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とまどいながら【4】
「相手役の方、決まってるんですよね? どんな方ですか?」
前向きに考えているからこそとも言える俺のその質問に、木崎さんの顔がパッと明るくなった。
再び鞄を開くと、中から一冊のファイルを取り出した。
「さっきも言いましたが、うちのレーベルの専属第一号なんです。散々交渉して、ようやくつい先日正式に移籍になりました」
移籍?
以前別の会社にいたという事か。
そう言えば、『相手がすごいから、絡みは相手に任せていれば心配ない』なんて言葉も出ていた。
どんな人なんだろう...ファイルを開いてみて、宣材写真の中で微笑むその人の顔に釘付けになる。
「まさか...え? 嘘でしょ?」
「あ、航生くんも知ってますか?」
「知ってるも何も...これって『JUNKSのアスカ』さんじゃないんですか?」
「ん? 木崎さん、俺にも一生懸命そいつの事教えてくれんだけど、よくわかんねえんだ。そんなに有名なのか?」
普通のAV男優でも世間の認知は決して高くはない。
ましてやゲイビのモデルを知ってる人の方は圧倒的に少ないのだから、社長の反応は至極当然の物なのだろう。
けれど同じ時代、同じジャンルの世界に身を置いた人間としては、知らないわけなど無い顔と名前だった。
「まあ言ってみれば、ゲイビ界の勇輝さんみたいな人だと思ってください。売り上げも人気も常に断トツ、おまけに超テクニシャンだって本当に有名な人なんですよ。あと...私生活でもゲイだって事を公言してる数少ないモデルさんで、ビデオに出るのは趣味と実益を兼ねてるんだそうです」
まだビデオに出るようになって間もなかった頃、仕事の参考にならないかと...いや、本当は少しでも辛い気持ちと体を楽にする方法は無いだろうかと考えて、JUNKSのビデオを買った事がある。
それはアスカさんがタチもネコもこなしていた作品で、まさに『独壇場』という言葉がピッタリだった。
共演しているモデルはみんな本当にかっこ良かったのだけれど、どの人もアスカさんと並ぶと霞んでしまうというのだろうか......
二人から同時に攻められ、苦しいのか気持ちいいのか顔を歪めながら切なげに喘ぎを漏らす姿も、舌なめずりしながら組み敷いた体を壊れそうなほどに激しく貫く様も未だに忘れられない。
その指の動きも髪の乱れも、カメラに映る物すべてが見ている人を欲情させる為の物としか思えなかった。
それを観たのはもう2年以上も前でたった一度の事だったけれど、あの痴態のすべてを覚えている。
俺にとってアスカさんが見せるセックスは、それほどの衝撃だった。
そして何もできず、何もさせてもらえない情けない自分とのあまりの違いに、それ以降そのビデオを観る事はできなかった。
「ほんとにアスカさんが...? それも、専属? いやだって、JUNKSの活動とか......」
「その事もあって移籍が遅れたんです。あちらの会社も一番の稼ぎ頭であるアスカくんを『はい、そうですか』って引き渡せるはずありませんから。何よりも本人が最初は移籍を拒否してたんです。ところが急に、『東京に行きたいから移籍します』って連絡がきて...。すぐにでもこちらに来てもらいたかったんですが、JUNKSとしての最後の活動をしてからという条件があちらの制作会社から出たので、それが終わるのを待ってました」
「じゃあ、JUNKSは?」
「残ったメンバーで続けていくようですよ」
「俺が...俺がアスカさんの...相手役......?」
「私達としては、アスカくんの移籍が遅れて寧ろ良かったって思ってます。遅れたからこそ航生くんと会えました。航生くんが現れてくれなかったら、このAという役はおそらく普通の若手俳優さんにお願いする事になってたでしょう。でもそれでは、きっとアスカくんが主役になってしまう...あくまでのこの物語の主役は二人でなければ成り立たない......」
「無理...です、ほんと無理です! アスカさんが相手なんて、俺じゃ無理ですよ。俺が相手役でもアスカさん一人が主役になるに決まってるじゃないですか。それどころか、アスカさんの足を引っ張る事になりますよ!」
以前観たビデオの映像が甦る。
決してアスカさんだけをクローズアップした内容というわけじゃなかった。
あの内容自体は当時JUNKSを結成して間もなかった事もあり、全員に満遍なく見せ場が用意されてたはずだ。
けれどあれはアスカさんの作品だった。
どこを観ても、印象にあるのはアスカさんだけだった。
俺にアスカさんと並べるだけの存在感と演技力を求められても...困る。
「いいからよぉ、やるだけやってみろよ」
「だって...俺のせいでこんな大切な作品が失敗しちゃったら......」
「あのなぁ、こんだけ必死に口説かれてるって事は、それだけお前が惚れられてるって事だろうが。会社としたらその...アスカか? そいつが一刻も早く所属になってくれた方がいいに決まってんのに、お前に会えたんだから遅れて良かったなんて言ってくれてんだぞ? こんな殺し文句あるか? お前が心配しなくてもな、ここまで言ってくれてる人が、もし失敗したからってお前のせいになんてしないっての。なあ、木崎さん?」
「......私は...いえ、私達は航生くんの持っている雰囲気や声、仕事に対しての真摯な姿勢すべてがこの役にピッタリだと思ってます。これで失敗だという結果になったとしても、それは私達がちゃんと航生くんをこの役に入る所まで気持ちを持っていってあげられなかったというだけの事ですから。あくまで私達の準備不足であり、制作能力の欠如...決してモデルさんのせいではありません。だから航生くんは、私達を信じて現場に飛び込んでくれればそれでいいんです」
プレッシャーが無いわけじゃない。
けれどこれから先、誰かにここまで求められる事はあるのだろうか。
そして何より今...あのアスカさんに直接会ってみたいという気持ちが強い。
勇輝さんの持つそれとはまたまったく違う、華やかで淫靡な色気を間近で見てみたいという純粋な興味だったのかもしれない。
充彦さんとも勇輝さんとも違う方向性を見つけなければいけないこれからの俺に、何らかのきっかけを与えてくれるかもしれないという、根拠の無い希望だったのかもしれない。
「社長...やります。俺がどこまでできるかわかりませんけど、やらせてください。木崎さん、出来上がった作品を観た時に『やっぱりキャスティングミスだった』と言われる事が無いように精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げると、それにつられるように社長も木崎さんも頭をテーブルに擦り付けた。
「お話も終わったようですし、冷めちゃったコーヒー、入れ直しましょうね」
優しいおばあちゃんの声がすると、俺達の前には湯気の上がる新しいカップが改めて置かれた。
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