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第5章 2-君が行く先に

  [視点:筆者] 「今日であたしらの旅は終わりだ」  晴天の空のもと、突然センリはそう言い切った。  それは流星群をこれでもかと堪能した日の翌日で、センリはどういうわけか目の下にクマができている。  昨夜、焚火を囲んで話したときにセンリの旅の目的が達成されたことを感じた零二と千尋はこうなることを覚悟していたのだが、そんなことよりも何故センリがそんな顔になってしまったのか、その方が気になってしょうがなかった。  千尋は引きつった顔をしながら問いかける。 「……えっと、なんでお前そんな顔になってんの? クマすごいぞ?」 「眠れなかったのか? でもあれだよな、俺と同じ部屋で寝ること何度もあったし今さらテントになったところで……」  素っ頓狂な質問をする千尋とトシマに、センリは頭をガシガシと掻いて盛大にため息をついた。ひどく不機嫌な様子である。  それを感じ取った零二はひとつ咳払いをしてセンリに向き直った。 「これまで色々と世話になった。ありがとな」 「……ん」  零二は他と違う真面目な態度であったため、センリは不機嫌なオーラをしまいこめてないものの返事はした。  トシマはその様子を見て、何か言いたげな表情をする。しかし口をついて言葉が出ることはなく、心の内に閉じ込められた。  一方センリは話を進める。 「それでだ。あたしからの最後のプレゼントってことで、あんたらの思い出作りをひとつ手伝ってやるよ。好きなところに連れてくから、今日はまずどこに行きたいか決めて」 「思い出作り?」 「でも俺たち、ここらへんの土地勘ゼロだしなー……」  いきなりのセンリの申し出に困った様子の二人を見たトシマはおおらかな口調で助け舟を出す。 「そういえばこのキャンプ場から車で二十分くらい走ったところに書店があったよな。そこで旅行雑誌とか見て考えたらどうかな?」 「なるほど!」  トシマの言葉にパッと表情を明るくさせてうなずく千尋。零二はその様子を見て複雑な色を纏った微笑みを浮かべる。センリから別れを切り出されたというのに、千尋はそのこと自体には動揺していない様子だ。  おそらく警察から逃げ始めた当初の千尋だったら大きく動揺しただろうし、もう少しだけでもいいから助けてほしいという願いと巻き込んではいけないという葛藤に苛まれただろう。  少しづつ自立していくその様は、まるで包まれていた零二の腕から離れていくようだった。  ――グッ 「え? ど、どうしたんだよ、零二」  トシマとセンリが早々に車へと向かってる最中、突然零二が千尋を後ろから抱きしめた。  センリたちと行動するようになってからは触れ合うことさえ控えるようにしていたため、久々に感じる零二の体温に千尋はまるで零二と話し始めた頃に戻ったようにドキドキと鼓動が早鐘を打つ。  しかし、その熱はすぐに離れた。 「いや、なんでもない」  そう言って微笑む零二に千尋は真顔でじっとその表情を見る。……なんだか苦し気に見えた。  零二はその視線に耐えかねて歩き出す。こんなことは言えない。「俺の手から離れるな」、だなんて。  * 「あー……もうどこにしていいかわかんねー」 『思い出作り』の場所を決める途中めんどくさそうに言い放った千尋は、手に取っている書店の旅行雑誌を中身も見ずに、まるでパラパラ漫画を見るような素振りでめくってはため息をつく。  隣に立つ零二は首を横に振った。 「千尋、紙が痛む。売り物だぞ」  零二に同意をもらえず、優しくとはいえどむしろ叱られたことに千尋はショボンと肩を落とす。 「……すいません」  千尋は素直に謝れる人間なのを知っていたため、さらにとやかく言うことはなく零二は自分の持つ本に視線を戻した。  でも確かに千尋の言う通りで、零二もどこに行けばいいものか判断に困っていた。心の中でそれは認めよう。  千尋は再び本とにらめっこを始める。 「『あぁ、行ってみたいかもー』って思えるところはいっぱいあるよ? オーロラ見てぇとか、ナイ……なんだっけ、でかい滝とか」 「ナイアガラの滝。……でも国外はさすがにだめだろ」 「んなことわかってるよ! 行きたいところは国内だってあるし。たとえばー、ほら、どっかの祭りとか。零二の家ももう一回行きたいし、部屋に露天風呂ついた宿とか」  具体的でなかったり不可能である候補の中にひとつだけ、具体的かつリクエストできそうな場所があった。 「調べてみるか? 『部屋に露天風呂ついた宿』。それにしても珍しいな、こういうところを選ぶなんて」  すると千尋はむずむずとした表情で斜め下に視線を向け、小さくぼそっと呟く。 「……零二とエロいことしたいから」 「……」  ……聞かなかったことにしよう。  今の発言に対して何も言わず、無言のまま手に取っていた温泉宿の本を棚に戻す。 「あーっ! 今呆れただろ! 別にいいだろ、男たるものこういう野望があったってさ! ……確かにセンリにバカにされそうだけど!」 「書店では静かに願います」 「零二……!」  可愛げのある恨みがましい視線を受けつつ、無自覚で微笑んだ零二は先ほど見ていた旅行雑誌に視線を戻した。  たとえ体を重ねることであれ、千尋が自分を求めてくれたことは素直に嬉しい。  しかしそれにしてもだ。零二本人としては今まで本田から逃げることに重きを置いて移動していたり、時に千尋の行きたい方向に移動していたものだから、行きたい場所のリクエストには大いに悩んだ。  ここもイマイチだな、と見切りをつけて雑誌のページをめくった時に突然それは目に入った。 「……!」  目に飛び込んできたのは一面が黄色く覆われたひまわり畑の丘だった。広大な丘らしく、観光客がいても人で混雑することはないらしい。  このひまわりを見た瞬間、すぐに『千尋のようだ』と感じた。何があっても太陽の方を向き、パッと明るい笑顔を見せてくれるその様子が。  初めて行ってみたいと思った。千尋のように輝く一面のひまわり畑の中で、千尋を抱きしめてみたい。たぶん心が満たされる。  同じページから目をそらさない零二に気づいたのか、千尋はそのページを覗き込んだ。 「なになに、ひまわり畑? ここに行きたいの?」  のぞきこんでくる視線に、どう答えていいか分からなかった。素直に行きたいと言っていいものか。でも出来るなら千尋の願いを叶えさせたい。  しかし千尋は零二の迷いを一瞬で吹き飛ばした。屈託のないキラキラとした笑顔で、 「いーじゃん。ここにしよ!」  そう言って遠くの方に散らばっていたセンリとトシマをすぐに呼び寄せに行った。  ***  燦然と降り注ぐ太陽の光と、空を裂くような巻雲を浮かべた澄み渡った青空。  草の茂った匂いに、通行路に敷かれた木のチップのザクザクとした音。  風はほどよく吹いて肌を冷やしていく。  トシマは運転しながら胸いっぱいに空気を吸い込んだ。 「天気が良くてよかったなぁ。すごく気持ちいいよ」  隣のセンリは購入した旅行雑誌を見ながら「そーだな」と淡白な言葉を返す。  後部座席の千尋は零二に笑いかけた。 「零二が『行きたい』って思ったところに行けたの、初めてじゃね?」  その笑顔に零二は愛しさがこみ上げ、今すぐ抱きしめたい気持ちに駆られたがなんとか踏みとどまる。どうせならひまわり畑の真ん中で思う存分抱きしめたい。 「よし、ここらへんで車止めようかな。千尋くん、零二くん、そこから小道が伸びているからちょっと探索してくるといいよ。俺はここで待ってるからさ」 「右に同じー」  センリは雑誌から目を離さず力なさげに右手を軽くあげて、気のない言葉を言った。  千尋は待ちきれんとばかりに車を降りながら「わかった!」と告げ、続いて零二は「いってきます」となんとなくいつもより嬉しそうに言って車のドアを閉めた。  その姿を見やり、軽く手を振ったトシマは変わらず雑誌に目を向けているセンリをうんざりとした目で見つめる。 「おい……。外はすごく綺麗だぞ? そんな本ばかり読んでないで、少しは自然を感じろよ」 「はいはい」  返事はするものの、顔を上げる気はないようだ。トシマは話を続ける。 「……確かに昨日で、俺たちの旅の目的は果たした。けどさ、本当にこれで最後でいいのか? ……俺は、あの子たちを助けてやりたい。一緒に過ごして分かっただろ? あの子たちは本当にいい子だよ、人を殺してしまったのは悪い大人のせいだ」  センリはその言葉にニヒルな笑みを浮かべた。 「トシマも変わったねぇ。前はこんなに積極的に誰かを助けるなんて言わなかっただろうよ」 「からかうな。本気で言ってるんだぞ」  するとセンリは雑誌をダッシュボードに投げ出し、左のこぶしをその上に思いっきり打ち付けてうつむく。 「……じゃあどうすればいい」  突然の行動にトシマは声を失った。明らかに尋常じゃない苛立ちが見える。車内の空気が異様にビリビリとした。 「ど、どうすればって……この後もあの子たちと一緒に旅をして、警察から逃れて……」 「それじゃあダメだとしたら?」 「え?」  センリは忌々し気に前方にも広がるひまわり畑を見据えた。 「ひとつの行動を『糸を引く』として、どの糸を選んでも同じ結末にたどり着くとしたら?」  それは不穏な言葉だった。思わずトシマも息をのむ。  センリは自分の髪の毛をくしゃっと握って力なく再びうつむいた。 「あたしだって助けたい……。でもどう足掻いても悪い結末か、それ以上に最悪な結末しか待ってない。不条理が何度もあいつらやあたしらを飲み込んで……――――嘘だろ……」  言葉の途中で遠くにいる千尋と零二を見たセンリは、突然ハッとして窓に手を付ける。 「嘘だ……」  いつも傲慢で、自信に満ち溢れていて、そして強運もついてきて。そんなセンリが今、絶望的な言葉を並べて消え入りそうな声を出している。トシマはこの状況に絶句し、これ以上もう不吉な言葉なんて聞きたくはなかった。  しかし。 「違う……あの景色とは……まさか」  センリは手を震わせて、力なく座席に体をゆだねた。片手を目のあたりにあてる。 「もう……あいつらの顔なんて見たくない。もう何も、見たくない」  その素足がサンダルを離れてダッシュボードの辺りを蹴った。一度蹴りだしたら、壊れたように何度も蹴るようになった。 「おい、何してる!」  トシマはそれを食い止めようとセンリを力任せに抑え込み、その尋常じゃなく強い抗う力に苦し気な表情をする。やがてセンリはトシマの腕の中で息を荒くしたまま静まった。 「お前……いったい何を見たんだ……」  センリは最後に一発、悔し気にトシマの胸を叩く。  *  ……見渡す一面にひまわりが広がっていた。  それは眩しいと表現してもおかしくはなく、丘から下には森が広がり、さらにその向こうに街と海が見える。  千尋は一目散に駆け出し、零二の名を呼んだ。 「零二ー! すげぇ綺麗だぞ、早く早く!」  そして息を切らしては丘を駆けあがる海からの潮風を存分に吸い込み、立ち尽くす。  少し遅れて零二がその体を勢いよく後ろから抱きしめた。千尋は嬉しそうに笑い、その首元に顔をうずめる零二も微笑んでいる。  ……幸せだった。  他に誰も居ない場所でこうして二人抱き合える。誰からも咎められない、二人だけの世界。  千尋は零二の方を振り向き、両腕をその首に回す。 「ね、キスしていい?」  その言葉に一瞬ためらい、周りを見回そうとした零二を見て千尋がつい笑った。 「誰もいねぇよ」  そうして零二の両手が千尋の両頬に添えられたのを了承と捉えた千尋は、零二の服を掴みながらつま先立ちをして唇を重ねる。  ……この時間が、永遠に続けばいいのに。  二人が思うことは同じだった。  幸せな時間はいつか終わっていくのを知っていても、願わずにはいられなかった。  長いキスの後、ぼーっとした目をした千尋を抱きしめなおした零二はその腕に込める力を強くする。  するとしばらくして、 「零二、怖いのか?」  そんな一言が腕の中から聞こえた。零二は目を丸くする。言われている意味が最初よくわからなかった。 「怖い?」 「ん。なんかそんな気がしたから」  その言葉に零二は笑う。 「怖くない。千尋がいれば」 「はははっ、なんか前とは立場が入れ替わったみたいだな。……俺が、零二を守らなきゃ」 「俺だって千尋を守る」 「わかってるって。お互い守りあえばいいだろ」  不服そうな零二の言葉に思わず千尋は笑ってしまった。そうしてひとしきり笑ったあと、上から降る零二のキスを気持ちよさそうに受け止める。  ……二人にとって、ひまわり畑のこの時間は唯一無二の忘れられない思い出になった。  ***  しばらくして車内に戻ると、センリは助手席で眠っていた。トシマが言うに、『待ちくたびれた』らしい。 「どうだった? 良い思い出になったかな」 「はい、とても」 「すげぇよかった。ありがとな!」  二人の晴れ晴れとした表情を見て、トシマはひとつ感慨深げにうなずき車を走らせる。  ……結局あれからどう問いただしても、センリから何を見たのか聞きだすことはできなかった。  ちらっと隣の寝顔を見る。ひどく疲れ切った顔をしていた。  センリは強いストレスを感じるとガシガシと頭をかく癖がある。だからキャンプをしていた朝の時点でそのストレスと寝不足は関係があるのはわかっていた。  そこまで頭の中で思ってから、トシマは誰も気づかないようにため息を薄く吐く。  そうやって癖がわかってくるほどセンリの傍で一緒に行動していたというのに、何を見たのか教えてもらえないというのは、まるでまだ心を許されていないように感じてむしゃくしゃした。  はたしてこの幸運の女神は今、何をひとりで背負っているのだろう。  *  やがて、ひまわり畑から見えていた街に着いた。  千尋と零二はここで車を降りてしまえばセンリとトシマとは別れになるのだろうと思っていたが、なんと行きついたのはキャリアショップで二人は新しいスマホを契約させられた。  トシマに促されるまま契約した二人が店を出ていくと車で待ってたセンリが連絡先を交換するように言ってくる。  そうして二人のケータイにはセンリとトシマの連絡先が追加された。  センリはクールに、 「何か相談事があれば、どんな小さなことでも連絡しろよ」  と言い放つ。  二人は呆気にとられたが、強運の持ち主と良識な考えを持つ大人がこれからも味方でいてくれるのは本当に心強かった。  千尋は、 「零二とイチャついてる写真送ってもいい?」  と聞けば「失せろ。お前のスマホにウイルス送るぞ」といつも通り悪態をつくセンリ。このやりとりももうできないのかと思うと、なんだかその悪態さえも素直に受け入れてしまう。  そうして最後に車は海沿いの道路で止まった。 「これで、お別れ」  センリの言葉に千尋と零二はうなずいて車を降りると、センリとトシマも車を降りた。  そうしてトシマはセンリと目配せをしてから、ひとつの鍵を差し出す。  受け取った零二は「これは?」と聞くと、センリから一枚のメモを渡された。そこにはどこかの住所が書いてある。 「それはあたしらが買ったアパートの一室の鍵。もう家賃は払う必要ないからいいだろ」  その言葉に千尋と零二は驚いた。千尋はおどおどとする。 「え、でも買ってたってことは使うつもりだったんじゃ……」 「あぁ、それは別にいいんだよ。俺たちもそこは最悪、お互い元の生活に戻ったときに何かあったら使う『逃げ場所』として用意してた家なんだ」 「『逃げ場所』なんて、トシマの財力があればまた作れるし。それに、今はあたしらよりもあんたらの方が必要だろう」  トシマは零二を見据えた。 「ひとつ、約束してくれ。もし何かあったら必ず連絡すること。できるだけ早く駆け付けるからさ。もし俺たちに恩義を感じてくれたなら、迷惑とか気にせず絶対だよ」 「……はい」  センリは千尋を見つめる。 「あたしは常識とかそういうもんは知らないから言うけどさ。……もうあんたらは許されていいと思う。十分頑張ったよ。それで気が向けば、その家で一から人生やり直せばいい。たまには遊びに行くからさ」 『許されていい』。その言葉に千尋は息をつめ、どう反応すればいいか分からなかった。  曖昧な表情をする千尋にセンリは腕を組んでため息をつくが、そう反応してしまう気持ちも分からなくはなかったため、それ以上は何も言わないままでいた。 「とりあえずまぁ、そういうことだ。俺とセンリもこれから元の生活に戻っていくと思う。……君たちと会えてよかった」 「……じゃーね」  あえていつも通り素っ気なくそう言い残して、センリは車に乗り込む。トシマも「ああいうやつだけど悪いやつじゃないからさ。ごめんね」と言って軽く手を振り、遅れて車に乗り込んだ。  そうしてそれ以上後ろ髪を引かれる様子も見せず、車は走り去っていく。残された千尋と零二は車が交差点を曲がって見えなくなるまで見送った。  数秒した後、千尋がぽつりとつぶやく。 「また二人っきりになっちゃったな」 「ああ」  千尋は零二の返答を聞いてから堤防の上に座った。零二もその隣にのぼり、千尋に鍵を渡す。 「二人きりになったけど、すごい贈り物もくれたな」 「いや、ほんとビックリしたー。どうしようか、これ」 「『一から人生やり直せば』って言われたけど?」  その言葉に千尋は海を見つめたまま息を詰めた。 「……俺さ、確かにつらいこと色々あったけど、俺の罪って許されていいのかな、ダメなんじゃないかなって思うようになったんだ」 「?」 「確かに本田からは逃げてる。自由に生活だってしたい。けれど、曽我にだって殺されて悲しむ人はいたと思うし、俺が許されてしまったら、世の中の悪いやつらもたくさん許されちゃうことになるだろ。それっておかしくないかって……」 「……」  零二は黙り込んだ。千尋の言うことは間違いではなく、千尋を連れて逃げている自分はやはり間違っているのだろうと思う。警察に引き渡したくないのは自分の単なるわがままだ。  すると千尋は零二が座るほうに寝転がって鍵をかざしながらつぶやく。 「けどな……何が正しいんだろ。結局、誰が正しくて誰が間違ってるかなんて、きっと神様ってやつにしか分からないんだろうな」  二人の迷いと打って変わって、頭上に掲げた鍵はキラキラと綺麗に輝いていた。

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