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第4章 5-追い風
[視点:仙崎千尋]
「まぁそう警戒すんなよ、警察とかじゃないから。あたしは繊利 千秋 。センリって呼んでよ」
春の嵐を引き連れてやってきた繊利千秋という女の破天荒な行動に俺は唖然とする。
「え、誰……」
「だから、繊利千秋」
「名前じゃなくて! お前、何者?」
動揺して席に座れないまま聞くと、「んー……」とセンリは口元に手を当ててどう答えようか悩んでるようだった。そして数秒後。
「一般人……を辞めたがってる元女子高生?」
「は?」
「あと高額当選した男を拉致ってる女」
「犯罪者じゃん!」
「あんたもだろうが」
瞬発的に答えた言葉の返しがあまりに的確で、胸にグサッと音を立てて何かが刺さったような気分になる。
池畑さんの家で過ごしていた数か月、確かに外には出なかったが自分が『犯罪者』だという実感が薄れていた。その軽薄になりつつある罪の意識をいま改めて実感して苦い顔をする。
……そうだ、人を殺したんだ。あの顕微鏡の重さと曽我の頭を殴ったときの衝動、手についた血の感触を忘れてはいけない。
そう思うとゾッと寒気がする。いつぞやの毎日のように見ていた事件の悪夢が呼び起こされそうだった。
しかし、目の前の女はそんなこともお構いなしに話を続けてくる。
「あんたのこと探してたんだー」
「え、なんで? ってかどうやって俺のこと知ったの? ネットじゃ顔はわからなかったはず……」
「あぁネットのこと知ってんだ。見たよ、コラージュ写真の山。あんたの本当の容姿を知ったのはさっき。『本田』って刑事が見せてきた」
「!」
この街に、本田が。そのことに恐れを抱くと、目の前の女が何者かなんて疑問はどこかにいった。
「その刑事、どこで見た……!?」
「そこを右に行ったらある公園。でも安心していいんじゃない? こことは別の方向に歩いて行ったから」
安心などはできなかった。零二がまだ外にいる。
焦りが消えない俺の顔をセンリはじっと見つめてきた。なんだか自分の中のあらゆる考えを見透かされているようで胸がむずむずとする。
「……あんたさ、もしかして誰かと行動してる? そういえば刑事がもう一人の写真見せてきたな。ちゃんと見てないけど」
「へ!?」
……完全に見透かされてる!
センリはさらに言葉を続けた。
「あとは……そうだな、そいつはきっと友達以上で……うん、恋人だな。そうだよなぁ、一人で逃げ続けるのなんてきついしね」
「お前、超能力か何か?」
「よく聞かれるけど、勘がいいだけ」
「しかも今サラッと『恋人』って言った?」
「うん。別に同性の恋人居たっておかしくないじゃん。あたしはそーいうのに寛大なんだよ」
「はぁ……」
この数秒で何回度肝を抜かされただろう。いや、それより今は零二が危ない……!
そう思っているとまたもや心中を見透かされ。
「あんたの恋人、たぶん大丈夫だよ」
「な、なんで分かるんだよ……」
その時、タイミングを見計らったように洗濯機が止まる。センリは洗濯機の横にある乾燥機を指さして、「乾燥機かけたら?」と言った。
俺がやろうとしたことも、零二のことも全部見透かされてる。あまりの的中率に怖い、とさえ思ってしまった。
俺はセンリの言葉の続きが早く聞きたくて、急いで乾燥機に洗濯物を詰め込みスタートボタンを押す。
「で、なんで大丈夫だと思うんだよ」
「なんとなく。だーいじょぶだって、いざとなればトシマが車回してくれるから」
「トシマ……?」
また知らない名前が増えた。俺の混乱は増すばかり。
「あー、えっと。都島 紀彰 って言うんだけど」
「その人が高額当選者?」
「そうそう。で、あたしが拉致ってきた」
「どんないきさつだよ、お前ら……」
「色々あったんだよ。とにかくさ、あんたの逃走をあたし達が手助けする代わりにあんた達のこと観察させてくれない?」
「観察……?」
『観察』という言葉に疑念を抱く。たぶん零二がこの場にいたら絶対に警戒するよな。まさか本田の手先?
「言っとくけど、あの刑事の手先とかじゃないから」
「……!」
また見透かされた!
俺の様子を見てセンリはケラケラと笑った。
「あんた面白いね、全部顔に出すぎ」
「笑うなよ、こっちは必死なのに!」
「悪かったって。で、どうする?」
「どうするって言われても……」
「じゃああんたの相方が来てから答えをもらおうか」
「うん……」
俺は歯切れ悪くうなずいた。センリは暇つぶしなのか自分のケータイをいじりだす。
繊利千秋……なんか不思議な雰囲気のやつだ。零二の雰囲気とはまた別で、これはこれで人を惹きつける力がある気がする。もう一人の『トシマ』という男の存在も気になった。
俺たちを観察したいって言うけど……どうしよう。
*
[視点:松澤零二]
『コンビニで飲み物とついでに食事を買うだけ』とは言ったもののなかなかコンビニ自体が見つからず、やっと見つけた時にはコインランドリー周辺に何があるか案内できるほど歩き回っていた気がする。
俺は腕時計を確認して、まだ洗濯が終わっていないのを確認してから最寄りの公園で一息ついた。
街の中で比較的高い位置にある公園のベンチからはその街一体を見渡すことができる。心地いい春風がふいた。もうそろそろ、桜も散り時だろう。今日は『春の嵐』とも呼べる強風だから残る桜の花びらは少ないかもしれない。
すると目の前にある木の柵の下に見える道路で足音がする。……なぜか嫌な予感がした。
俺がそっと柵の上から見下ろしてみると、下の道路に本田がいる。
「!」
静かに息を詰めた。しかしなぜか大丈夫な気がするのは、その下の道路からこの公園に着くまでの道のりが長いことを知っているからだ。
しばらく本田を監視していると、彼は道路の淵で立ち止まって俺と同じように街を見渡している。いつも追ってくるときに見せていたあの執念が今は見えない。
その背中を見ていると、今まで気になっていたことを聞いてみたくなった。そして伝えたい言葉も、同様に伝えてみたくなった。
「本田さん」
そっとつぶやくように言っただけで本田はすぐに反応し、俺の声の方を見上げて目を見開く。
「松澤零二……!」
「以前から気になっていたことを聞いてもいいですか」
俺の言葉を聞いた本田は俺のところへ向かおうとしていた足を止めた。訝し気に俺を見る。
「……なんだ」
「どうしてそこまでして俺たちを追いかけるんですか。それに……以前から曽我を知っているような口ぶりでしたが、どんな間柄なんですか?」
思い出すのは、初めて本田と対面したときのこと。雨の中で本田は『曽我は元々あんな男じゃなかった』と言った。
本田は地面を見ながら悔しそうに言葉を紡ぐ。
「……曽我は学生時代からの友人だった。唯一の親友と言ってもいい」
そうか。本田は、親友を殺された男。だからここまで執念深く追ってきたのか。
しかし。
「……伊瀬ヶ谷県警に送ったテープは見ましたか」
「あぁ、見たさ。だが、人を殺す方が重罪だろう!」
その言葉を聞いて静かに苛立ちが募る。これだから、警察に千尋を引き渡したくはないんだ。
「どうして罪の重さだけで比較しようとするんですか」
「……っ」
ギリッと本田は歯を噛み締めた。
「俺は……曽我の話をちゃんと聞いてやれなかった。だからあいつもあんな風に変えられたんだろ。……もう曽我はいない。謝ることもできない。だが、せめてお前たちを捕まえて罪を償わせることはできる! だから俺はお前たちをどこまでも追いかける!」
本田は必死に心のうちを叫んだようだったが、俺の胸には響かない。
「あなたは、怒りの矛先を間違えてはいませんか」
「なんだと……!?」
「あのテープは見たんですよね。では、義父の件は? 曽我が変貌したときの話は? きっと知らないでしょうね。 ――……あんたの大親友のせいで千尋がそれまでどういう生活を強いられてきたか分かってるのか」
思いを口にするたび、内にあった怒りが徐々に燃えていく。
「義父? なんでそいつの話が出る? 曽我と関係ないだろう!」
意味が分からないと言いたげな本田の顔を見たら、沸点を超えた怒りが急速に萎えた。この男は本当に何も知らない。これ以上話しても意味がない。
「……話になりませんね。もしこれからも俺たちを追うと言うのなら、まずはそこから調べてみたらどうですか。そしてその正義をかかげた天秤に罪の重さとやらを計りなおしてみればいい」
「この野郎!」
俺の言葉に煽られた本田は、こちらに来ようと坂になっている道路をのぼりだす。
すぐにはここに来られないだろうが、捕まったら元も子もない。俺も千尋の元へと走り出した。
すると。
――ドンッ
……誰かにぶつかった。
見れば三十代ほどの特になんの特徴もない男が驚いた顔をしている。
「すみません」
俺がそう言って再び走り出そうとすると男は焦りながら聞いた。
「あぁ、ちょっと待って! 君、もしかして松澤零二くん?」
……なぜ俺の名前を知っている? いや、それよりも今は。
「どなたか知りませんが、急いでいるので」
「わかってるよ、仙崎千尋くんの所に行くんだろ? 俺の連れがいま仙崎くんと一緒にいるんだ。あの刑事に追われてるなら車で乗せてくよ! 事情は後で!」
この男はなんなんだろうとは思ったが、時間の余裕がそれほどないのは確かだ。それに千尋もその『連れ』と一緒にいるのならついて行った方がいいかもしれない。
一瞬本田の罠かと思うが、この男の顔を見る限り嘘をついているとは到底思えなかった。
「それじゃあ……、お言葉に甘えて」
「うん、話が早くて助かるよ。コインランドリーに行けばいいよね?」
「はい」
すると男は車に乗りながらケータイを取り出してどこかにかける。
「センリ? いま松澤零二くんと合流したんだ。準備して待っててくれ」
俺は座席に座ってから聞いた。
「……『センリ』という人があなたの連れですね? 何者ですか?」
車は走り出す。運転しながらその男は「うーん……」と難しそうな顔をして数秒後。
「俺を拉致した強運の持ち主ってとこかなぁ」
「は?」
*
[視点:筆者]
コインランドリーの前に着くとセミロングヘアの茶髪の女と、不安げな顔をしていた千尋が待っていた。
千尋は零二の姿を見るなりすぐに駆け寄る。
「零二! 本田に見つかったんだろ、大丈夫だったか!?」
「あぁ、でも今もこっちに向かってるはずだ」
「そっか……。あ、すげーヤツと会ったんだ! エスパー使える!」
「エスパー?」
千尋の言葉にすぐ後ろから訂正が投げられる。見ればセンリは車に寄りかかりながら零二を見ていた。
「だーからエスパーじゃないっつの。……あんたが松澤零二か。あたしは繊利千秋。センリって呼んで。こっちはトシマ。都島紀彰って言うんだけど……まぁいいや、話は後。とりあえずこの街から出よう」
疑う間も惜しかったため、その場にいる男全員はセンリの言葉に一斉にうなずく。センリは満足そうに「息ピッタリじゃん」と笑った。
車の後部座席に零二と千尋が乗り込み、トシマはもちろん運転席で助手席にはセンリが座る。
千尋は零二に困った顔をしながら聞いた。
「なぁ零二、センリが俺たちが逃げるの手伝ってくれる代わりに俺たちのこと観察したいんだって。どうしよう……?」
「観察?」
聞き返す零二の声を聞いてトシマはため息をつく。
「また変なこと言ったのか、センリ」
するとセンリは窓の外の桜並木を見ながら静かに言った。
「変なことじゃない。こいつらを見てれば、もしかしたら自分のこと認められるかもしれないって思っただけ」
千尋も零二もその真面目な口調のセンリを見て、この女は何を心に隠しているのだろうと疑問に思う。
それにトシマという男も拉致されたという割には自由に動けていて、なぜセンリの傍にいるのかわからなかった。
突然、何を思ったか自由奔放なセンリは窓を全開にした。
入ってくるのは強風と散った桜の花吹雪。
「うわっ!」
千尋とトシマが同時に声をあげるとセンリはさっきの真面目な口調などなかったかのように笑った。
春の嵐は薄紅の欠片を纏い、心に穴のあいた彼らを押していく。
センリの笑顔はどことなくキラキラと笑う千尋に似ていて、その連鎖なのかいつの間にか千尋も「窓閉めろよ!」と笑いだす。
その笑顔とともに到来するは次の季節……夏の始まりだった。
第四章 -終-
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