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とまどいながら【8】

俺の心臓はバクバクしているものの、なんとなく会議室の中の雰囲気は穏やかになった。 そこに再びノックが響き、俺達とそれほど年齢は変わらないんじゃないかって男性が入ってくる。 「あ、やっと全員揃ったわね。じゃあ二人に紹介します、こちらが今回のビデオを撮ってくれる、監督の濱田くんです。大学の後輩って事でちょっと無理をお願いしちゃったんだけど、普段はアーティストのPVなんかを作ってるクリエイターさんなのよ」 「よ、よろしくお願いします! 謙介を演じさせていただきます、元村航生です」 「ああ、あんまりそんなに緊張しないでください。僕、こういうセリフのある長編撮るの学生時代以来なんで、素人も同然なんですよ。おまけにゲイビデオで濡れ場有りとか、無茶にもほどがあるんだから...木崎さん押しが強いから、どうにも断れなくて」 「私は濱田くんの映像の世界観に惚れ込んでるのよ。艶かしいのに、どこか透明感のあるこの二人を撮るならあなたしかいないって思ったの!」 「もうね、僕の作業場まで押し掛けて来てからもずっとこの調子なんだもん......」 困り果てたと言わんばかりに眉を下げる濱田さん。 木崎さんの押しの強さは俺もよ~くわかってるだけに、そんな表情を作りたくなる気持ちもよくわかる。 さらに気づけば、シンさんも濱田さんと同じような顔をしていた。 どうやら3人とも、木崎さんの熱意と強引さに無理矢理引っ張られてきたらしい。 「僕、ちょっと押しの強すぎる先輩が怖いんで、お二人とも頑張ってもらってもいいですか?」 「俺も押しの強すぎるスカウトさんがめっちゃ怖いんで、できるだけ頑張りま~す」 「あははっ、以下同文です」 あまりに『強引』『押しが強い』を連発された木崎さんはジロリとみんなを睨んできたけど、そんな雰囲気のおかげで俺は少しだけ落ち着く事ができた。 ********** 「とりあえずなんですけど、先に僕の撮り方説明させてもらって構いません? というか...お願いかな?」 自分達だけで演出プランを打ち合わせたいからと木崎さんを半ば強引に追い出し、濱田さんは俺達の方を向いて座った。 「さっきも言いましたけど、僕の今の専門は音楽の映像を作る事で、セリフのある作品は本当に長いこと撮ってないんですね。なのでおそらく、このセリフについては僕から演技プランて提案できないと思うんです。それで申し訳ないんですけど...この謙介と瞬・悠についてのキャラクター作りをお二人にお任せできませんか?」 「......へ?」 「映像に関しては拘りがありますから、それを妥協するつもりはありません。例えば横顔にかかる建物の影が気に入らないとか、二人の顔の高さを合わせたいとか、そういう注文は目一杯付けると思います。ただ、台本を読ませてもらったんですけど、僕の中で彼らの性格だとか雰囲気だとか、どうしても何が正解なのかがわからなくて......」 ......監督がわからないなんて困る。 それが俺の正直な感想。 これまで『監督の撮りたい物』『会社が売りたい物』ってビデオにしか出たことが無い。 それも、まともにキャラクター設定をされた事も無ければ、ちゃんとしたセリフのある役を演じた事も勿論無い。 ただ現場で責任者が出す指示に従って、その通りに動いてきただけだ。 俺は余りに困って、縋るようにシンさんを見た。 でもなぜか...シンさんは穏やかに笑っている。 「面白い事言うんやね、濱田さん」 「そう? 面白くはないでしょ...僕、一応本気で申し訳なく思ってお願いしてるんですから」 「いや、面白いやろ。監督やのに演技プランは役者に丸投げって」 「木崎さんは、二人なら十分それで対応できるはずだって言ってたんですよ。寧ろ自由に動いてもらった方が、俺好みのイイ映像撮れるはずだって」 「なるほどね...そういう事か...まったく木崎さんは...。そしたらさ、俺と航生くんの二人で演技プランの擦り合わせするとして、濱田さんはその俺らの作ったキャラクターをちゃんと『生きた人間』として完璧に撮ってくれる自信あんの?」 「そこは僕、プロですから。アーティストが曲に込めた思いを映像って形で表現するの、プロだからね。二人がこのキャラクターをどう演じたいかって部分をちゃんと決めてくれたら、この台本の中の人間に息を吹き込んでくれたら...そこからはちゃんと僕が二人の映像にちゃんと命を吹き込みますよ」 「......やってさ。どうする、航生くん?」 どうするなんて言われても...思わずため息をつき、何気なく自分の手に目を落とした。 今日の為に勇輝さんが買ってくれた時計がやけにキラキラ光って見える。 こんな時、勇輝さんだったらどうするんだろうか? こんなに自信無く、自分の手のひらを見つめて涙が出そうになったりするだろうか? 台本は穴が開くほど読んだ。 読み込んだ。 謙介だけでなく、瞬や悠のセリフだって完璧に頭に入っている。 自分なりに謙介のイメージだって作ったつもりだ。 だけど、俺だってそれが正解なのかはわからない。 監督の指示に合わせて、少しずつ軌道修正できればいいと思っていた。 それをすべて任されるなんて言われても自信が無い...... 勇輝さん、俺どうしたらいいんでしょう...... 「航生くん、台本読んだ?」 シンさんの声に、慌てて手のひらから目線を上げる。 じっと見つめてくるシンさんの目は、まるで俺の不安を見透かすように優しい。 『大丈夫だ』と言われてるみたいに思えて、俺は無言で小さく頷いていた。 「オッケー。そしたら自分なりの謙介ってなんとなく固まってんねやろ? 濱田さん、今から俺、航生くんとちょっと読み合わせ行くわ。明日からの打ち合わせの時には俺らなりの瞬と謙介ちゃんと見せるから、そっからはほんまに演出プラン固めてな? よっしゃ航生くん、そしたら行こか?」 「い、行くって...どこへ......?」 「ん? 打ち合わせ兼親睦会。とにかく話して話して話して話して、俺らそれぞれの考える瞬と謙介合わせて行こうや。それにな、瑠威くんやなくなった航生くんに、ちょっとだけ興味あんねん。俺こっちの店ようわかれへんねんけど、この時間から開いてる個室の居酒屋とか知ってる?」 心当たりの無い俺は、それでも『なんとかします!』と気を付けで立ち上がり、急いで勇輝さんにLINEでメッセージを送った。

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