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とまどいながら【3】

「それは...俺やっぱり、普通のAVでは使い物にならないから...っていう事でしょうか?」 お払い箱だと言われる事は覚悟していた。 実力を考えればそれは仕方ない話だし、ごねて勇輝さんや充彦さんに迷惑をかけるつもりも無い。 『もう貴方は必要ではありません』という言葉なら、いつでも甘んじて受けるつもりだった。 だけどまさか...AVは無理だからゲイビデオに戻れと言われるなんて...... できるだけ感情は抑えたつもりだったけれど、声は震え、目の前がなんだか滲んでくる。 「だーーーっ、違う、お前違うぞっ! ああ、もうっ...お前が使えねえとか、全然そんなんじゃなくて......」 「社長、航生くんをこれ以上誤解させたり傷つけてしまってはいけませんから、ここから先は私からちゃんと説明します」 慌てて割って入った木崎さんが隣に置いた鞄から何やら取り出すと、真剣な顔で真っ直ぐに俺を見ながらそれをテーブルに置いた。 「航生くんがうちの会社の女性向けAVでの需要が無いというわけでは勿論ありません。経験ではみっちゃんや勇輝くんには敵いませんが、それを補って余りあるだけの容姿と初々しさ、それに可能性を感じています。今回私が航生くんにオファーをする事は、会社の方でも賛否がありました。いえ、寧ろ反対の声の方が多かった。今の航生くんには、とにかく女性との絡みをこなしてもらって経験を積ませるべきだという声が大きかったのも事実です。でも私達ゲイビデオグループとしては、私達が直接手掛けるこの最初の作品に...どうしてもあなたを使いたかった......」 テーブルに置かれた薄い本を、木崎さんの細い指が俺の方へと押してきた。 どうやらこれに目を通して欲しいという事らしい。 絶望的な気持ちでそれを手に取ってみる。 「俺はな、最初に木崎さんにこの話を持ち掛けられた時当然断ったんだよ。うちの事務所の所属になった経緯が経緯だしな。別にどんだけおめぇが苦しんだのかを忘れたわけじゃねえぞ。でもなぁ、この本読んでみて...おめぇさえやる気なら、これは悪い話じゃないんじゃねえかって思ったんだ」 社長から促され、仕方なく表紙を開く。 そこには最初のページから、ただのゲイビデオとは思えないほどにびっしりとセリフが書かれていた。 「登場人物は、基本的にこのページにいる二人だけです。ある高校生二人が、恋に似た曖昧な気持ちと好奇心から体を重ねてしまう所から物語は始まります......」 木崎さんの言葉に耳を傾けながら、目でゆっくりと文字を追っていく。 エキストラ程度の出演者はいるが、確かに物語を進めていっても主役二人以外にこれという人物は出て来ない。 大人になった主人公の一人と、高校生の頃とまったく姿の変わっていないもう一人の主人公との再会で話は展開していく。 セックスをして、モヤモヤと抱いていた思いが恋だったと気づいたA。 理由も告げないまま、ある日突然Aの前から消えてしまったB。 そして大人になり、かつての禁断の思いを隠して無気力に生きていたAの前に現れた、BにそっくりなC。 自分の目の前に立っているのは誰なのか戸惑いながらも、封印していたかつての気持ちのままCと体を重ね、そしてその関係に溺れていくA。 ......ああ、俺に求められているのは...Aだ...... まだ何も聞いていないのに、漠然とそう思った。 「いい...話ですね。綺麗でファンタジックで、そして切なくて。なんだかゲイビデオだなんて思えないくらい......」 「それが売りなんです!」 身を乗り出すように思わず木崎さんがテーブルを叩き、手元の水がピチャッと溢れた。 急いでおしぼりを差し出すが、今の彼女にはそんなことはどうでもいいらしい。 「意味のあるセックスをする...それこそが私達のめざしているレーベルなんです。勿論AVとしてのゲイビデオである以上、セックスにも重点は置いていきます。勃たせるし抜かせますよ。でもね、何よりもちゃんとセックスに到るまでの過程や気持ちを描いて、作品として鑑賞に耐えられる物を作りたい。そこでこの『Still...』に関しては、一部編集を加えた物を、映画として一般上映する事にもなっています」 「ちょ、ちょっと待ってください。俺はまともな芝居の経験なんてありませんし、男性との絡みだってあまりにも下手で呆れられたくらいです。本当にありがたいお話ですが...皆さんがそんな力を入れている作品、俺には荷が重すぎます。あ、そうだ...せめて勇輝さんに相談を......」 「航生よぉ......」 隣からニュッと伸びてきた手が、俺の頭をポンポンと叩く。 それはまるで幼い子供を諭しているかのようで、頭に触れた手は大きくて分厚くて、やけに温かかった。 「おめぇさ、自分は何役だと思った?」 「え? A...ですよね?」 「ほら、読んだだけで思ったろ? 俺もな、読んでるうちに頭の中でおめぇが喋ったり動いたり泣いたりしだしたよ...Aは航生としか思えなかった」 「社長......?」 「そのままのおめぇでいいんだよ...勇輝みたいな演技派じゃなくてよ、きっと今のまんまのおめぇがピッタリなんだって」 「だけど......」 「俺がな、充彦も勇輝も呼ぶなっつったのは、問答無用で断るのわかってたからだ。たぶん、この本を開く事すら嫌がるだろう...アイツらはお前に対して、ほんと過保護過ぎるからな。でもなぁ...読んでみて興味出なかったか? 自分がAになってる場面想像しなかったか? 俺はおめえがAを演じてる場面、すげえ興味が出たんだ。いつまでもアイツらの陰に隠れてるわけにいかねえんだぞ...おめえが、おめえの意思でちゃんと決めろよ」 「絡みに関しては心配ありません。どうしても航生くんができないと思うなら、本番無しでもいいんです。そこはこちらで編集しますから。それに、今回うちのレーベル専属第1号に決まった相手役の方が本当にすごいので、すべてその方に任せていただければ大丈夫なはずです。ストーリーの中でもどちらかと言えばB、Cの方が積極的ですし、うまくリードしてくれますよ」 色々と説得しようと言葉が並べられるけれど、途中からは何も頭に入らなくなってきた。 この台本に興味が湧いたのは事実だ。 自分が動いてるイメージだって確かにできた。 だけどそれ以上に、俺をこれほど使いたがってくれる人がいるという事に感動してしまって、とにかく涙を堪えるのに必死だった。 「詳しく...教えていただいてもいいですか...?」 少しだけ気持ちを落ち着かせようと、俺はすっかり冷めて酸味の強くなってきたコーヒーで唇を湿らせた。

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