉を期に突然幕が切って下ろされた。  零二は怒りにまかせて無理やり千尋のズボンを引きおろし、慣らしてもいない千尋の後腔に自身をあてがう。  千尋はこの強引さを知っている。いつの日かの輪姦が脳裏をよぎった。一気に冷や汗が吹き上がり、恐れで声を震わせる。 「いっ、嫌だ……!」  零二にその声は届かない。零二を押し返そうとする腕の力はほとんどなかった。そしてそのまま、貫かれる。 「あああああああっ!」  千尋の絶叫がこだました。それは誰かに気づかれてもおかしくない声量。零二は的確に千尋の上の服も無駄のない動きで脱がし、ガッとその首に手をあてて力をこめる。 「ぁ……かはっ……!」  千尋の呼吸が阻まれ、その両手は首に掴みかかっている零二の手を掴んだ。生理的な涙がこぼれる。 「れ……じ、ど……して……?」  意識が遠のきそうになりながら零二の熱を身体全体で感じていた。どうして、こんなことになってしまったのだろう。どうして。  そうして千尋の視界が真っ白になる寸前で零二の手が首から離れる。途端に喉をならしながら千尋は咳き込んだ。しかし零二は休むことなく熱を打ち続けている。  そのことに千尋が恐れを抱いた瞬間、零二は前かがみになって千尋の乳首に噛みついた。 「あああっ!」  痛いし、つらかった。記憶の中の公園で優しく笑いかけてくれたあの男をここまで壊してしまったのは自分なのではないかと、千尋は新たな罪悪感に囚われる。 「ごめんな」と言おうとするが声がうまく出なかった。零二の頬に添えようと伸ばした手も届かない。  やがて形だけの行為は進み、千尋が自身の白濁の液で濡れて力なく横たわった時に零二は自身を千尋から引き抜き、地面に精を吐き出した。  体内に零二の熱さえ残してもらえなかった千尋は、茫然としたまま無気力に涙を流す。それを見た零二は何も言わず、廃材と一緒に裸で横たわる千尋に自分のコートをかけた。……その姿はまるで翼をもがれて穢された天使のようだった。  零二は千尋に背を向けて建物の外に出て、朽ちたコンクリート塀に寄りかかり力なく座り込む。……後悔しかなかった。  最低な言葉を吐き、最低な抱き方をして、しかも何の言葉もかけず放置して。  愛してるはずの人間を疑い、酷い嬲り方をした。  自分こそが犯罪者である気さえした。  零二の中で曽我が笑みをたたえる。「ほら、お前も結局は俺と同族だったんだ」と囁かれる。返す言葉もなかった。  溢れる不安も葛藤も、自己嫌悪に変わっていく。  ……酷く、死にたくなった。

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